妊娠中にふっと主人がいなくなり五年ほど経った時 主人が赤ん坊を抱えて帰ってきました

私は六十のおばさん(おばあさん?)です。
昔語りを聞いてください。

二十とちょっとで嫁いだのは、
旧家で両親も祖父母もまだ健在の家でした。
農家ではありませんが、土地はたくさんあるので、
土地を貸して暮らしている家でした。

祖父母と両親はいい人たちで、
よくある嫁いびりは一切なく
遠くから嫁いできた私に優しくしてくれました。
野菜主体の食卓だったので、
海のある土地から来たから魚が食べたかろうと
わざわざ魚屋を御用聞きさせてくれました。

それなのに一人息子の主人が、
だんだん私に冷たくなって来ました。
私達は恋愛結婚で、
主人がこれでなきゃ結婚はしないと言って
望まれて結婚したはずだったんですが。

二人目を妊娠中にふっと主人がいなくなりました。
まわりもびっくりして手を尽くして探したのですが、
見つかりません。
二人目が産まれても帰って来ませんでした。

それでもその家で子供二人がいるので暮らしていました。

五年ほど経った時
主人が赤ん坊を抱えて帰ってきました。
自分の子で認知したと。
あわててやぎの乳でその子を育てました。

私も三人目を妊娠しました。
しばらくは優しくしてくれ、楽しかったと思うのですが、
父の顔を知らない下の子が主人に上手に甘えられなくて、
主人が苛立ち手を上げようとしたのを
私がかぶさってかばったら、
ふいっとまたいなくなってしまいました。

三人目は生まれました。
この子も父の顔を知らずに大きくなるのかと
絶望的な気持ちでしたが、
一緒に怒ってくれ泣いてくれ
優しくしてくれる両親と祖父母を支えに
四人育てていました。

それから数年後主人が亡きがらになって帰って来ました。
赤ん坊を抱いた女の人が一緒で
この子に遺産をくれ泣き叫んでいましたが、
生命保険にも入っていなくて生家のものはまだ祖父名義。
分けるものなどなく、
父がいくばくか握らせて帰ってもらいましたが、
また赤ん坊が残されました。
認知はしてありました。

それから五人育てながら、
祖父母を見送り両親も見送りました。

遺産相続等いろいろありましたが、
祖父、父共にいろいろ対策してくれましたので
なんとか五人大学までだし
希望の子にはそれ以上の事もしてやれました。

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後は老いていく私が、一人暮らせるだけ残っています。
五人ともいろんなところで生活していて、
一緒に暮らそうとか遊びに来てとか
配偶者と共に誘ってくれますが、
私は両親祖父母のようになれない自覚があるので、
一人暮らしが無理になったら
この家を処分して施設に入るつもりです。

いまだに夢にまで見ます。
恋愛結婚したのに、
なぜあの人は黙って行ってしまったんだろう。
私の何が嫌なのか
なぜちゃんと言ってくれなかったのかと考えています。

どうして私は、幸せな結婚生活を送れなかったのだろうと
もんもんと考えるような人間が
配偶者と幸せに暮らしている
子供達のところになんて行けません。

人生ってなんなんでしょうね。

携帯メールから初めてパソコン教室行って、
パソコンメール覚えてword覚えて
インターネットで買い物するようになり、
こういうところに出入りするようになりました。

こういうところはお若い人が多いでしょうに、
優しいお言葉ありがとう。
ぼけ防止に始めたけれど、
若い人の話が聞けたり、知らない世界を読んだり
面白いです。

亡くなった主人は、みなさんの言われるように
甘ったれだったのかもしれません。
私は下宿屋の娘だったのですが、
恋仲になり絶対反対されるから
駆け落ちしようと言われてました。

それが優しく受け入れてもらったのが、
間違いの始まりだったのでしょうか。

私は性格悪いんです。
なので両親祖父母があまりにいい人だったので
同じようにできる自信はこれっぱかしもありません。

その上子供達がそれぞれの配偶者から、
愛され大事にされているのをみると
うらやましくって仕方がありません。
私もそうされたかった。
だから距離が必要なんです。

孫は遠いので、最近はスカイプで話してます。
便利な世の中ですよね。

孫はあくまで親の責任なので、
私が無責任に甘やかしていけません。
やり過ぎてしまいそうですので、
ぐっとこらえて絶対に口を出さないようにしてます。

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