私が不倫をしてしまった原因は
仕事があまりにも順調にいきすぎたという事、
それに尽きる
勿論そんなの何の言い訳にもなりはしないけど
特定されると困るから焦点ボカすけど、
私は某メーカーに入社し、そこの技術開発部に所属していた
そこでの仕事ぶりはまあ身贔屓入れても
中の上ぐらいなものだったんじゃないかな
可もなく不可もなく日々こなしてるって感じ、
向いてるけど達成感みたいなものはなかったと思う
で、私は入社三年目くらいから
営業部に自社が開発している新製品の
機能説明をする担当になった
うちの製品は他社に比べて
これこれこういう部分が優れていて、
他所は何処が劣っているとか
逆に自社は他所に比べて
何処が劣っているのかもきちんと説明した
それで劣っている部分は
こういう風にフォローしていったら良いとか、
私なりに営業の視点に立った戦略を練って説明をした
その仕事ぶりを当時の営業課長、
つまり私が浮気してしまった相手に認められて
営業部に配置転換されたわけ
「君の説明は凄く分かりやすいから
きっと営業の方が向いてるよ」って勧誘されて
技術開発に未練がなかったわけじゃないけど、
そこは完全に男社会だったし、
やっぱり仕事ぶりが認められるっていうのは嬉しかったし、
結局私は営業部転属の話を引き受けることにした
課長の言う通り私は営業部の水が合ってたらしく
2年目で先輩の4倍近く売り上げるようになっていた
技術畑にいたというのが凄く強みになっていたと思う
自社製品を売り込みに行ったら
他社のマシンがトラブル起こしていて、
私が直してみせて大きな仕事を貰えた事もあった
当時の私の年俸は二十代にして既に700万近くになっていた
「ほらね?俺の見立て通り向いてたろ?」
って課長に言われ
「はい、ありがとうございます!」みたいな感じで
私は彼の秘蔵っ子みたいな感じで
重宝して特別に育ててもらっていたと思う
売り上げを伸ばして自信がつくと
自社の粗も目立つようになる
それでカタログやパンフレットやらにも口出すようになって、
じゃ、君が好きに編集していいよって言われて、
うちの会社に出入りしてる印刷屋さんに
デザイナーを紹介してもらったの
それが私の未来の夫だった
これがもう完全に私のドストライクにタイプの人で、
当時彼は他に好きな人がいて
相手も彼に好意を持ってたらしんだけど、
私が強引に割り込んで自分を売り込んで、
つきあって~つきあって~って猛烈アタック
公私混同もいいとこだけど
毎日夜更けまで携帯かけまくった
正直私がこんな肉食系だとは思いもよらかった、
新たな自分を発見した思いだった
でも課長はそれが凄く面白くなかったらしい
せっかく育てた営業部の逸材を
みすみす印刷屋下請けのデザイナーごときに
渡せるかっていうんで、
未来の夫の出入りを止めさせようと裏工作しようとしたの
で、それに私が気づいて烈火のごとく怒ったもんだから
渋々課長は折れて容認した
結局課長が危惧した通り、
私は彼と結婚してすぐ子供を授かって職場を離れてしまった
だって大好きなんだもん
私が職場を離れても
課長は毎年私に暑中見舞いと年賀状を出してくれて、
必ず最後に職場復帰する際は
ご連絡下さいと書き添えられていた
ここまで読んで課長が私に気があったんじゃないの?
