友人Aが麻薬の過剰摂取で他界した。恨みを買っていたAのしを悲しむ者はいなかった。その後墓は無残にも・・・

昔話だ。当時を知る人には大体年代がわかると思う。

友人Aは俺らの大学時代の友人。
Aは定住所を持たなかった。
誰かしらの家に居候しては、飽きたら別の家に移っていた。

Aはスナフキンのような旅人でもあった。
ほとんど大学には来ず、飲み会とバイトに精を出し、
バイト代が溜まるとふらっと海外へ出かけ
またふらっと戻ってきて山ほど土産話を聞かせてくれる。

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行動力があり、アジア各国の政治状況に明るく、
世界を知っているのに気取らず
酒の席では馬鹿芸を披露したりと気さくなAは、
俺たちの憧れであり、一種の理想の体現者だった。

しかし俺たちも歳を取り、卒業して就職。
Aは変わらず自由人であり続けた。
社畜になってからも、
いや社畜だからこそ一層、俺たちはAに憧れた。
Aが帰国するたび、Aを囲んで飲んだ。
各国の土産話を聞かせてもらい、
「好きなだけいろ」とAをアパートに泊めた。

だが20代後半ともなると結婚する奴がちらほら現れた。
多くの人間が、結婚後にAを新居へ呼んだ。

海外生活が長く、食事中に手鼻をかんだりと、
Aは衛生観念が生粋の日本人と少し違った。
またアジアでの色恋沙汰な話などを、
陰でしてくれりゃいいのに嫁の前でも隠さなかった。

Aはたいていの嫁に嫌われた。
そこで平謝りする男と、
「俺の友達に失礼だ!」と怒る男に二分された。

Aは夫婦喧嘩には委細かまわず、
自分の選んだ家で好きなだけ寝泊まりした。
3人の嫁が実家に帰り、そのうち2人が離婚した。

俺は喪男ながらも30代でなんとか結婚した。
結婚後Aが帰国し、いつものように帰国歓迎会で飲んで、
Aの馬鹿芸を堪能した。

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Aは「泊めて」と言ったが、俺は断った。
しかしAは無理やりタクシーに乗りこんでついてきた。
俺はけしてAが嫌いではなかった。
だが俺は喪男ゆえ、なんとしても離婚したくなかった。

結婚してから意識が変わったのか、
Aに対し以前ほどの憧れもなくなっていた。
嫁が妊娠中で、腹の子が女の子とわかっていたせいで、
11~12歳の娘と遊んだ話にも嫌悪を感じた。

俺は自宅とは離れたコンビニ前でタクシーをおり、
フェイント&ダッシュでAをまいた。
Aはその後、
別の友達(独身)の家に泊めてもらったようだ。
Aは怒っていなかったらしいが、
その泊めた友達が俺を「友達甲斐のない奴」と怒り、
以後飲み会にあまり呼ばれなくなった。

Aはそいつの家に2ヶ月居座り、また出国していった。

7年後、Aが死んだと連絡が来た。
麻薬の過剰摂取か何かで死んだらしい。
遺体は兄弟が引き取りに行ったとか。葬式はなかった。

なんとなくAを偲ぶ会のような飲み会が開催され、
7年ぶりに俺も参加した。
そこで知ったが、俺の知らない7年間で、
Aはさらに5組の夫婦を離婚させてたらしい。
通算7組。
Aは顔が広かったから、
大学の仲間以外のつながりで
もっとやらかしていた可能性は大だった。

「Aが死んで、日本の離婚率がさがるぞ」と
笑顔で乾杯した幹事も
Aによって離婚したうちの1人だった。

さらに数年経過した頃、
かつての仲間数人がA家の墓を壊して、
小さい記事だが新聞に載った。

離婚した7組のうち、3人が酔ってやらかしたらしい。
「動機は昔の怨恨」とだけ載っていた。
今は大学時代の友人と会うことはなく、
墓荒らしの続報も聞けない。

だがあの時Aを泊めなくて本当に良かったと思う。

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