明日、離婚届が提出されるらしいです。 今日のこの日を、俺はずっと忘れることはできないと思います。

うちも、明日、離婚届が提出されるらしいです。
理由は、妻の結婚生活の放棄。
何度も考えを改めてくれるように頼み込んだけど、
まったく理解してくれようとせず、次第に、
パワハラのような状況になり、一時は、
「私のパワハラが原因で離婚」
という絵まで描かれていました。

まあ、何かを要求したパワハラでもないですが、
行ったことは事実なので、理由にしたければすればいいと
思いますが、継続困難と判断し、こちら分を記入した
離婚届を渡しました。

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彼女は来月、海外旅行を予定しているらしく、
「もとの苗字でパスポートを作るから、離婚届を早く出したい」
と言っていますが、暗い週末を過ごしたくないため、
週明けまで待ってほしい、と懇願。
彼女は、明日の朝イチにでも、提出しに行くんだろう、と思います。

私の場合は、スレ主様とは違い、家族、友達にも相談できましたが、
全員が、「バツイチなんてたいしたことない」とか、
「また新しい人を」としか言ってくれません。
だから、孤立無援と感じるかもしれませんが、
「力になってほしい」と考えるのは難しいかもしれませんよ。

私は、過去に彼女がいたことがなく、初彼女と結婚しました。
とは言え、ロマンチックなことはひとつもなく、私が既に37。
彼女が更に11歳年上でした。
年齢の話をすると、ここでなくても荒れると思いますが、
そんな年齢だけに、浮気することもなく、
穏やかな結婚生活が送れるだろう、という計算はありました。

ですが、実際、浮気とか、そういう話ではないものの、
その年齢まで結婚せずにいた、ということは、少なからず、
「結婚生活への適応力のなさ」を表していたんだと思います。

彼女は、テニスに、スノボに、目一杯身体を
動かすことが大好きで、私はそういう、アクティブなところに
惹かれたのですが、次第に、そういった動きに対して
窮屈さを感じたのでしょう。
私は、毎週末毎に遊びに行くことにも、
文句を言ったことはありませんが、彼女の選んだ答えは、
「やっぱり、結婚は不必要」というものだったのでしょう。
私の言葉など、まったく通らず、環境だけがどんどん整って、
離婚せざるを得ない状況に追い込まれてしまいました。

彼女はパスポート申請の件もあり、離婚届の提出を心待ちにしています。
だから、明日、間違いなく、提出はされるのでしょう。
私は、結婚生活の最後の夜を、酒の力を借りて過ごしています。

そして、明日は普通に仕事のために出勤。
その仕事中に提出され、その旨をメールされるはずです。
会社の、極近しい人達には離婚することを伝えていますが、
明日の私は、気落ちした様子を回りに見せないように
気を使わなければなりません。

私は、離婚なんて芸能界だけの話だと思っていましたし、
まさか、自分の身に降りかかる話だなどと、
考えてはいませんでした。

区役所が開くのは、あと10時間足らずのことでしょう。
それを過ぎれば、私は「バツイチ」になります。
そして、こんな状態で再婚なんか欲しません。

初めての、そして、最後の伴侶との数時間を、
私に与えられた罪として、過ごそうと思っています。

とうとう、離婚届が提出される日を迎えました。
彼女は提出を心待ちにしているので、提出後、
喜びさえ含んだメールを投げてくると思われます。
「おまえの心の整理など待ってられない」とばかりに環境だけが整い、
受け入れなければならない、とわかってはいるものの、
メールを受ければ、やはり気落ちはしてしまうと思われます。
今日は帰りまで、携帯の電源を切っておくつもりです。

彼女との生活は、本当に辛いものでしたから、
これが、この先も続くとなると、正直、気が重いです。
しかし、「でも続けたい」と思っていたし、
「わざとだろうから、気持ちひとつで彼女は変わってくれる」
と、付き合いから二年半、結婚してから一年間、
信じ込もうとしていました。
でも、「悪気はないのに、相手を不快にしてしまう人間」
というのが確かにいたのです。
ひょっとすると、我々は、そういうものなのかもしれません。
だからこそ、気遣いや思いやりが必要なのだと思いますが、
彼女には、それらが欠けていたのだと思います。
年齢のことを言うのは失礼だと思いますが、事実として、
そのことを見抜かれたため、40歳後半まで独身だったのだと思います。

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先週の木曜日、そんな彼女でも、
少しは「何かしたい」と感じたのでしょう。
夕方に食事をしに行きました。
そして、自転車を置いた駅までの道すがらに、
ジャケットのファスナーに付ける、
小さなマスコットを買ってあげました。
8ヶ月ぶりに、「こんな、何でもない夫婦になりたかった」
と感じた、幸せな時間でした。

そして、家に帰り、「明日、離婚届を提出するつもり」と言われました。
暗い週末を過ごしたくないため、提出は今日にしてもらいましたが、
来るべき時が来たことへの動揺で、また、いつものように、
自室でボロ泣きしていました。

私達は、転居当時から別々に部屋を持っており、
「就寝後は相手を起こさない」というルールで
生活をしていたのですが、自分の気持ちが最後まで
通じなかったことがあまりに虚しく、思いが溢れ、
彼女を起こしました。

そして、「俺も、君も、部屋を決めた。
来月には、お互いに新しい生活になる。
もう離婚を止めることが、俺にはできない。
だけど、これだけは忘れないでくれ。
俺はタヒぬ気で君を愛していた。
君を愛した男がいたことだけは覚えておいてください」
と、ボロ泣きしながら告げました。

しかしながら、翌日、言われた言葉は、
「何だか知らないけど、寝てるの、起こさないでくれる?」でした。
こう書くと、私が単に嫌われているだけのようにも見えますが、
その後の出来事として、
「また、ご飯食べに行きましょう」と言われています。

ですので、単に「嫌いな相手を責めている」のではなく、
思いやりの能力が決定的に欠如しているんだと思います。
それほどまでに、「自分の決定事項を貫くこと」を
重視しているんだと思います。

とにかく、辛い生活でした。
ただ、その終わりを、嬉しいものとして受け入れることはできません。
今日のこの日を、俺はずっと忘れることはできないと思います。

あの後、提出した旨のメールを受け取り、
離婚が完了したことを知らされました。

今になって思えば、完全に、50番様の言う通りだったと思います。

初めて、「結婚したい人がいる」として、
彼女を私の実家に連れて行った時から、
私の母は、結婚に大反対でした。
私も決して若くはありませんが、彼女は、私よりも、更に10歳の年上。
「子供ができない」というのも、親にしてみれば
大きな問題であるとは思いますが、それも含めて、
「相手の年齢なんて、つまらないことを理由に結婚に反対するな!」
と、母親に逆ギレして、無理やりに結婚式をあげました。
もちろん、「年齢ウンヌン」は本心ですが、たぶん、
「どうしようもない理由で責められている彼女を庇う」
ことに、ある種、酔っていたのだと思います。

また、ご指摘にあるように、「いつか変わってくれる」
と思っていましたし、「彼女を変える」とまで考えていました。

両親、妹夫婦、友人などが皆、
「別れた方がいい」と言う中、数々の助言を無視し、
強引に婚姻生活を続けてきました。

心から、「夫婦は仲が良い方がいいに決まってる」と思いますし、
「時間が経てば、この違和感も解消される」と信じ、
相手との関係構築を試みた結果、相手に捨てられる、という、
最悪の結果を迎えてしまいました。

ただ、全て、自業自得ですよね。
私はもう二度と結婚はしませんが、
自分の考えに舞い上がった結果の痛みだと
思っています。

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