って思う人が居るかもしれないけど、
そうかもしれないけど、私はそうは受け取らなかった
何故なら私の営業成績は
課長をそうさせるに十分なものだったから
多分その時は純粋な気持ちで
そう書いてくれていたんだと思っている
でも結局私は三人の子供を授かって、
育児生活に追われて職場復帰どころではなく、
十余年の月日が流れてしまっていた
その間に課長は部長に昇進していた
で、上の子が小6になって
始めて三人の子を進学させるのに
我が家はかなりお金が足りないという事に気づいたわけ
幸か不幸かうちの子は三人共勉強がかなり出来る
間違いなく大学まで進学するだろうことは
容易に予想できたので、さあこれは困ったぞと
夫も
「僕の給料がもっと高ければいいんだけど、ごめん」
って頭を下げられた
「大丈夫、心配しないで、私も働くから」って
十余年が過ぎてはじめて私は毎年書き添えられていた
職場復帰の言葉をリアルに考えるようになった
夫に相談し、私は部長(課長)に電話した
「お茶くみで良いので雇ってください」って
こんなおばさんにお茶くみもないけど、
とにかく何か仕事くださいって頼んでみた
部長は「ようやく決心してくれたんだね」って
雇用担当に頼んでくれて、私はすぐに採用された
十何年ぶりかに出社してみると
営業部の面子もかなり変わっていて
課長も部長に昇進していたし、
同期のぺーぺー君が係長や課長になっていた
「やー全然変わっちゃいましたね、私ついていけるかな」
って部長に言ったら
「君は才能あるから直ぐに追いつけるさ」
って励ましてもらって
「や~あなたが伝説の」とか「お噂はかねがね」とか
若い子達に持ち上げられて
「部長いったいどんな紹介したんですか」
って私が言ったら「俺は事実しか言ってないよ」って
まぁ、そんなこんなで私は再び元の会社に復帰したわけだ
私はしばらく部長付きの秘書兼営業という事で
行動を共にする事になった
手前味噌で恐縮だけど、
やはり私には営業の才能があるようで、
成績はみるみる若い子のそれを追い抜いていった
「噂通りですね」って言われて素直に嬉しかった
技術開発に居た影響で
多少の機能的不満はプログラム書き換えさせて
臨機応変に対応できたのも強みだった
技術開発時代の同僚も偉くなってたし色々助けてもらった
夫の存在も大きい
そこそこ大きい会社だから当然トラブルもあった
私が落ち込んでも、
君には四人の強力なサポーターがいることを
忘れないでって言って慰めてくれた
会社を辞めても帰れる家があるんだよって
その言葉で開き直れた
私は部長と一緒に次々難敵を陥落させていって、
三年目には圧倒的な売り上げを評価され社長賞を頂いた
私の年俸はあっさり夫を超えていった
来年から部長は常務、
私は二段跳びで次長との内示がきた、嬉しかった
当時の夫の年俸は350万弱
年齢的に考えるとけして高いほうではない
でも私は彼を軽んじてなどいなかったし、
年俸が再び高くなっても彼への愛は不変だった思っていた
三人の子供も思いやりのある子に育ってくれて
私は大好きだった
私自身も愛されていた
でも私は家族の信頼をあっさり裏切ってしまった
1年余の月日を経て、
じわじわと蘇ってくる記憶を頼りに考えてみると、
その頃既に私の心の中に綻びが
あちこち出来ていたように思う
いや思う、ではなく、出来ていたんだ、うん
二人で成果を挙げだした時のことを
改めて思い出してみると
語彙不足な私は上手く表現できないけれど、
そこに恍惚とした甘い何かを私は感じていた
多分部長もそれは感じていたと思う
それを達成感と一言で片付ける事もできるけど、
違うね、私の本心が違うと言ってる
それに行動を共にすると、お互い波長を合わせようとするから
そこに阿吽の呼吸みたいなものが出きてくる
それは仕事においては良いことなのだけれど、
男女の関係においては微妙な危険をはらむものだ
たとえば冗談の言い合いとかでも
絶妙なタイミングで切り返せるようになる
「まるで夫婦みたいですね」と同僚にからかわれたりした
「だって家のかみさんよりも一緒に居る時間が長いもんな」
って部長に言われて
その言葉を聞いて確かに私は
まんざらでもない気分になっていたんだ
思い出すと凄く胸が痛むけどそれが事実なの
これはもう潜在的な不貞行為だったと思う
それに二人で一緒に行動してるからって
社食でいつも向かい合わせに昼食とっていたのもマズかった
危機管理がきちんとしている人なら
お弁当にするとかして何とか上手く回避するはず
私はそれをせず
「たまには外に蕎麦でも食いにいくか」と誘われると、
それすら断りもせずそそくさと部長と行動を共にした
完全に緩んでいた
そして私は決定的な過ちを犯してしまう
思い出すと心臓がギュッと締め付けられる
凄く苦しい
私と部長は2年越しで超大型顧客獲得に奔走していた
そこは仕入れ担当と競合他社が鉄板の関係を結んでいて
実質上落城は不可能だと社員の誰もが思っていた
しかし落とせば約百億の大きな仕事、やり甲斐はある
競合他社は仕入れ担当にいわゆる袖の下を使っていた
まあそれくらいの仕事になると
我が社もそういう手を使うから
人のことをとやかくは言えないけど
その仕入れ担当は年間2~3千万くらいの
バックマージンを貰っているという噂もあった
それどころか何処かのコンパニオンを営業担当に雇い、
誘惑させていたという話もある
正面から当たっても落城は不可能だと判断した私達は、
つてを使って仕入れ担当の上司に取り入った
別の会社の交合で偶然を装って接近し、
ゴルフ接待にもっていった
部長はそういう方向に持っていくのが絶妙に上手い
私も下手糞ながらに同行した
帰りに飲ませてタクシー代といって必ず十万渡した
当然特別営業費で落としたけど
それでようやく小さな仕事は貰えるようになった
汚いと思われるかもしれないけど、
この国にはいまだにそういう風習が残っている
私達は遠まわしに御社の仕入れ担当が
数千万円のバックマージンを貰っていると
担当上司に吹き込んだ
競合他社が他所に降ろしている価格を調べて教え、
御社はこの価格で仕入れているはずだから
差額がこれだけある、
残りは何処に行っちゃったんでしょうかね?
