俺が小学生高学年のころ、引っ越しをした
引っ越した先のアパートの隣の部屋に住んでいたのが嫁
3歳年上で当時中学生
といってもこれは偶然ではない
そのころ両親の離婚に伴い、
俺は母親に連れられ母親の地元に引っ越しをすることになった
母親の実家である母方祖父母の家はその時期知人に貸していて住めなかったため、
母親は新たに部屋を借りる必要があった
そこで、母親の中学・高校・専門学校を通しての同級生で親しい友人だった、
嫁母のアパートの隣の部屋を借りることにした
ここで俺は中学生の嫁に初めて会う
ただし、これは初対面ではなく、
もっと幼少のころには何度か会っていたらしい
その時の嫁の印象は「真面目そう」だ
のちに高校生になった嫁を見た俺の友人の感想は「学級委員長やりそう」だった
慣れ親しんだ地元で、祖父母の住むマンションも母の兄である伯父一家が住む家も近く、
母が就いた職場にも程近かったため条件は良かったと思う
嫁母も母一人娘一人の母子家庭でお互い理解もあり、実際にお互いが助け合っていた
俺母と嫁母は仲が良く、今でもしゃべりだすと止まらない
よくそんなに話すことがあるな、と思えるほど
嫁母と俺母は同じ職場だったのだが、
その仕事は夜勤もあったため夜には子供がアパートで一人になることがある
その際に親が夜勤のほうの子供がお隣にお邪魔して
3人で夕食をとったり一緒に過ごせば双方安心できる、というようにも考慮したらしい
双方の親が2人ともいない場合は、俺と嫁が一緒に過ごすこともよくあった
こういう日が週に2~3日はあったと思う
お互い一人っ子で、俺は遊び相手としてのきょうだいができたことがうれしく、
嫁も一人じゃなくなったことで喜んでいたらしい
当時の嫁は抱き癖みたいなものがあり、うれしい時など何かと俺に抱き着いてきてた
まだ体もできていない小学生だった俺は、嫁に抱き着かれて真後ろに倒されるまでがセットになっていた
俺が中学生になってからはやらなくなったが
当時のエピソードとしては、俺が中学生になるまで嫁と一緒に風呂に入っていたことくらいか
ただしただのアホな子供だった俺にやらしいエピソードは一切ない
中学生だった嫁にとって小学生男子はただの子供だったのだろう
呼び方としては、俺は嫁を「おねえちゃん」と呼んでいた
名前呼びが恥ずかしかったというのもあったと思う
嫁は俺を「(俺男)くん」→「(俺)くん」とかなり早い時期に愛称呼びになっていった
俺が中学生、嫁が高校生になってからは俺のために嫁は弁当も作ってくれるようになった
更に「これから何があるかわからないんだから」と料理も覚えさせられたが、
これはちょっとスパルタだった
さて、俺が中学三年生、嫁が高校三年生だったころ
俺は普通受験での高校進学を目指しており、受験勉強は嫁に見てもらっていた
嫁自身は早々に推薦で地元大学への進学を決めており、そのための時間があった
年が明けたころ、いつも明るい嫁が沈んだ表情をするようになった
そしてある日、俺に家庭教師しているときに嫁がふいに黙り込んだかと思うと、
突然泣き出してしまった
俺はどうしていいのかわからなかったので、
嫁が落ち込む子供のころの俺を慰めていた時のように背中をポンポンと叩いてみた
少し落ち着いたところで話を聞いてみると、
どうやら嫁はクラスメートからいじめをうけていたらしい
この季節の受験生はピリピリしているものだが、
既に推薦で進学が決まっている嫁が目の敵にされてしまい、
クラスの力のある女子から村八分や暴言を吐かれるなどされていたらしい
話しながら思い出してまた泣き出す嫁
背中ポンポンしかできない俺
突然嫁は俺の胸を目掛けて倒れ込むようにに抱き着き、わんわん泣きはじめた
俺は、「この勢いで抱き着かれたら後ろに倒れてしまう!」
と関係ないことを考えていたが不思議とそんな気配は無く、
ふつうに踏みとどまって嫁を受け止めていた
いつのまにか体格でも体力でも俺が嫁を追い抜いて、大きく引き離してしまっていたらしい
ひとしきり泣いた嫁は、すっきりしたようで明るい表情にもどっていた
実際に学校の方でも受験までの短い期間のことだし、
更に大学に行ってしまえば関係のない話なのだから適当にスルーし続けることで問題は自然消滅したらしい
その後俺は無事に第一志望の大学に合格し、嫁と初めて同じ学校に通うことになった
大学生になってからは夕食を共にする機会は減り、代わりに毎日朝食を一緒にとるようになった
