福島で復興作業に従事していたんだがガンになった

3.11の震災後ずっと福島で復興作業に従事していたんだが、
除染作業や原発内での作業従事者って
定期的に健康診断を受けないといけないのね

勿論オレも最低半年に1回、
多いときは2か月に1回は
一般健康診断と電離放射線健康診断を受けてた
2年半位で7~8回は受けただろうか・・・
1回も異常が有ったことは無かった

ところが最後に受けた健康診断で
(その時はたまたまいつもとは違う病院に行った)
「血液検査等は全く問題ないから就業可だけど、
肺レントゲンに気になる影がある・・・様な気がする。
もし貴方も気になる様なら紹介状を書いてあげるから
もう少し大きな病院で診て貰った方がいい」
と言われた

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勿論自覚症状等全く無いので、
まさかオレが・・・との思いは強かったが
先生の言うことを無視する気も無く
その週の週末に予約を入れてもらった

その週の土曜日に町で一番大きな病院に行き、
CTを撮ってもらいその所見を持って
最初の病院に帰った

そして先生から
「残念ですがやはり癌の可能性が強いかもしれません」
と言われたのが第一の修羅場

もっと大きな病院で調べた方がいいということで、
今度は県内でも有数の大病院に紹介状を書いてもらい
次の週の予約をとった
その間仕事関係の人間に事情を説明したり、
気持ちを落ち着かせたり・・・

予約日になり前回と同じ様な検査
そして同じ様な診断結果
「家族の方をお呼びすることは可能ですか?」
のセリフに思わず
あぁ・・本当にドラマみたいなこと言うんだな・・
って思ったのを鮮明に覚えている

オレは西日本の出身で、
震災を機に福島に行ってたのね
なので福島には親戚縁者はもちろん、友達もいない

そのことを言うと
「まだ確定診断ではないけど
大きさからみても多分初期の癌の可能性が高いと思います。
もし入院、手術となればどうされますか?」
との問いだったので
「知り合いが居ない地での入院は不安なので、
地元に戻ります」と答えた

地元の一番大きな病院に紹介状を書いてもらい、
それから一週間後地元に戻った

地元の病院に福島での検査結果データを渡し
色々問診された

「こんな小さい影よく見つけたね~(12mm)
もしこれが悪性腫瘍だとしても
早期発見出来て幸いと思っていいと思います。
ただ念のためMRIとPETを撮って
他に転移が無いか調べましょう」
とのことだったので、
また次の週に予約を入れてもらった

次の週予定通りMRIとPETの検査、
そしてその結果発表がまたその10日後
この微妙な間が本当に辛かった。

親しい友人には
「聞いてくれよ~ オレ癌かもしれないw
でももしそうだとしても、初期だろうし
腫瘍も小さいみたいだから
ちゃちゃっと手術して直ぐ復活できると思うわww」
なんて半分虚勢を張って気を紛らわせて過ごした

そして結果発表の日、診察室に入ると
既に色んな写真や資料が並べてあった

先生の説明が始まる。
「先ずはMRIの結果ですが・・・
脳に異常は見られませんでした」

一安心する。

「次にPETの結果ですが・・・」
机の正面の光るところに
何枚か写真をさしていく先生
ん?なんか赤くなってる所が3か所あるぞ・・・

先生
「残念ながらリンパ節に2か所転移が見られます」
オレ
「え・・まじすか・・・
ということはどういう事になりますか?」

その時机の上の書類に目がとまる。
外科医からのその書類に赤文字で書かれていたのは
手術不可 の4文字だった

その時の先生との会話ははっきりとは覚えてないが、
かいつまんで言うと

※手術は不可能
(意味がないという言い方だった気がする)

※手術出来ない以上
治療は抗がん剤と放射線治療になるだろう

※癌のステージは3-b 転
移のレベルはN-3(maxらしい)

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※余命宣告する段階ではない

※ステージの話や治療法の話は
あくまで悪性腫瘍であると仮定しての話
来週組織をとって生研して
先ずは病気を確定させましょう

とのことだった。

淡々と説明し、
検査予約を入れている先生に聞いてみた

「もし・・というか多分癌なんだろうけど
(福島での所見に癌の疑いが強いと書いてあったし)
そうだと仮定した場合
ぶっちゃけ余命はどのくらいですか?
大体の平均とか一般論でも構わないんで
教えて下さい!」

先生
「今の段階で私が言う事は・・・
697さんはインターネットとか結構やりそうですよね
色んなデータがあると思いますので、
そういうのも参考になると思います」

なんかあきらかに明言を避けてる感じがした

先生の説明が終わり受付に行って
次回の検査の予約や会計を待ってる間に
先生に言われた通りgoogleを開き
肺がん ステージ3 転移 手術不可 余命・・・
等のキーワードを入れて検索してみる

見たくない現実が否が応にも目に入ってきた。
サイトによって数字にバラつきはあるものの
ステージ3-b手術後の5年後生存率が
だいたい15~25% 

え・・手術後でその数字?手術不可のオレは??
この瞬間が今までで一番血の気が引いたと思う。
というわけでこれが第二の修羅場

この先も修羅場はあるのでもう
第○の修羅場とか言わないね

予約を完了し会計を済ませて病院を出た。
まだ朝の10時位だったのを覚えてる

先ずはお袋に電話しなくては・・・
「もしもし・・オレだめみたいやわ。転移しとった。
親父や兄弟にはまだ言わんとって」
みたいな事言ったと思う

遠隔転移かどうかわからないけど、
後で確定した病名は
「局所進行性肺腺癌 縦隔リンパ節転移」
というものでした。

そしてこれは1年以上前の話なので
限度額適用認定はしてもらいました

続けますね
半ば放心状態で街をフラフラ歩きながら
色んな事を考えてた
「手術でパッと治るんじゃねーのかよ・・
手術なんてレーシックしかしたことないから
ちょっと楽しみにしてたのにな
初の入院をして看護婦さんに看護してほしかったな・・」

とかホントしょーもない事ばかり頭に浮かんだ

そしてこれは後に他の癌患者さんや
2chの癌患者スレの多くの人と一致した思いは
「東京オリンピック見たかったな」だった。

実際には検査結果が確定し、
放射線.抗がん剤治療をするうえで
念願の?入院するんだけどね^^

治療方針(抗がん剤+放射線)が確定し、
2~3週間入院→1~2週間通院を何回か繰り返して
一応治療は終了となった

途中の何回かの検査の結果も悪くないみたいで、
先生からも治療は順調ですとの言葉を貰った。

後は1か月置きのCT検査
それで様子を見て大丈夫そうなら
3か月置きに検査しましょうとのこと。

1か月後、2回目、3回目と検査を重ね
治療終了から丁度1年経った
こないだの検査結果発表の日
先生から
「また少し大きくなってます。再発です」と言われた。

これが今現在進行中の修羅場
ちょっと吐き出したくなって
初めてカキコしてみました。

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