みたいな事を言ったら
「あいつそんなに抜いてやがったのか!」ってさすがに怒ってた
そういえばポルシェを買ったとか言ってたとか
何とかえらく憤っていた
結局、仕入れ担当が
二ヶ月の短期出張に行ってる間にそれを告発し、
仕入れ担当は出張先で戻れぬ身となった
私達がそれを知ったのは部長と外回りをしている最中だった
午後4時くらいで会社に戻る途中だったと記憶してる
部長の携帯に連絡が入って
「お宅の製品を入れるようになったから、よろしく」
と言ってきたらしい
「やった~~~!!」って、
二人で人前もはばからず万歳三唱した
だって百億の仕事だ、今までの仕事とは桁が違う
「やった~!」って言いながら
万歳した手で部長とハイタッチ
そして「よかったね~」と言いながらお互いハグし合った
この時は3年以上経った今でも
厭らしい気持ちはなかったと思っている
しかしハグはやりすぎだった、猛省しなければならない
とにかくその時周りの人が
私達を奇異の目で見てたのだけは覚えてる
「飲みに行こう!」って部長が言って
「はいお供します!」って私は応えた
今まで二人っきりで飲みに行ったことは一度もない、
さすがにそれはない
同じ部署の仲間と一緒に飲むことはたまにあるけど、
それも駅前の立ち飲み焼き鳥屋だ
でも今日は特別、
だって百億の仕事とったんだから
上司と二人っきりで飲んでも
許してくれるはずってこの時私は考えてた
ほろ酔い加減で帰って、夫に抱きついて、
今日の快挙を褒めてもらおうと思ってた
甘かった
「今日はちょっとお高いところに行きますか!」
って部長が言って
「いいですね~」って私は高揚した気分で応えた
高級割烹料理屋に行った
それぞれ個室に分かれていて
掘りごたつ状になってるところだった
そこでお高い酒を飲みながら
二人で我が社の行く末について熱く語り合った
「これからは商品を売るだけじゃ駄目だ、
文化を作っていかないと」
「文化ですか」
「たとえばソニーがウォークマンを作ったときの様に、
商品がそのまま文化になっていくものを作っていかないと
結局決まったパイの奪い合いになるだけだ」
「分かります、今の日本には
かつての文化を発信するパワーを失ってますよね」
「そうそう機能性ばかり重視して、
オタクにおもねた商品ばかり作ってる」とか
「少子化を何とかしないとどうにもならんよ、
うちは自発的に女性の社会復帰を促進させるべきだ」
「政府がとか誰かのせいにしてる場合じゃないですよね」
とか
そんな上から目線の話をしながら、
だから私達の会社をああしようとか
こういう風にしていくべきだとか延々と語り合った。
お酒の力もあって、
まるで天下を取ったような恍惚とした心地よい時間だった
しかしそのお店は人気店だったので三時間でお開き
ああ、このまま帰りたくないなって私は思った
この心地いい時間をもっと共有していたいって私は思った
店を出て涼風を浴びながら部長は自分の腕時計を確認した
まだ帰りたくない
私は次の店へ行こうという誘いの言葉を待っていた
「まだちょっと早いな」部長が言った
私は凄く嬉しかった
「カラオケでも行こうか」
「良いですね!パ~っと歌っちゃいましょう!」
部長がタクシーに手を挙げた
最寄のカラオケルームのあるビルの前に着けてもらった
そこは五階建てのビルだった
五階全部カラオケルームで占められていた
私達は受付をすませ、部屋の中に入った
私達はそこでもお酒を飲んだ
ハイな気持ちをキープしたいと思った
だからピッチも早かった
最初はお互いに十八番を選曲した
次に子供がいつも歌ってる最近の人気曲を披露し合った
子供が小さい頃の曲を歌ってお互い爆笑した
嫌でも覚えちゃうよねぇとか言ってはしゃいだ
部長がページをめくりながら
「デュエットしちゃう?」と言った
私は「いいですよ」と答えた
本当は少し躊躇したけど、
そこまで意識することでもないかと思い直した
私達はデュエットソングを並んで歌い始めた
