パチカス両親にパチンコ店で「ここで待ってて」→知らないおじさん「うちの子にならないか?」

身バレするとマズいので5割は俺の創作、
ということにしておく。
創作なので辻褄が合わない所もたくさんあるが
スルーして欲しい。

当時俺は幼稚園生ぐらいの年齢で
今で言う所謂ネグレクトというやつだった。
両親共にパチカスで、俺と妹(当時まだ乳飲み子)は
両親がパチ屋で遊んでる間は
家か車かパチ店かで適当に過ごしていた。

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幸い暴力の虐待などはなく、
本当に子どもに興味がない、
という感じだったんだと思う。

両親に遊んでもらった記憶はなく、
おもちゃなども家に全くなかったので、
広告の裏に鉛筆でひたすら絵を書いて遊んでいた。

生きていく最低限のことはやってもらっていて、
お風呂も時々だけど入れたし、
食べ物も両親の気が向いた時や、
近所からの頂き物?のお菓子か何かがあるときは
それごとくれることもあった。

ギャンブルで勝ったときは両親の機嫌も良くて、
本当に時々だけど
ファミレスに連れて行ってもらったこともある。
(これが子どもながらに一番嬉しかったw)

妹はまだ産まれたばかりでミルクももらっていたけど、
両親がいない時は俺がミルクをあげたりもしていた。

初めは泣いていてもどうするべきか分からず
そのままにしていたが、
母親と同じようにすれば泣き止むのかなと考えて、
台所にあるミルクの缶で
見よう見まねでミルクを作ってあげた。

今思うと量って入れたわけではなかったので
分量とかめちゃくちゃで
飲ませて良かったのかわからないけど、
当時は妹もゴクゴク飲んでたので安心した記憶がある。

あとオムツも替えてあげたが
ウンチの時はどうしたらいいか分からず放置していた。
(帰ってきてから母親が替えていた)

そんなある日、
俺と妹は両親に連れられてパチに行き、
2人が遊んでる間俺は買ったオニギリを持たされ
入り口のベンチ?みたいなところで食べながら待っていた。
(妹は母親におんぶ紐で背負われていた)

すると、よく見るおじさんが声を掛けてきた。
おじさんは遊びに来ているわけではなく、
その隣にあったスーパーに来ていて
いつもパチ屋の前を通っていた。

いつも何か食べたか?とか
喉乾いてないか?とか聞いてきて
時々食べ物とか飲み物をくれたりするので
俺はそのおじさんが好きだったw

その日もいつも通り何か飲むか?と聞かれたので
ペットボトルのお茶をもらった。
お茶を飲みながら話をしていると、
おじさんが急に真面目な顔になり、
おじさんの家に来るか?と聞いてきた。

母親に知らない人に着いて行くなと言われていたし、
行っちゃダメだと分かっていたけど、
家に来れば美味しいオムライス作ってやるぞと言われて、
まぁ勝利真が遊び終わるまでに
また戻って来ればいいか、と思い、
ついて行くことにした。

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おじさんの家に着くと、優しそうなおばさんがいて
よく来たね、言って頭を撫でてきた。
おばさんはオムライスを作ってくれて、
そのオムライスがめちゃくちゃ美味くて、
貪るように完食した俺を見て2人は少し泣いていた。

その後色々と質問をされて、
最後にうちの子にならないか?と聞かれた。

裕福な暮らしはできないかもしれないけど、
休みの日にみんなで公園に行ったり、
遊園地や動物園に行ったり、
誕生日には大きなケーキを買おう、
みたいなことを言われ、
当時そんなことを経験したこともなく、
家族でそんなことをするのは
テレビの世界のことだと思っていた俺は
イマイチ実感は沸かなかったが、ポロっと
「明日もオムライスたべれる?」と聞いてしまった。

今思うと馬鹿だなぁと思うけど
その時は妹とか親のことよりも何よりも
オムライスをまた食べたいという気持ちが勝ってしまい、
明日も明後日も作ってあげると言う
おばさんの顔を見ながら
「じゃあなろうかな」と言ってしまった。

その後のことはあまり覚えていないが、
俺は名前を変え、引越しをし、
おじさんとおばさんのことを
お父さんお母さんと呼ぶようになった。

新しい名前には中々馴染めなかったが、
子どもながらに
勝手に知らない人について行ってしまったことや
妹を置いてきてしまった罪悪感もあり、
絶対に本当の名前を知られてはいけない、と
必死に紙に書いて覚え、間違えたりしないよう努力した。

新しい両親は本当の息子のように育ててくれた。
幼稚園にも学校にも行けたし、
毎日美味しいご飯も食べられたし、
仕事から帰ってきた父は
毎日俺をお風呂に入れてくれた。
休みの日には
お弁当を持ってピクニックをしたりもした。

もちろん駄目なことをした時には思い切り叱られたし、
小学生高学年になった頃には
もう前の家族のことなんて
ほとんど思い出さないぐらいだった。

二度目の引っ越しの時(父の転勤)、押入れの中に
母と知らない小さな男の子がうつっている写真を
見つけたことがあった。
誰だろうとは思ったが、
聞いてはいけないことのような気がして
そのままあった場所に戻しておいた。

その後中学、高校を出て
大学にも行かせてもらい、無事就職した。
大学にも行かせてくれた両親には本当に感謝している。

就職先で縁あって今は嫁も娘もいるが、
生い立ちは話していない。
嫁は父と母を本当の両親だと思っている。

両親のしたことが正しいとは少しも思っていないし、
俺のために動いたであろう警察の方や地域の方、
また本当の両親と妹には本当に申し訳ないと思っている。

今幸せだからこそ、あの時ついていかなければ
どうなっていただろうと思うこともあるし、
妹はどんな人生を
送っているのだろうと思うこともあるが、
今は大事な嫁と娘、
そして両親との幸せを大事にしたい、と思う。

父と母の犯した罪は許されることではないが、
一生一緒にその罪を背負っていかなければ、
と思っているし、
このまま墓場まで持って行こうと思う。

以上です。俺の話を聞いてくれて有難う。

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