両親に育てられたが、本当の父も母もわからなかった。
詳しいことはわからないままだし、
割愛してる部分もあるので、
ネタだと思って読んでいただいても。
物心ついた時から母が本当の母じゃないのは知ってた。
赤ん坊の時から育ててくれて、
私がいつか傷つかないようにと、
小さい時から本当のことをうまく説明してくれてた。
私を生んだ女性のことは母もあまり聞いてないようだったし、
私も興味がなかった。
そして母は溺愛というには有り余るほど
私を愛してくれて、おかげさまで私は卑屈になったことはなかった。
父は田舎の長男ということで
周りから「次は男の子を」と熱望されてたけど、
父と母の間に子供はできなかった。
何年待ってもできないもんだから、
気の強い祖母や親戚たちが、よく母に
「子ができないからわざわざ子のいる男を狙った」
と父のいないところでイヤミを言ってた。
そして両親は不妊治療を思いついた。
父には既に私という子供がいるので不妊の原因は母らしいけど、
初診は夫婦そろってという事で、二人で検査に行った。
父が仕事の都合で結果を聞かず帰ってしまい、
母だけが結果を聞いて帰ってきて、
「やはり私が原因です」と言った。
周りから責められたけど、父母は別れなかった。
父は自分と子供に尽くしてくれる母と別れる気なんかなかったし、
母は「私ちゃんと離れるなんてできない!」と言ってくれた
何より私が母にベッタリだった。
しかしその後父が死んで母は私を連れて家を出た。
女の子とはいえ家の跡取りは私しかいないのに、
母と親戚が話し合った後、すんなり家を出ることができた。
私は親戚に挨拶もせず、手早く家から連れ出された。
遠くの地で母との生活が始まった。
母は相変わらず優しかった。
父が残してくれたお金もあったので、
母の収入でなんとか母子2人生きていけた。
私が大学2年の時、母が突然倒れて病院に運ばれた。
治らない病気だと知り、
私はショックでショックでたまらなかった。
しかし私以上に母がすごく深刻な顔をするようになった。
「治ることだけ考えようよ」と励ましても、
母は「・・・いえ、いいえ違うのよ」と、困った顔で首を振った。
そしてやたら家に帰りたいと言うように。
無理もないと思うけど、母の様子はなんか必死だった。さらに私には「私ちゃんは自分のことだけしてたらいいのよ。お母さんの部屋は汚いから掃除なんかしないでね。お母さんすぐ退院して自分でするから」と。
いい人にめぐり逢い私も母親になるので、
お墓に報告に行く記念にカキコ。