最初はお互い遠慮しながら歌っていたけど、
歌ってるうちに盛り上がってきた
気付いたら部長が私の肩を抱いていた
私達は途中でマイクを一つにして
自分のパートを交互に歌いだした
何曲もそうやって歌っているうちに気分が高揚してきた
そして彼は次の曲がかかる前にさりげなく背後に廻った
何だかドキドキした
曲がかかりだした
歌ってる途中で彼は私の腰にそっと手を添え、
ゆっくり体を密着させてきた
ドキッとした
気づかない振りしてそのまま歌い続けた
でも本当はときめいた。
今日だけだから
一線を超えた訳ではないから
明日から元の生活に戻れば良い事だから
これぐらいは大丈夫
今日は特別
これぐらいは百億の仕事を取った私達の
成功報酬として許される範囲よねって
頑張った者同志のエールの交換みたいなものだって
ほろ酔い加減の私は恍惚とした意識の中で、
そんな馬鹿げた事を思ってた
私達は暫く互いの感情をぶつけ合った
これはすべて飛んでた記憶だ
思いだすたびに私は頭を抱える
苦しすぎて悶絶する
今でも仕事場で急に頭を抱えて心配をかける事がある
そして決定的な過ちを犯す瞬間が来た
私は酔った手つきで選曲用のリモコンの操作がおぼつかず、
部長が私の横に座って手伝ってくれようとした
「どれどれ」って言いながら彼の顔が私の横に迫った
ドキドキした
ソファーにつく私の指先に彼の指先が偶然触った
私はそれを分かっていて避けなかった
彼のゴツゴツした指先が私の指先に徐々に重なっていった
完全に手と手が重なって、彼は指をギュッ結んだ
私もギュッと結び返した
彼が私の肩を抱き寄せ、唇を重ねた
タバコの臭いがした
「今日だけ、な、いいだろ?」
切羽詰った声で彼は言った
私はチラッとドアの小窓を見た
光の反射で外が見えなかった
「もう、奥さんにしてもらいなさいよ」
「すまない、どうにも収まりがつかない」
私は指先にギュッと力を込めた
私達はまた唇を重ねた
ま、少しくらいなら良いかな
明日になれば元の二人、
何くわぬ顔で日常に戻れば誰も傷つかない
そんな軽い乗りだった
最低な女だった
ドンドンドン!ドンドンドン!
入り口のドアが激しく鳴った
私達は慌てて体を離した
「店員だな、防犯ビデオで見られたか」
「やだ、口紅着いちゃってるわよ」
私達はお互いに肩をすくめペロッと舌を出した
場所を代えたい、私は思った
きっと彼もそう思っていたはず
彼が席を立ち、入り口のドアを開けた
「お母さん…」
制服姿の青ざめた長女がそこに立っていた
浮かれた私が地獄の底に落ちた瞬間だ
最悪な事に長女の後ろには
保育園時代からの仲良しのR菜ちゃんが
虚ろな目をして立っていた
あ~筆舌に尽くしがたい、
書いていて自分のことながらに戦慄が走る
「お母さん?」
怪訝そうに彼が私を振り返った
ああ、これが偶然であろうはずがない
私はそれまで神仏について深く考えた事はないけど、
この時ハッキリ神の存在を確信した
だって、たまたま私達はここへカラオケに来て、
たまたまここの五階の部屋を取って、
長女が塾の帰りに最寄のカラオケルームに行ったら
満室で3駅先のここに来て、
同じ五階の部屋なんて、そんな偶然があるはずないもの
私を信頼しきった夫や長男次女の映像が
私の脳裏で粉々に砕け散った
「M和…」
私は蚊の鳴くような声で長女の名を言うことしかできなかった
「お、お母さん何してるの?ここで…」
「ひょっとしてこの子は君の…」
「長女です」
「長女ですじゃないよ!
この人と何してるの?答えてよ!ねぇお母さん!」
詰め寄る長女が私の肩をつかみ前後に強く揺らした
「ごめんなさい…」
だって、それしか言えない
「きみ…」
事態を察した部長が止めに入った
長女はその手を振り払い
「お母さん!みんなお母さんの事を大好きなんだよ?
S美だってお兄ちゃんだって、
みんなお母さんが大好きなんだよ?
どうしてこんな事をしてるのよ!ねえお母さん!
