娘と商店街の中の喫茶店で、2人でプリンを食べるのがたまの贅沢だった

あと数日で私は誕生日なんだけど、
誕生日に百年の恋も冷めた話。昔の話で長いです。

(元)夫が不倫して相手に本気になって、
私に離婚を迫っていたけど、私は拒否していた。
意地もあったしプライドもあった。
なにより、夫のことが好きだった。
大学の時からつき合い始めて、
20代から30代半ばまでをずっと一緒に過ごした。
そう簡単に諦められなかった。

夫との間には娘が一人、当時小学2年生だった。
毎日、娘が学校から帰ってくると、
手をつないで駅前商店街に買い物に出かけた。
商店街の中の喫茶店で、2人でプリンを食べるのがたまの贅沢だった。
プリンを買って帰って家で食べればもっと安上がりだけど、
喫茶店という非日常の空間でしばらく過ごすことが、私にとっての息抜きだった。
本当はもっとお高いケーキやパフェを食べたかったし、娘にも食べさせてやりたかった。
でも、なにしろ夫が不倫相手に貢いで一銭も家に入れなくなってしまったので、
私のパート勤めの稼ぎだけでは心細くてプリン以上の贅沢はできなかった。

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私の誕生日は、お金もないし夫は不倫相手の家から帰ってこないしで、
特別なことをする予定はなかったけど、
前の日から、娘がなんだかニヤニヤそわそわしている。
きっと何かプレゼントをくれるんだろうな、その機会をうかがってるんだろうなと、
私もちょっとドキドキしていた。

誕生日当日、いつものように、夕方、商店街に2人で買い物に出かけた。
買い物を終えて帰ろうとすると、娘が私の手を引っ張って「ママ、お誕生日だよね」と言う。
私が「そうよ」とうなずくと、
娘は「ママはプリン好きだよね、だからプリンをおごってあげる」。
「えっ」と驚いている私を引っ張って、娘はいつもの喫茶店の前に立った。
私「でも、(娘)ちゃん、お金はあるの?」
「あるよ!」と娘は自慢そうに、ポーチから犬の顔の形の財布(私がフェルトで作った)を出した。
中に、忘れもしない、380円きっかり入っていた。コインの重なり方まで覚えている。
プリンは380円なのだ。
まだ月々のお小遣いはあげてなかったし、
正月に親戚からいただくお年玉は貯金させていたから、
お手伝いをした時にもらう小銭をためていたらしい。
それまでの誕生日プレゼントは、手作りの画用紙バッグとかそういうもので、
現金が絡むものは初めてだった。

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喫茶店に入ると、娘はウェイトレスさんに
精一杯大人ぶった口調で「プリンひとつ」と注文した。
私が「(娘)ちゃんは食べないの?」と訊くと、
娘はそこは子供に戻って「食べる」と言うので、
ウェイトレスさんにもう一つプリンを注文し、伝票を分けてくれるよう頼んだ。
プリンが来ると、なぜか娘は自分の前に置かれたのを私の方に押しやり、
私のを自分の方に引き寄せ、
スプーンを取って私に渡しながら「お誕生日おめでとう!」と告げた。

泣きそうになった。
でもここで泣くわけにはいかなかった。
「ママにプリンをおごる」という一大イベントに興奮して緊張して
顔を赤くしている娘の前で、
泣くわけにはいかなかった。
もう味など分からなかった。けれど娘は自分の分を食べるのを後回しにして、
私の方に身を乗り出しては、何度も「おいしい?」と訊いてきた。
いつもの店の食べ慣れたプリンなのに。
私は全力で涙をこらえて「おいしいよ!すごくおいしい!」と答えた。

レジカウンターは娘が背伸びして、やっと顔が出るくらいの高さだった。
そこで、犬形の財布からお金を出し、
手を伸ばして私の分を払っている娘の背中を見ながら、
「私は何をやっているんだろう」と考えた。
「こんなに良い娘がいるのに、あんなやつ(夫)に固執して、現実を見失っている場合か」
と思った瞬間、夫に対する百年の恋も冷め果てた。

弁護士を雇って、慰謝料をもらい、
娘が大学を出るまでの養育費と学費を決めて離婚した。
これらのお金をバックレる元夫が多いらしいが、夫は意外にもちゃんと約束を守ったので驚いた。

娘はもう社会人で独立している。私は気楽なおひとり様を満喫している。
娘が時々、うちに帰ってくるというか訪ねてくる時は、必ずプリンを買ってくる。
どうも、あの時以来「ママはプリンが大好きだ」と思い込んでいるようなのだ。
でも、今はお金のある娘がいくら高級で有名なプリンを買ってきてくれても、
あの時以上の、おいしくて尊いプリンはないだろう。
ちなみに今は、プリンはモロゾフが好きです。

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