中学の時、学年全員で障害者と
その家族の講演を聞いたが内容が胸糞だった。

健常者として生まれた康(やすし)さんは
事故に遭って肢体不自由と知的障害含む障害が
残ってしまった。

両親は「私達が死んだらこの子はどうなるの」
と思い康さんのために弟を作った。
康さんの弟には
「康を介助してくれる子になってほしい」という願いから
「康介(こうすけ)」と命名。

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両親は康介さんに「あなたがお兄ちゃんの面倒を見るのよ」
「ママとパパが死んだら康介ちゃんがいるから安心ね」と言って育てた。

そのお陰で、康介さんはかなり小さい時から
お兄ちゃんのお世話をして頑張ってくれた、

幼稚園のお泊まり保育も
「お兄ちゃんが寂しがったらいけないから」
と自主的に休んでくれた、
康介さんには彼女もできたが彼女が康さんの介護を
嫌がるからすぐ別れてしまった、
康介がいるから康を任せて夫婦で出かけることが
できるなどのエピソードを微笑ましいテンションで語っていて怖かった。

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講演には両親の他、ベッドみたいな特殊な車椅子に乗って
何も言わない康さん、康介さんも来ていて、
康介さんも
「僕には普通の子と違って友達と遊んだ経験はありませんが、
僕には兄を世話するという特別な役割があるので
友達と遊びたいなんて思ったことは一度もありません。」
「僕は将来、奥さんと子供達みんなで兄を介護していきたい」
「新婚旅行で奥さんと2人で兄の車椅子を押しながら沖縄に行くことが夢です!」
と瞳を輝かせながら語っていた。

康介さんは当時高校生で1年生だったと思う。
(制服姿で来ていた)
まだ結婚もしていない当時中学生だった彼女さんに
兄の介護をさせようとしたのか?とものすごいモヤモヤした。

しかも、康さんの上には「健」という息子さんもいるらしく、
「健には健の人生があるのだから普通の
子供らしく康のことは気にせずのびのびと成長してほしい」
「康には康介がいるから健は友達と遊んだり、勉強したり、
彼女とデートしたり、遠方の大学で充実した生活を送ることができる。」
と言っていたことから長男には全く康さんの
介護はさせていないと思われる。

もちろん。これらの名前はフェイクなのだが、
長男と次男の名前を合わせると良い意味の熟語になることと、
障害がある次男のために作られた三男が
次男の名前に「介」という文字を足した名前になるのは事実。

先生方の中にも講演の後に両親を批判している人が
何人かいたのを覚えている。

学年主任だけは「感動した」とその後何ヶ月もことあるごとに
康さん家族の話をしてきてみんながうんざりしていた。

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