お父さんにこれどう説明するの?何か言ってよ、ねえってば!」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「き、キミちょっと…」
「あなた誰なんですか!?会社の方ですか!?」
気丈な長女が部長に詰め寄った
「私は…」
「名刺見せてください!」
部長は名刺入れから長女に名刺を手渡した
きっと彼の薬指のリングを確認したのだろう長女は
「あなたも家族持ちなんじゃない!最低!」
と言って彼の頬を叩いた
「すまない、こんなつもりじゃなかったんだ」
「どういうつもりだったんですか!」
「酒を飲んでて少し自分を見失ってしまったようだ、
本当にすまない」
「ねえお母さんこの人こんな事言ってるよ!
お母さんはお酒を飲むとそういう事を平気で出来ちゃう人なの?
今まで私達が信頼してきたお母さんはそんな人だったの!?
ねえお母さん!」
「ごめんねM和…ごめん」
ぐうの音も出ないとはこの事だ、
自分で穴を掘って生き埋めにされた方がまだマシだと思った
「違うんだ、大口の仕事で成功して、それで浮かれてしまって、
誓う!僕とキミのお母さんは
今までこんな事をしたことは一度もない、
一緒に飲みに行ったのも初めてなんだ、な、そうだろうキミ」
部長が私の同意を求めたけど私は頷く事ができなかった
だってそんなのは何の言い訳にもならないことぐらい
十分理解していたから
「汚いよ!二人とも汚いよ!汚い!」
長女が泣きじゃくりながら叫んだ
後ろから「どうしたの?」と
ルームメートがぞろぞろと外に出てきた
気を利かせた親友のR菜ちゃんが
「行こう」って言ってルームメートを
エレベーターの方へ引っ張っていってくれた
「すまない、僕らに少し時間をくれないか、
頭が混乱してるから整理したいんだ、頼む、直ぐ帰るから」
彼はそう言って長女を諭した
「お母さん、この人と逃げる気なの?」
私は黙って首を横に振った
「逃げたりしない、必ず帰る、
だから頼む、少し時間をくれないか」
「逃げたら一生許さないからねお母さん、
私あなたの事を凄く好きだったけど、凄く尊敬してたけど、
逃げたらあなたの記憶を金輪際
未来永劫記憶の中から消し去るからね」
グサッと来た
心臓を抉り取られたような気がした
「M和、大丈夫、母さん必ず帰るから」
声を絞り出しながら辛うじてそう言った。
「タクシーに乗りなさい」そう言って
部長は財布を取り出し彼女にお金を手渡そうとした
「要らない!あなたが出すのが筋でしょ、
さっさと出しなさいよ!」
もはやお母さんとも言わなくなった長女が私に手を出した
私は一万円札を取り出し手渡した
「心配しなくていいよ、ちゃんとお釣りは返すからね、
帰ってこれたらの話だけど」
そう吐き捨てると長女は帰っていった
「参ったな…」
部長は膝に手をつき、
さすがに焦燥感を募らせているようだった
「帰ります」
「僕も一緒に出よう」
受付まで降りるエレベーターの中に気まずい静寂が訪れた
一緒に外に出て彼は私にタクシーを呼んでくれようとしたけど、
私はそれを断った
「少し気分が悪いから電車で帰る」
「そうか、お互いどう対処したらいいか
帰り道頭を冷やして冷静に考えよう」
そう言うと彼は自分のタクシーを止めて町の中へ消えていった
彼のタクシーが町の光の中に完全に見えなくなると、
私は電信柱の横にこれまで飲んで食べた物を全部吐き出した
お願い!夢から覚めて!
