僕は難病のAさんに対してわざと車いすを押して転ばせたり、長くないんでしょ、なんて言った事もありました。

中学の時、隣のクラスに
凄く体の弱い女の子Aがいた。

難病で(病名は覚えてない)、
基本は入院しつつたまに登校してくるらしい。

2年の時に数回見たけど、
3年の時は一回しか見なかった。

で、その子が3年の3学期に亡くなった。

同い年の子が亡くなるという事は
それはそれで衝撃だったけど、その後が…

その子が2年の時に同じクラスだったBと言う男子が居たんだけど、
そいつはまさに何でも出来る奴。

スポーツ万能、勉強は全国トップクラス、
背が高くて色んなコンクールに入賞、正義感が強く、
学級委員で、もちろん超モテモテ。

そのBが、Aが登校する時にはなにくれと
世話をしていたらしい。

スポンサーリンク

それもまた好感度アップ。

で、Aが亡くなった後、追悼集会が開かれた。
そこでAの事を気にかけていたからか、
優秀だったからか、Bが作文を読む事に。

その内容が凄かった。

「僕はAさんに対して酷(ヒド)い事をしていました。
わざと車いすを押して転ばせたり、酷い事を言ったりしました。
○○という病気の事を知り、長くないんでしょ、なんて言った事もありました。
Aさんはそれを聞いて泣いていました。静かにポロポロと涙を流していました。
Aさんが亡くなった事で僕はもうAさんに謝る事が出来ない。
これからの人生をAさんに対して謝罪しながら生きて行くしかない。
命大事、後悔先に立たず、イジメかっこ悪い」

ってな内容。
これを涙ながらに全校生徒の前で読んだ。

こっちはもうポカーーーーーン。

教師はなにか満足げに感無量と言った体(テイ)で頷(ウナズ)いている。
読み終わった後、泣き崩れるBを教師が抱きかかえるようにして退場した。

ざわつく会場。
教師が

「いい話でした。皆も命は大事にね!イジメかっこ悪い!改心したB君を見習おうね!」

ってな感じの説教をしたが、
普段のBのイメージが優等生だっただけに、まさに衝撃的。

その後、クラス単位でHRがあったんだけど、
それはまさにBの糾弾大会と化し、今度は教師がポカーーン。

「悪いことをしても反省したんだ。反省した人間を追い詰めるのは良くない!」

と言う教師に対して、口の達者な女子が

「反省したからと言って許されることとそうでない事があると思います!」

と反論し、みんな拍手。
何故か分からないけど、教師はみんな

「自分の恥をさらし、心底反省しているBは凄い、出来る事じゃない」

スポンサーリンク

と思っていたらしく、この反応に戸惑っていた。
どこのクラスもそうだったみたいで、
Bはそれ以来悪口影口の対象になってしまった。

それまでパーフェクト男だった訳で、
妬(ネタ)んでた奴もいたし、逆に虐(イジ)められるように。

それと、A親も黙ってなかった。

緊急のPTAの会に来て話をして行ったらしい。
Aが登校する際は入院してた病院からだったんだけど、
聞いた所によると
AとAの主治医が何週間も前から体調を整え、
本人もそれを励みに治療をしていたらしいが

段々気力を無くし、治療を拒(コバ)み、
楽しみにしていた学校には行かないと言い

最終的には「もう自分は死ぬんだから」
とノイローゼになって毎日毎日泣いてばかりいたらしい。

もちろん長くない事はA以外みんな知っていて、
それを前提に「好きな事をさせましょう」
という感じだったらしいんだけど

Aのその態度にA両親は自分を散々責めたという。
でもふたを開けたら実は心無い同級生のせいだったと知り、
もう正気を保つのが精いっぱいで

「しれっとお葬式に来て焼香して行ったBが憎い。
あんな奴に娘の最期の別れをさせたなんて」

と大泣きしてたそうだ。
で、倒れて救急車で運ばれて行ったって。
それとA親とB親とも色々あったらしい。
何と言っても全校生徒の前で虐め認めちゃってるしね。
家にPTAひきつれて乗り込んでBたちを責めたとか。

その後、虐められても無視されても
ごみくず扱いされてもBは登校してきて

普通に受験して某一流私立大学付属高校を受験、そして合格。
もちろん公立は受けずにそこに行くことを決めた。

そしてA親が国公立の試験が終わった後、
その某一流私大付属にクレームをつけた。

高校側はあっさりと入学取り消し。
でも普通高校はもう入試は終わってる。
しかも自分らの中学付属高校も入学を認めなかった。
こうなったら一浪するか、超底辺の受け皿的な高校位しか無い。
で、結局Bは高校浪人に。

学校では
「こんな大した事の無い私立に入ってくれた超英才なB様!」

ってな扱いだったのに、気持ちいい位の勢いで手のひら返した。
Bと同じ町内の我が家は、
その後のBの荒れっぷりをよく知ってる。

「止めなさいB!!」

「いい加減にしろ!」

だのの大声や何かが壊れる音なんていつもだった。
結局Bのその後の動静は自分が大学入るまで聞かず(と言うか忘れてた)、
後で聞いた所によると中学卒業以来ずっといわゆる引きこもり。

進学で地元離れて長期の休みに戻ってきた時、コ
ンビニですげーデブを見かけた。
何か知ってるやつだ…と思ったら間違いなくBだった。
Bはうつむいて変な早足でドアに体当たりするくらいの勢いで
店を出て行って

超一流私大付属高校に受かるほどの頭脳を持ち、
誰からも慕(シタ)われてた中学時代のBの面影はなかった。
プライドの高い奴だったから、
何もかもがダメだったんじゃないかと思う。
そして数年後にB一家は引っ越して行った。

あれから15年たって、
自分も結婚して子供も出来たんだけど
自分の息子か娘がもしAの様な立場になったらと思うと、
これ位されてもしょうがないだろうと思ってしまった。

ただのイジメならまだしも、
難病の子に長くない、なんて言うとは。
何も考えてなかったのかもしれない。
死ぬって事を理解できてなかったのかもしれない。
でもどれだけ言い訳されたって、
反省されたって許される事じゃないもんね。

スポンサーリンク