いま20半ばの俺がガキのころのはなし。
両親がパチに狂ってた。
夏場によくニュースになるだろ。
「子供がパチの駐車場でエンジン切った車に
何時間も放置され、死亡」っての。
あれ何度もされた。
俺は運良く死なずにすんだけど。
両親がエンジン切って
俺置いて行くもんだからさ。
エアコンきいてて涼しかった車内が段々暑くなってく。
少しの間は我慢出来る程度だった。
車の中で少しでも涼しい部分探してそれで涼をとってた。
シートベルトの金属の部分や
サイドブレーキなんかで。本能なんかな。
段々我慢できないほど暑くなってくる。
汗がダラダラでて喉がかわいて。
思うように身体が動かせなくなってくる。
さっきまでダラダラ流れてた汗がピタッととまる。
必死になってドア開けようとするが子供の握力だと開かない。
今思うと両親パチ停める時だけカギかけてたわ。普段かけないのにな。
声出せと思う奴いると思うが俺がガキのころなんて
子供放置してパチ打ってる親が多かった。
声出したり窓叩いても無視されてた。
無視ならまだいい。必死に窓叩いて
出して出してって叫ぶ俺見て笑う大人のが多かった。
田舎だから民度低かったのかね。
ほかの車に俺と同じように放置されたガキを見ることも
よくあった。
となりの車で俺より小さいガキが
必死に窓叩いてたり後部座席でぐったりしてるのもよく見た。
救急車来て子供が乗せられてくのも何回かあった。
普段放置してるクセにさ。救急車来たときだけど
この親も慌てて戻ってくるんだぜ。
パチ来る奴なんてクズしかいなかった。
いよいよ死ぬかもしれんと思ったところで
母親が笑顔でドア開ける。
頑張ったねー勝ったよーなんて
景品持って笑いながら言う。
景品置いた母親に抱きしめられる。
その時間がこの世で一番嫌いだった。
これは大人になってから聞いたはなしだ
がパチ狂いの間ではよくきく呪いらしい。
「暑いのを子供に限界まで我慢させると大フィーバーする」
「死なずにうまいこと我慢できた子供は
辛抱強い大人に育って親孝行してくれる」
ってさ。
そんな非科学的で根拠の無いジンクス。
パチンカスに都合のいい呪いのために俺は何
度も蒸し殺される寸前のあの地獄をあじわったのか。
いま俺は鍵屋と警備員を掛け持ちしてる。
まだその機会はないがもしあったら俺は俺が持ってる
知識を全部使って必ず助ける。
辛かったね
あなたのその時のことを考えただけで悲しくて切なくて涙が出る
私、あなたのような人を知ってる
忘れてたんだけど、読んで鮮明に思い出した
今から20数年前、まだ私が小学生だった頃に
住んでいたところの近くにパチ屋があったんだけど、
よく救急車が来たり警察が来てた
その時はパトカーだ!救急車だ!って
同じマンションの友達とわーきゃー騒いでたんだけど、
今考えると…そういうことだよね
そんなパチに、今くらいの季節、
毎日連れられて来てた男の子がいた
後でわかったのは連れて来てたのは
パチ狂いの母親だったらしい
私やマンションの友達はあの子を可哀想に思ったんだろう
親からあの子に渡してって水やパンを預かって
公園に遊びに行っては渡してた
「お母さんがね、パン渡してって」
と言った時の驚いて
「ありがとう」と言ったあの顔を鮮明に思い出した
早い時間からその子がいて、
初めて会った時も夏休み開始日の
公園の日陰のところだったと記憶してる
人懐っこくてすごく賢い子だった
でも今思い返してみたら
大人の顔色を伺うような子で
仄暗い何かががあったようにも思う
その子は私が親と祖父母の家に
帰省している間に亡くなったと帰ってから聞いて驚いた
お盆の間もいつものようにパチ屋に
母親が朝から行って、公園で遊んでいたらしい
でもさ、お盆は友達がみんな帰省しちゃって
一緒に遊ぶ子がいなくて、
水もパンも誰からももらえなくて、
近所のスーパーに行こうとしたみたい
お金は多分、渡されてなかったと思う
でも当時のスーパーは試食も多かったし、
それでお腹を膨らませようと考えたんじゃないかな
スーパーから出て、
そこで車にはねられたって聞いて
すごくショックだった
母親はあの子が亡くなっても
普通にパチ屋に通っていて、
私の母親は子供が亡くなったのに!
すごく酷い親だと憤ってて子供心に
パチ屋は酷い大人が行く所なんだって刻まれたんだと思う
その事を今の今まで忘れてたけどパチ屋は大嫌いだし、
行ってる人を見ると腹立たしくて気持ち悪くなる
あの子は幸せだったのかな、
帰るチャイムが鳴って家に帰る
私たちとさよならをした後、
マンションの上から公園を覗いた時に見えた、
いつも母親を公園でじっと待つあの子の背中を思い出して苦しい
私はもうあの子よりももっと
幼い子供が2人いるおばちゃんだけど
(今は下の子の授乳で起きてる)、
ああいう子はもういなくなってほしいと切に願う