何度も心の中でそう叫んだけど、
口の中の酸っぱい胃酸の香りが現実を知らせた
逃げたら絶対許さないという長女の言葉を思い出した
そうだ、私には帰らなければならない
それが私の責任なんだから
タクシーに乗る、降りる、
マンションのセキュリティボタンを押す、開く、
エレベーターの前まで歩く…
死刑囚が絞首台に乗せられるまでの心境を
私は理解することができる
行けば必ず死ぬと分かってて、
あえてそこに行かなければならない心境
ドアノブに手をかける時のあの心境
思い出すだけで冷や汗が流れてくるわ
ギイ・・・ってドアが開いて
玄関に夫と長女と次女の靴があって
ああ、長男はまだ帰ってないのかって
そういう記憶だけはやけに鮮明に覚えてる
玄関の照明は消されていて、
薄暗くて自分でスイッチ押したら
私の荷物がどっさりまとめられていた
ギョッとした
私、捨てられちゃうんだって思った
何もかも失っちゃうんだって思った
長い間苦労して努力して創り上げた
自慢の城が全てぶち壊し
泣きそうだった
でも泣いたら終わり
だって傷つけたのは私なのだから、泣くのはおかしい、
私が泣くのは筋が通らない
それぐらいの判断をする冷静さはあった
リビングの証明は点いているのに物音ひとつしない
不気味な静けさだった
怖い、入りたくないよって凄く思った
入れば捨てられちゃう
心は拒否反応を示すけど、
何故か足はリビングの入り口に勝手に進んでいく
リビングの入り口に立つ私
黙ってソファーに座る夫が視界に入った
いつもは優しくお帰り!と言ってくれるキス魔の夫が
声一つ発せず腕組みをしながら目を瞑ってた
続いてパソコン机の椅子に座る長女と
地べたに腰を降ろした次女が視界に入った
誰も何も言わない
私は静かに夫の前に立つと床に正座し土下座した
「すいません」
それしか言い様がなかった
「ただいまを言わないって事は
帰るべき家ではないって自覚はあるみたいだね、
ちゃんと荷物はまとめておいてあげたから」
長女が冷たく言った
ビクン!とした
自業自得だけど帰りたくない!って思った
捨てないで!って思った
「事情は概ね聞いたよ、
一応君からも説明してくれないか」
いつもキラキラ輝いてる愛情に満ちた夫の瞳は、
黒く沼の底の様に濁って見えた
「はい…」
「お母さん、他の人のこと好きになっちゃったの?」
兄妹の中で一番私にベッタリな次女が泣きそうな声で私に言った
私は小さく首を横に振って否定した
「他の人のとこに行っちゃうの?」
次女が続けて言った
私は応えようがなかった
それは夫が裁くべきことだから
「お母さん…」
出て行くのかと思ったのか次女が泣き出した
「へ~好きでもない人とあんな事出来ちゃうんだ?最低だね!」
長女の怒号が響いた
「ごめんなさい」
長女は情に厚く正義感の強い子だから
余計に私の事が許せなかったと思う
「M和は黙ってなさい」
夫が長女を嗜めて、私に発言を促した
私はザックリとした事のあらましを夫に伝えた
欠けてる部分を長女が補足したりした
長女は私たちの後にカラオケルームに来て、
小窓から私が知らない男の人と居るのを発見したらしい
不穏な空気を察した長女は
トイレに行くふりをして何度も偵察に来ていたそうだ
R菜ちゃんは私と面識があるので
途中で私の存在に気がついて
長女と一緒に心配してくれていたらしい
それでいよいよ私たちが明確な不倫行為をはじめたとき、
堪らずドアを叩いたと
最悪だと思った
最悪の母親だと思った
「君のその上司に電話しなさい」
夫はそう言ってさっき長女に手渡した名詞を私に差し出した
「はい、あの、どう言えば…」
「来てもらって話し合うしかないだろう」
「はい」
私は部長に電話した
奥さんが出た
「あの、○○(私の名)です、
いろいろご迷惑をおかけして夜分遅くに申し訳ありません」
「ああ、あなた電話よ!」
冷たい奥さんの声質から、
既に私達の不貞行為を聞かされてる事が分かった
「ああ、こっちは今話し終わったよ」
部長の声がした
かなり疲れてる様子だった
「あの…、主人が来てもらいなさいって」
「今から?明日じゃ駄目かな」
私はチラと夫の方を見てから
「お願い、今日来て」と小声で頼んだ
「う~ん、こっちも事情がね」
奥さんの心象を気にしている口ぶりだった
「そっちが来れないならこっちが行きますが」
夫が私から受話器をひったくると、
上ずった声でそう言った
「ああそうですか、じゃ妻と一緒に
明朝会社に出向きますよ、それで良いですか」
「オイ!あんたの都合なんかどうだって良いんだよ!
今からそっち行くから待ってろ!」
「ああん?最初からそう言えよ馬鹿!」
夫は怒鳴りつけるとガチャン!と受話器を置いた
私が始めてみる夫の姿だった
夫はソファにドスン!と腰掛けた
待つ間、誰も何も言わなかった
私は正座して永遠とも思える時間を過ごした
玄関のドアが開いた
「あ、お兄ちゃんだ」
次女が小声で言った
長男がリビングに顔を出した
「どうしたの」
異様な光景に長男が驚いて言った
「お兄ちゃん何処行ってたのよ!」
長女が言った
「あいや、ちょっと友達とマージャン…、で、どうしたの?」
正座してる私を見ながら長男が言った
「この人がね!浮気したの!」
「浮気?」
素っ頓狂な長男の声
「そう!会社の上司とね、カラオケルームでキスしてたの!」
「ハハ、うそだろ?またまた~」
「嘘じゃないよ!私がこの目でハッキリ見たんだから!
