姉は嫁ぎ先で虐待を受けていた。何度も助けを求めていたが、それを阻止していたのは

ウチの母のエネme話…って言っていいのかな?
ウチの母は結婚即同居で、
私も母がいびられて耐える姿を見ながら育った。

で、姉が結婚。

結納でも式でもなんかきな臭い義両親だったので、
それ以来、夕飯時は姉の話ばかりで

「良くしてもらってるか」

「大丈夫か」

と心配してた。
とりあえずしばらくは別居と聞いていたのに、突然姉から

「無理やり同居させられた…」

と涙声の電話が来た。
賃貸の契約更新をせず

「ここにはもう住めないよ~ん」

と強制引っ越し。
だまし討ちか!と怒り狂う私と父を尻目に、母は泣きながら

「我慢してればいつか」

「最終的には離婚しなくて良かったって思えるから」

と説得。
それからほんのちょっとしてから姉夫の浮気発覚。
その時も帰りたいと言う姉に、母は

「正妻はドンと構えてなさい」

「最後に戻ってくるのは姉の所」

と説得。
父は

「辛かったら帰ってこい!いつでも迎えに行くから!」

と言うが、母は

「そんな事をしたらあの子の人生が滅茶苦茶になってしまう!!」

と号泣。
それから段々電話も少なくなり、姉携帯も解約、

「幸せにやってます」

と手紙が来たけど、こちらからの連絡もろくに取れなくなった。
その間、母は泣き、ずっと姉を心配してた。
そんなある日、姉が突然連絡もなく帰ってきた。
しかも姉夫の弟さん夫婦と一緒に…
玄関開けて驚いた私が

「お姉ちゃん!」

と言うと両親が駆け寄ってきたが、
姉は母をよけて父に抱きつきわんわん泣いた。
母はショック受けてた。
喪服姿の弟さん夫婦は2人とも怒ってて
母に

「もしかしてあなたは姉さんの本当の母じゃないんじゃないですか?」

と言った。
ポカーンとしてたら

「母なら娘が酷い目にあわされてるのを知ってて、何もしないなんてありえない。
少なくともあなたは母と言えない」

と怒りを込めて静かに言った。
父が

「姉、どう言う事なんだ!なんでお父さんに言わなかった!」

と言うと、泣いてばかりいた姉が

「この人が電話取り次いでくれなかったの!!
お父さんに代わって代わってって何回も言ったのに!!

お父さんはお前が幸せにやってると思ってるから
心配掛けるなって言ったの!!

携帯取り上げられたからお父さんの電話分からなかったの!!
(妹)のも分からなかったの!!電話できなかったの!!

住所録も手帳も全部取り上げられたの!!!」

と腹から絶叫、
そして大声をあげて号泣した。

母はへたりこんだ。

とりあえず弟さん夫婦に家に入ってもらって、
私は姉を寝かしつけ、
両親は弟さん夫婦と話しあってた。

その晩、姉の拒絶反応が酷く、
母は駅前のビジネスホテルに連れて行かれた。

父が聞いた、弟さん夫婦が姉から聞きだした話によると、
酷い虐待(イビリとは言わなかった)を受け、
何度も母にヘルプコールしたが、母は

「我慢しろ」

としか言わず、姉はどんどん追い詰められていった。

疎遠にしていた弟さん夫婦が、
可愛がってくれた祖父の法要だから、とイヤイヤ実家に行くと
そこに居たのはありえない程憔悴しきって、感情が何もない姉。

それを見て弟さん夫婦ブチギレ。

経験から義父母に言っても
しょうがないと分かっていたご夫婦は姉を諭したが、姉は

「母がいるから実家には帰れません。もう行く所もありません」

と無表情で答えたそうだ。

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んで、その場で有無を言わさず姉を車に押し込んで、
そこから高速乗って片道5~6時間もかけて連れて来てくれたと。

弟さん夫婦は義父母たちの非道さにあきれはて
奥さんの親に頼んで婿養子に入り、名字を変えたそうで

「実子である自分が捨てた親」

と言う事を強調していたそうだ。

「もし調停や裁判になったら、姉さんの味方としていつでも呼んでくれ」

と連絡先を置いて帰って行った。

父からそれを聞いて、私も泣いたが

「じゃあお姉ちゃんの荷物取りに行かなきゃね!
あ、○○さんたち(近所の大工さん、
頑固親父&肝っ玉母ちゃん&ガチマッチョブラザーズ)にも
一緒に来てもらおっか!
金剛力士像みたいに立っててもらってさ!」

とわざと明るく言ったら、父は

「姉の荷物なんてもうないだろうって言ってたよ…」

と力なく言ったんで、何も言えなかった。

今父は自分を責めて責めて立ち直れるかどうか心配な位。

姉はボーっとしてる。

伯父がつてをたどって弁護士さんを探してきてくれたんで、
お任せしてる状態。
弟さん夫婦は、幸い家から車で1時間位の所にお住まいなので、
いつでも呼んでくださいと言ってくださっている。

姉と、両親が同時に離婚調停中。

母とは、あれ以来3回しか会ってない…会ってる間、
ずっと自分の弁護してた。

「そこまで酷いと思わなかった」

とか

「添い遂げるのが幸せと思ってた」

とか

「何でも時間が解決してくれるから大丈夫だと思ってた」

とか

「姉の事を心から思っていたからこそ今は耐える時だと言った」

とか。
母は本当にそう思ってたんだとは思う。
父や私たちがどれほど言っても、泣いて頼んでも

「結婚したら耐える物、あんた達がいれば何でも我慢できる」

と嫁イビリに耐えてきた人だから。
なんか、もうね。
覚えている限り、父は祖父母と闘ってくれてたよ。
でも母がまぁまぁ…って止めちゃう感じ。
父が

「別居だ!」

って言うと、母が

「そんな事したら近所の人に何言われるか…」

とか

「年取ったおじいちゃんおばあちゃんを置いて行けない」

とか。
あと
「引っ越したら子供達も転校しなきゃない。
せっかくお友達がいて楽しくやってるのに
大人の都合で振り回しちゃかわいそう」

「子供には祖父母が必要、子供達にはいいおじいちゃんおばあちゃんよ」

「ここは家も庭も広いし、のびのびと遊べる環境もあるし」

みたいに

「子供のため!」

みたいな事を力説する。

そうすると父も何とも言えなくなってしまう。

実際はそんなのどうでもよくて、
4人で狭くてもいいからのんびり暮らしたかったけど。
で、最後には

「あんたたちが居るからお母さんは何でも我慢できる」

と。
姉が結婚する前は、しみじみと

「我慢して良かった。お父さんと結婚して良かった。
子供達が元気に良い子に育ってくれてよかった。いい人生だ」

って言うの。
だから本当に姉に言った事は、
正しい事だって思ってたんだと思うよ。
また思い出した。
家を出るという話になった時、母が

「お父さんが出て言っても私は残る。それが嫁の務めだから」

って言いきった事あったよ、母ちゃん…
6人兄弟の末っ子で、祖母が大正生まれの青森育ち。
ひたすら働いて、ひたすら婚家に尽くして、ってのが当たり前。
そんな祖母を見て育ったからだと思う。

ある意味時代の変化についてこれなかったって感じかな?

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