幼馴染が事故で重い障害を負った。私は家が近所だからとお世話係をやらされて

近所に住む幼馴染が事故で重い障害を負ったけど、
知的な部分は無事でむしろ普通よりも優秀ってことで
親が強く望んで公立中学に入学した

中学にエレベータや専用トイレが設置されて、
その子のために介助をする職員もついてた
その恩に報いねばと父親がPTA活動を積極的にやってて、
自営業で顔が広いのもあって
うちの親なんかも「本当にえらいわね」と感心してた

私は家が近所だからとお世話係をやらされて、
友達とも遊べなくて、でもそれを表立って言ったら
私がひどい人みたいに思われるんじゃないかと
誰にも言えなくて鬱屈してた
字をうまく書けないってことで
毎日私のノートをコピーさせられるのも、妙な緊張感があって嫌だった

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高校はどうするのかと思ったら、
○○公立高校(偏差値が県で上位)に進学させたいということだった
父親が高校に働きかけて、
特別に別室で入学試験を受けさせて、結果合格してた
高校でもトイレやエレベータが作られて、
介助する人間も何とかなるということになったと聞いた
父親が私に「君も当然○○公立高校に行くんだよね?
」と聞いてきたので、最初は適当にごまかしてたけど
どこからか(幼馴染本人か、多分PTA関係)××私立高校に行くのがばれた
学校の廊下で幼馴染父子に会ったときにそういう話をして
「無責任だ」と責められて、理不尽すぎてキレて泣いた
「あんたなんかの世話するために生きてるんじゃない」
って幼馴染に怒鳴りつけた
幼馴染の顔がぐしゃーっと歪んでて、裏切られた!みたいに見えてこちらまでショックだった
その日からお世話係を外されて、
ノートを写されることもなくなって快適だった

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卒業式のときに幼馴染の父親が祝辞を述べた
もう何年も前のことだからはっきりとは覚えてないけど、
「障害のある子供を育てることで、
家族で回り道をしてきたけど、むしろ豊かな時間だった」
って感じのことを話してて、うへーと思った
そのあと幼馴染も生徒代表で話してた(特別に出してもらってた)
最初は級友や先生、介助の人への感謝を述べてたんだけど、次第におかしくなって
「親の自己満足のために利用された人生だったような気がする。
一日も早く死にたい。
仲がいいと思った友達に甘えて当然だと思い、
その子に嫌われたことを逆恨みした自分を許せない」

みたいな感じで、途中からほとんど泣いてた
父親が途中で止めたから最後まで聞けなかったけど、
なんだかすごく胸糞悪い気持ちになった

田舎だし家が近いから
そのあとも幼馴染家の様子が耳に入ってきてたんだけど
高校に入ってすぐに幼馴染がご飯を食べなくなって、
病院に入院したけど悪化するばっかりで
結局高校は中退し、2年後に幼馴染家が売りに出されてた
どうしてるのか気にかからなかったわけじゃないけど、
高校生活が楽しすぎてすぐに忘れた

昨日になって、幼馴染を雑誌で見かけた
就職できなくて、施設に入れられて、
自殺未遂して復活したとか色々書いてあった
「どうせなら養護学校に通わせて生きる術を身につけさせてほしかった」
と語ってて複雑な気持ちになった

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