R菜ちゃんも一緒に見たんだから!」
「R菜ちゃんもって…え、え~?ちょっと待ってよ…ウソだろ」
「これから先方がこっちに来るから、お前も着替えてきなさい」
「ちょっと待って、母さんが浮気だなんて信じらんぇよ、
みんなで俺を驚かそうとして…」
「私だってウソだって思いたいよ!でも見ちゃったんだもん!
私がこの目でみちゃったんだもん!
嘘だと思うならR菜ちゃんに電話して聞いてみなよ!」
「信じらんねぇよ、俺、
母さんはそういう事とは一番遠い人だと思ってたから」
「着替えなさい、もうじき来る頃だ」
長男がガン!と拳で柱を叩いた
「ア~!」と叫びながら長男がリビングを出ていった
私が家庭の明かりを消してしまった
昨日まであんなに輝いていた
私の家庭を私が自ら消してしまった
何でこうなった、何で…
思い出せない、どうしたんだろう私
私の携帯に部長から連絡が入った
下まで来たと言うので部屋番号を教え、解錠ボタンを押した
チャイムが鳴った
夫が席を立ち、玄関のドアを開けた
部長夫婦が入ってきた
部長は入室するなり夫の前に膝を着き土下座した
「申し訳ない」
「申し訳ありませんでした」
私も部長の奥さんの前に膝を着き土下座して謝罪した
「この人は初めてだって言うけどどうなんですか?」
奥さんの声が頭上で響いた
「それは誓って言う!本当だ!」
「どうだか、私は前々から怪しいと思ってましたよ、
ただの平社員に毎年毎年年賀状に
会社に帰ってきてくれ、みたいな事書いて」
「それは純粋に社の為を思ってだ!
現に彼女の成績は社で抜きん出て…」
「それでそちらに目移りしたんじゃないですか?
見ればお顔立ちも随分お綺麗でいらっしゃるし、
男の人は若い子の方が良いって言いますからねぇ」
「若いったってお前、彼女だってもういい歳だぞ」
「ふん」
「ただの気の迷いだ、
たとえば君と彼女が崖から落ちかけていても
僕は迷わず君を先に助けるよ」
「おい!」
長男が部長の胸倉を掴み殴りつけた
空手黒帯の長男の正拳で部長は後ろに吹っ飛んだ
「あらあら乱暴なお坊ちゃんね」
「なに?」
「暴力沙汰になるとそちらが不利になりますよ、
それでも良ければご自由に」
「くっ」
「聞けばウチのは火遊びだったようなので、
どうですか、ここはお互い様って事で穏便に済ますというのは」
同じ浮気でも男と女では重みが違う
男は火遊びで済まされるが女の浮気はそうはいかない
私だって崖から部長と夫が落ちかけてたら
迷うことなく夫を選ぶ
でも私が同じ事を言っても上滑りするだけだ
女の浮気は言い訳ができない
女は家庭を守る生き物なんだ
家庭の明かりは女が守る
給料を貰ってようが貰ってまいが関係ない
逆に男はお金さえ運んでくれば、浮気は火遊びで済まされる
「そちらは穏便に済んでもこっちは済まされないんでね」
ああ、やっぱり捨てられちゃうんだ私
体が震えた
「あらあら、可哀想に」
侮蔑の表情で部長の奥さんが私を見下ろした
「相殺にはしない、慰謝料は払う!」
「あなた、うちだって養育家やら何かとものいりなのよ」
「僕は上司だ、相殺は公平じゃない」
「分かりました、では双方の年俸の差額という事にしましょ」
「金の問題ではないんですがね」
「だって、お金以外に解決のしようがないじゃないですか」
「700万でどうた?それで頼む!」
「あなた!」
「慰謝料の話の前に一つ聞いても良いですか?」
「ああ、何でも答えるよ、
ここまで来て隠す事なんか何もないからな」
「見つからなかったらその先どうするつもりだったんですか?」
「う、そ、それは」
言い淀んだ部長は私の顔色を伺った
「どうなんです?あなた!」
「ど、どうって、カラオケボックスの中だぞ、
それ以上の事なんか出来る訳ないじゃないか、なぁ君」
部長が私に同意を求めた
記憶が飛んだ私は同意しようとしたけど、
何故か言葉が口から出なかった
「きみ」
「あらあら、ふしだらな女だこと」
「何がふしだらよ!あんな事して
何もする気がなかったって言葉信じるおばさんの方が
頭おかしんじゃないの?
この人はね、
今さら嘘ついてもしょうがないって思ってるから黙ってるの!
それくらい分からないの?いい歳して!」
「まぁ、キスくらいで騒ぐなんてまだまだ子供ね」
「キスだけじゃない」
「マジかよ」
「それだけじゃないよ!」
「何をしてたの?言ってごらんなさい!」
「君!」
「い、言えないよ!言えるわけないじゃん!」
「母さんが、ウソだろ」
「嘘じゃない!私友達にも見られちゃったんだよ!
