トイレに連れ込まれて「便器の水を飲め」と言われブチーンと切れた

関東から関西に引っ越した時、言葉が違うせいか「ぶりっ子(死語)」と
言われ、すごいイジメを受けた。一生懸命関西弁を使おうとしても、
「アクセントが変」と更に嘲笑を受けるだけ。

教科書落書き、私物を捨てられる、一言しゃべるたびに「言葉が変」と
嘲笑されるので、言葉が出なくなってしまった。喉に何か詰まったみたいに
なって、授業中、朗読の番が回ってきても、声が出ない。全てを否定された。
構内を歩いていたら、上階からいきなり水をかけられたり・・・
ノートや教科書には「死ね」のラクガキだらけ。

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もうダメだ、死ぬしかないと思いつめ、何度も自殺を図るが未遂。
飛び降りるためのビルを探して徘徊したけれど、警備員に見つかったり
屋上に入るドアが施錠されたりしてて、有効な自殺方法が思いつかず
ズルズル生きていた。親は、必死で担任や教育委員会に掛け合ってくれたけど
「チクった」と言われ、更に水面下でエスカレート。痣が絶えない状態だった。

担任は、見て見ぬふり。
「イジメに遭うのは、本人にも原因がある。ハッキリ嫌なことはイヤだと
意思表示せずにビクビクしてるのが悪い」
と、キッパリ言われた。市の教育委員会というのが、学校の先生とグダグダに
馴れ会っていて殆ど何の役にも立たない、ということもこの時知った。

ある時、トイレに連れ込まれて「便器の水を飲め」と言われブチーンと切れた。
私は、イジメリーダーの女の子の足に何度もローキックを喰らわせ、
立てなくなったところで、トイレの窓(3階)に連れて行き
「お前をここから落とす。生きていたいか死にたいか、選べ。
生きていたいのなら、お前が便器の水を飲め」と言い放った。

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他の女の子は、みんなフリーズ。本物の暴力には馴れていなかったらしい。
(ちなみに私は引っ越し前、珍しい流派の空手道場に通っていた)
ボスが黙っていた(声が出なかった)ので、私は従う気がないと見なし
「よし、消えちまいな」と言い捨てて、窓から投げ落とそうとした。

しかし、そこで先生乱入。すぐに止められた。
その時は「チェ、殺りそこねたな。これで済むと思うなよ」と腹の中で
思っていた。その後、職員室や校長室によばれ、あれこれ問いただされた。
「3階から突き落とすっていうのは本気じゃないだろうね?君は
そんな生徒じゃないことはよく分かっているんだよ」
と優しく言われたので、

「いえ、本気です。今後は先生を当てにせず、自分で解決することにしました。
次は、校内で殺人事件が起こると思ってください」
と先生に宣言した。校長先生は赤ら顔だったが、ドス紫に変わったのを
今でもハッキリ覚えている。その夜(数日後かも?)校長先生はストレスから
血を吐いて救急車で運ばれた。それについては気の毒に思っている。

父親は学校に呼び出され、ことの顛末を聞いて
「いやあ、ウチのバカ娘が申し訳ないww」と口先だけヘラヘラ謝ったりしたが
「お前よくやったなあ!!」とフランス料理のフルコースを食べさせてくれた。
イジメの首謀者とは、その後和解し、お互い無難に過ごすことができた。
しかし、あの瞬間、本気で相手を殺そうとしたことは間違いない。
我が子には絶対いじめをするなと教えている。モラルの問題だけでなく
命に関わるハイリスクな行為だから。

更に黒いことを思い出したんだけど、私学校に行く前に
こっそり父親の日本酒を飲んでから学校行ってたw
酔っぱらわないと怖くて行けなかったんだよね。
ただ、酒に強い体質なので、酔ってられるのは午前中の数時間のみ。
酒が切れると、恐怖で地獄のようだったよ。
キレてあばれた時は、多分酔ってなかったと思う。
日本酒のんで酔っぱらって登校、更に校内で殺人未遂というのは
私にとってはかなり暗い過去だ。

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