憎悪に満ちた目で「やる気が無くなった」と言われた瞬間に私の中の息子は死んだ

何か注意されると「今やろうと思ってた」と反論する。
そして必ず「やる気なくした」と
続く家族の話があったけれど、家の息子もそうだった。

「言われて無くなるような程度のやる気なんて、
初めから無かったと同じだよ」

「やらなくていい理由が無いから、
私の言葉を利用して責任転嫁しないで」

と言い返していたが、

「ウルサイ」「放っといて」

と言われて心が折れて放置することにした。
夫は今も昔も空気だった。
息子の教育とか親子関係とかを考えるのが邪魔臭いのだろうなと思う。

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私は、息子が脱ぎっぱなしの服を文字通り、
踏んだり蹴ったりした。
文句を言われても「床に服があるはずがないから気が付かなかった」
とシレッと言い返した。

洗わず放置の弁当箱も「洗いなさい」と言わなかった。
洗わずに朝に提出しても弁当は作らず、
昼食の金も出さなかった。

服をハンガーにかける時も有ったが、
放置もあった。息子は懲りなかった。
私も、その他のいろいろな事にも何も言わないようにした。
放置と思われた夏休みの宿題にも、
身を入れていないと思われた大学の受験勉強にも声かけしなかった。
自分の息子なのに「うるさい」「やる気なくした」と
何度何度も言われて心が折れた。私もその程度の母親だった。

結果として息子が自制できるようになったのなら良いけれど、
息子は夏休みの宿題の提出をせず、朝も起きず遅刻が多くて
高校を留年しそうになり、
学校から私も呼び出されて教師から「無責任」と叱られた。
が、放置した。

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大学は1浪して入学したが、
息子の通っていた進学校の感覚ではとても残念なレベルの大学だった。
残念と言えば残念だけど、ああ、そうだろうなとしか思わなかった。
ザマアミロまでは思わなかった。大学も1留した。
就職活動は、1浪1留と高校のレベルに見合わない大学も
一因と思われ、なかなか内定が取れなったようだ。
その頃の親子関係は下宿人とおばさんの様だった。
険悪ではなく挨拶もするし軽い会話もあったが、
決して踏み込んだ話は
しなかった。私は何も聞かなかったし、
息子も話さなかった。

息子はようやく就職したが、
すぐに辞めて転職し遠方に引っ越していった。
携帯番号や住所は知らされているが私から電話も
しないし、訪ねても行かない、息
子も電話もかけてこないし帰省もしてこない。

私は寂しいとも思わない。
もっと高齢になったら後悔するかもしれない。
でも、仕方ないねとしか思わない。
あの日、憎悪に満ちた目で
「やる気が無くなった」と言われた瞬間に私の中の息子は死んだ。
息子にとっては母親が死んだのだが、
こちらは別に成人した今、困ることはないだろう。
「やる気がなくなった」と言われても、
言い方やタイミングを変えて工夫して声掛けしていたら、
息子は卒業したのとは違う
大学を卒業し、今とは違う会社に勤めていたのかなと思う事もある。
けれど、「言っても言わなくても一緒だった」、
「あれは仕方なかった」、「どこの大学を卒業したか

 どこの会社に勤めて
いるかなんて息子の人生で私のじゃないし」
と無関心というか自己を弁護する言い訳を考えてしまう。

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