私のグループの4人は「底辺」が集まった

昭和の終わりごろの話。
中学2年の時の春の遠足が、「野外調理実習」だった。
男女2人ずつの4人1グループで、河原で石を積んでかまどを作り、火を起こして、
食材と食器(紙皿や紙コップとか)を持って行って料理を作る、というもの。

グループ分けは「組みたい人同士」だったので、
自動的にというか自然にというか、
私のグループの4人は、
いじめられている、ハブられている、皆に加わろうとしない、なんだか暗い、
という要素を抱えた「底辺」が集まった、というか集まらざるを得なかった。
私は自分を含めて「わあ、この4人で何をどうしろというんだ」と内心で青くなった。

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何を使って何を作るか、というのは各グループの自由に任されていたので、
打ち合わせでは、他のグループが、
カレーがいいとか豚汁だとか、飯盒でご飯を炊こうとか、
(河原は公園になっていて、希望者は公園の管理事務所から薪を買ったり飯盒や寸胴鍋が借りられる)
キャッキャと盛り上がるなか、
私達4人は上目遣いで相手の顔色をうかがいながら黙っていた。

私の家は両親共稼ぎで、私は小さいころから簡単な家事は教わっていたので、
時間も限られた中で、しかもキッチンでなく河原なんぞでまともなものは作れまい、
しかも慣れない飯盒なんかでご飯を炊くのは大変だ、と思った。
それでむすっとしているほかの3人に
「他にアイデアがなければ、チャーハンにしない?」と提案してみた。

各自、家から前日の残りご飯を1膳ずつと卵1つずつ、
4人で分担して、ピーマン、ウインナ、玉ねぎ、
にんじんをみじん切りにしたものを密閉容器に1つずつ、
うちに大きな中華鍋があって、それは私が担いでいくし、
「チャーハンの素」も持っていくから、
誰かサラダ油を少し持ってきて、
そうしたら火を起こしてすぐ、持ってきたものを
全部中華鍋に放り込んで炒めればいい。
3人は「なるほど」とうなずき、
そのうちの1人が、
「サラダ油持って行く。それと、うちの兄貴、キャンプによく行くから、
缶入りの固形燃料借りてくる。
そうしたら薪だって要らない」と言ったので、すぐに話はまとまった。

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私のグループが薪も買わず飯盒や寸胴鍋も借りなかったことで、
他のグループから「何作るんだ」「作らないんじゃないの」
「昼飯抜きか」とかの陰口も聞こえてきたが、
私達は陰口や悪口を無視することには慣れている。

当日、他のグループが薪になかなか火がつかず料理が始められなかったり、、
寸胴鍋一杯の水がなかなか沸かなくてカレーの野菜を煮られなかったり、
飯盒で水の量がわからなくて米が糊状のお粥になったりする中で。

私と、固形燃料の1人以外の2人は、
1人は紙皿や紙コップのほかに、ポットでお湯と、
インスタントスープを持ってきたので、汁物もできた。
1人はしばし姿を消していたので「やっぱり1人でいたいのかな」と思っていたところ、
のそっと薮の中から現れて、まだ生きているヤマメ(だったと思う)を2匹、差し出した。
「釣り道具持ってきてたの!?」と改めてびっくりした
(なにせハブられ同士、互いの持ち物や行動をよく見ていなかった)。
その子が紙皿の上でヤマメをさばいて塩焼きにしてくれ、副菜に半身だが焼き魚も加わった。

私達がおいしく食事をして、後片付けが終わっても、
他のグループは全員まだ調理の途中だった。
そいつらに「ずるい!」「飯、炊かなかったのかよ!反則だ!」とかギャーギャー言われたが、
何を作ろうと各グループの自由だったんだし、私達は陰口や悪口を(ry
そして私達4人はそれをきっかけに仲良くなった、なら美しいんだけど、
その時だけは親しく話したものの、以降は再び4人とも1人ぼっちを選ぶ生活に戻った。
でもいい思い出ではある。

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