帰ったら、家の中ががらーんとして母も妹も居なくて泣きながら探したあの寂しさと恐怖は、いまだに夢に見る

小学生の時に両親が離婚した。
父は仕事柄数か月に一回しか帰って来ない人だったこともあり
母が大好きで妹と一緒に、母に引き取って欲しいと両親に言った。
けれども母は妹だけ連れて家を出て行き、私は父方の祖父母に引き取られた。
小学校から帰ったら、家の中ががらーんとして母も妹も居なくて
泣きながら探したあの寂しさと恐怖は、いまだに夢に見るぐらいです。
夜になって父方の祖父が迎えに来てくれるまで、数時間電気もつけずに
暗い中じっとしていました。

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その後中学生の頃父が再婚するに当たり、私が邪魔だったらしく
子供の居ない親戚に養子に出されました。
ここでは家業のために跡取りが欲しく、
本当は女でなく男が欲しかったので
家族として扱われることはなく、
衣食住だけ与えられて飼われているという状態。
それでも商業科しか認めないと言われたが、
高校に進学させてくれたのは感謝している。

私が高校生の頃乳児の男の子を施設から引き取ることが決まり
私は用無しになったので、高校卒業したら
独立してくれと養子縁組を解消された。
就職したら家に全額給与は入れるように養母に言われていたりしたので
養子縁組解除されて、高校の卒業式の翌日にアパートに追い出された。
これで人の目を気にしながら、ご飯を食べる必要もなく
せーり用品をせーりが重くて数を使うと、
布を使えとぼろ布を投げつけらるような
事も無くなるんだとものすごくうれしかった

それでもアパートの敷金礼金と二か月分の家賃は、元養父への借金で
安い給与の中から返済するために、毎日パンの耳で暮らしました。
家財道具は何もなかったので、調理用品も買いそろえるのに時間がかかり
最初はパンの耳しか食べられなかったのです。

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勤め先は大きい工場で、お昼は安い社食があり、制服もあったので
制服下の服は、肌着と上着三枚を回し毎日お風呂で手洗いしてました。
みじめな生活かもしれませんが、養母のあら捜しの目が付いて回らない
自由の生活はものすごくのびのびでき、母と妹と暮らした日々の次に
楽しいと思っていました。

その後その会社で、今の主人と出会い結婚しました。
主人の転勤でその土地も離れて、子供にも恵まれました。
こんな生い立ちなので、結婚は反対されるかもと思いましたが
主人の両親は優しく受け入れてくれました。
ただ身上調査はさせて欲しいと言われ
て調べたものを見せてもらったのですが、
私がついて行きたかった母は実母ではありませんでした。
私の母は、私が乳児の頃に亡くなっていて
再婚したのが、慕っていた母でした。
妹は母の実子でしたので連れて行ったと言うのが真相でした。

その後の母は、妹を連れて再婚して遠方の土地で暮らしていたようです。
実の父も再婚して子供をもうけて暮らしているようです。
祖父母は亡くなっていました。
元養家は倒産してしまい、せっかくもらった男の子も
施設に返して、夫婦二人で暮らして
いると書いてありました。

その後ばったり在職した会社の総務に居た人に出会ったのですが
数年たってから元養母が、私の給与を元養母の口座に振り込むようにと
要求して来たそうです。
もう在職してないことを告げるとどこにいるのかと、
きつい口調で聞いて来たそうです。
まったくわからないと告げると「恩知らず!」
と喚いて警備員につまみ出されたそうです。
この話を聞いた時が一番の修羅場でした。

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