うちは母子家庭だった。母に捨てられた

母に捨てられた時。
うちは母子家庭だった。僕と妹は6歳違いの兄妹。
父を早くに亡くし、
母は僕達を養うために昼夜問わず必タヒに働いていた。
母は父を本当に愛していて、
僕達が寝る前にはいつも父の思い出話をしてくれていた。
僕達も父性に飢えていたから父の話を聞くのが楽しみだった。

一方で母は父が亡くなった後から
色んな男の人と付き合うようになっていた。
僕達がその男の人達と鉢合うことはなかったけれど
外からそういうことを聞かされていたからある程度は知っていた。

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ある日を境に母は家に帰ってこなくなった。
僕は母はもう帰ってこないと思った。
これからは僕達だけで生きていかなきゃいけなかった。
お金はない。昼食は僕は学校の給食、
妹は保育園の給食がある。でも朝食と夕食がない。
学校の給食は余るはず。僕は給食のおばちゃんに
余った給食を貰ってそれで飢えをしのいだ。
10歳の子どもの考えなんてそんなもので、
それで生きていけると思っていた。

ある日、担任から給食費の催促をされた。
同日、妹の送り迎えをした時に
保育園の先生から月謝の催促をされた。

お金はない。子どもが働けるわけがない。
僕は困り果てた。

お金の催促に対して、
僕は「母が入院して、しばらくお金は払えない」
と嘘をついてはぐらかした。
次に来たのが家賃の催促。
これも嘘をついて誤魔化した。
そんな生活を2ヶ月していたら今度は電気、
ガスを止められた。時期は冬。
僕達は体を寄せ合って寒さをしのいだ。

妹は駄々をこねた。お母さんはどこ?
といっぱい泣いた。でもしょうがないことだと思った。

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体も心も限界だと思った時に、警察が来た。
母が交通事故でタヒんだとのことだった。
男と一緒で母だけがタヒんだ。

僕は母が出て行ったときホッとしていた。
もう母は僕達兄妹のことでイライラすることもないし、
煩わせることもないし、
やつれるほど働かなくても良いから。
母が好きな人と一緒になれて良かったと思った。

葬式の後に父の仏壇の引き出しを調べたら、
中にはお金が入っていて手紙も入っていた。
手紙には叔母さんを頼るようにと書かれていた。
そう言えば、何かあったら仏壇を見なさいと
言われていたことをその時に思い出した。

僕はその時、母がいなくなってから初めて泣いた。
母が出て行った時ホッとしたけど、
僕達のことは本当にどうでも良くて捨てたと思っていた。
でもそうじゃなかったんだと思えたから。そ
れが嬉しくて泣いたんだと思う。

それから僕達は叔母の子どもになった。
叔母は良く母のことを話す。
「姉さんはお義兄さんが亡くなった時、
ショックでしばらく口を聞けなかった。それほど悲しかったんだと思う」
それは僕も知ってる。
「姉さんは多分、ずっとお義兄さんの幻を追っていたんだと思う。
色んな男性とお付き合いしていたのもそういうことなんだと思う」
僕もそう思った。
父と母が天国で幸せに暮らしていたら良いなぁと思う

母を恨んだことは1度もありません。
常識的な考えや一般論で言ってしまえば
母は子どもを捨てて男と駆け落ちした
人間なので褒められるような人間ではないと自覚してます。
ですが、僕達が母から教わった事や愛情は確かに
今なお僕達の中に息づいています。
今僕達が客観的に見てもそれなりに真っ当な人間として
幸せな人生を歩んでいるのは母の想いや教えが心に
根付いているからだと確信しています
感謝ばかりです

それと母は出て行く際に叔母に僕達を頼むと
電報を送っています。
ですが、叔母はその頃海外出張中で連絡が届かなかった模様です。
叔母が帰国したのは母がタヒんだ数日後のことです。
出て行く一年前に言われたことなので
仏壇の件に気づくことができなかった、
叔母に連絡がつかなかった、
色々噛み合わなかった故に起きた事象なのではと思っています

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