エピソードとしては、俺が学内で嫁をおねえちゃん呼びしていることを知られてしまい、
サークルのメンバーには「シスコン」とあだ名をつけられたことくらいか
当時大学4年生だった嫁は、早々に就職も決めており、特にトラブルもなく日々を過ごしていった
その後、生活にちょっとした変化があった
我々が住んでいたアパートが、耐震構造やら老朽化やら
下水管工事やら大家さんの高齢化などいろいろあって取り壊しになることが決定した
俺たちの引っ越しは必須だが、俺家と嫁家はまた隣同士に住むのか、
子供も大きくなったしその必要はないのか、などなどの問題に直面するはずだった
ちょうどその頃には、貸していた知人も高齢化のために退去しており、
母方祖父母の家が空き家になっていた
土地は母の兄である伯父が相続していたが、上物は築年数から資産的価値が無く、
ガタもきているので賃貸に出すこともできず、
バリアフリー化されていないので高齢の祖父母が住むのは難しい
更にときどき風を通しに行かなければならない、というちょっとめんどくさい状態になっていた
そこでお金をかけて取り壊すくらいなら、と俺母が少し修理してそこに住むことを提案した
俺は一人暮らしして出ていくこともできたが、
大学も近いしわざわざ母と離れる必要は無いと考えて一緒に住むことに
伯父も祖父も自分たちの生家が残ることになるため、その選択はとても喜ばれた
嫁母も地元の中学校に通っていたころは何度か家に遊びに来たことがあり顔見知りだったためか、
同じ家に嫁母が住むことに祖父母も伯父も快く同意してくれた
しかしそこは田舎のこと、ご近所さんはあまり良い顔をしないのではないかという懸念が残った
その話し合いは伯父の家で俺・俺母・嫁・嫁母を交えて母方一族が集まる中で行われていた
俺はちょっと考えて「俺とおねえちゃんが結婚したら問題ないんじゃないか?」と提案してみた
伯父や従兄弟たちは「え?つきあってるの?」と驚いていたが、
俺母や嫁母は「やっぱりね」という反応だった
ただし、俺はそれまで嫁を完全に家族として捉えており、
恋愛対象としてみたことがなかったため、ここでは伯父たちのほうがが正しい
思い付きで出した提案だったが、言葉を発したとたんにとても良い考えに思えてきた
ところが俺は、嫁にはプロポーズはおろか、この時点では付き合ってくださいとすら言っていないし、
恋愛対象として好きだという素振りさえしたことがない
しかしここで嫁は「そうだね 結婚しよう」と満面の笑みで同意してくれた
そこからはお祭り騒ぎ
普段膝が痛くてほぼ椅子に座って生活している祖母が
嫁のところまで歩いていき嫁の手を取って「孫をよろしくお願いします」と頭を下げれば
祖父は町内の知人に電話をかけまくって自慢げに結婚の報告をし、
大のお祭り好きの伯父は自分の息子である従兄弟たちや伯父の奥さんに「寿司をとれ! いや、ウナギだ! ママ!酒出して!」
騒ぎを余所に、俺が嫁のほうを見ると嫁もこっちを見ており、目が合ってニッコリ
ここで初めて、そういえば結婚は相手ありきだし、
お互いの気持ちや過程も大事なんじゃないか、と当たり前のことに気付き、俺は不安になっていった
が、田舎の人々の勢いは当人にすら止められない
式は俺が大学を卒業したら改めて、ということになったが、翌月には入籍し、
身内だけの小さな披露宴(という名の酒飲み大会)が行われた
学生結婚という形になったが、祖父母の時代から考えれば「遅いくらい」だそうなので、
年齢も立場もあまり問題視されなかった
のちに嫁に聞いた話では、例の、嫁が中学三年生の俺に抱き着いて泣いたときに
「ああ、男になったんだなー」と初めて感じたらしい
といって恋愛感情があったわけではないのだが、嫁はそれまでの俺や俺母を含めた家族の形態が心の支えになっており、
将来それを失うことにぼんやりとした不安も抱えていたらしい
「このまま家族を続けるには結婚しかない」「いや、考えてみたら悪くない提案だ」
「それどころか、結婚するにはこの人しかいない」
という脳内麻薬でも出てるんじゃないかという嫁の心境の変化も手伝い、スピード結婚と相成った
その後の伯父は自分の長男と次男に「うちにも女の子(従兄弟たちの未来の嫁)来ねーかなー」
と無駄にプレッシャーをかけてきたらしく、俺はそのことで従兄弟たちに文句を言われるようになった