今頃みんな大騒ぎだよ!明日学校行けないよ!」
「うわ、修羅場だな」
「お姉ちゃん可哀想」
「あなた!」
「すまん」
私何かした?
私は家族のために身を粉にして働いてきたのに
何でみんな私を責めるの?何でそんなに私を虐めるのよ!
記憶が失せた私は心の中でそう思った
本気で何も分からなくなった
言い訳しなかったのは
捨てられたくない一心だったから、それだけだった
結局、慰謝料等の話はまた後日仕切り直しという事になった
部長夫婦が去り、再び私達家族だけになった
私は正座したまま気まずい時間が流れた
「両親に電話しなさい」
「え」
私は時計を見た
間も無く日付けが変わる時間だった
「このままでは朝を迎えられないだろう」
夫は苛立っていた
私は怯えた
「はい、あの…」
「ああ、ちゃんと君の口から事情を説明しなさい」
「はい」
両親に自らの不貞を告げる時の心境は
想像を絶するものがあった
でも今にして思えばその痛み一つ一つが
再構築期間の猶予を与えてもらう為に
必要なステップだった様に感じている
実家に電話した
出ないで!って思った
お願いだから寝てて!って思った
呼び出し音を聞きながら
心臓が壊れそうなぐらいドキドキした
「もしもし」
父が出た
「私」
「どうした、こんな夜分遅くに」
「母さんは起きてる?」
「ああ、今ちょうど寝たとこだが代わるか?」
「ううん、いい、父さん、あのね」
電話の向こうの父は何も言わずに私の次の言葉を待っていた
多分私の口調で不穏な空気を察したのだと思う
「私ね、不倫しちゃったの」
父は相変わらず無言だった
「それでね、今家族会議になっててね、
父さんと母さんにも来てもらいなさいって」
言いながら泣きそうになり、思わず声を詰まらせた
でも必死で堪えた
ここで悲劇のヒロインを演じたら夫に捨てられると思ったから
「分かった、そっちに行けばいいんだな?
母さんも連れてすぐ行く」
「ごめんね」
父は私を咎めなかった
昔から起こしてしまったものはしょうがないと思う人だったから
でもきっと酷く心を痛めていたと思う
「すぐ来ますって」
「そうか、じゃ僕も親を呼ぼう、もう寝てると思うけど」
「すいません」
双方の両親はぴったり一時間後同時にやって来た
携帯で連絡取り合ったらしい
「この度は私の不貞のために
大変なご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした!」
私は夫の両親の前で土下座して詫びた
義母
「どういう事なの?いったい」
私はあやふやになってしまった自分の記憶に頼らず
長女の話を中心に全て話した
死ぬほど恥ずかしかったし
嘘で逃れたい気持ちがなかった訳ではない
先述した通り自己防衛本能が働いて
言い訳が口をつきそうに何度もなった
でも必死にそれを飲み込んだ
ハ~
母が大きくため息をついた
実母
「あんたあんなに上手くやってたじゃないの、
子供だって三人ともいい子に育って」
私子
「ごめんなさい」
義父
「私子ちゃん、酔っ払ってたの?」
私子
「酔ってはいました、
でも自我を失う程ではありませんでした」
お酒のせいにして逃れたい気持ちはあったけど
長女が私の応対を見てたし、
下手に正当化すれば自爆するだけと思い本当のことを話した
義母
「私子ちゃん前からその人の事を好きだったの?」
私子
「有能な上司だと思ってました、
でもそれ以上の感情を持ったことはありません」
長女
「とてもそうは見えなかったけどね」
地獄の番人の言葉に聞こえた
私子
「ごめんなさい、分かりません」
実母
「分からないって事ないでしょ、自分のことなのに」
先述した通り私は自分で自分が分からなくなっていた
義父
「二人で大きな仕事で成し遂げて、
その人の仕事ぶりに惚れてしまったんじゃないのかな」
正直この言葉が一番堪えた
今思い出しても胃がシクシクする
だって薄給の夫の立つ瀬がないないもの、
どう答えたらいいんだろうって思った
「そんなつもりはないです、
でも浮かれてたと思います、すいません」
実母
「夫婦円満だと安心してたのに、まったく」
義母
「どうするの?」
義母が夫に判決を求めた
いよいよ来た
お願いあなた捨てないで!何でもする!本当に何でもする!
家政婦としてでも良い!うちに置いて!捨てないで!
そう思いながら私は正座して夫の判決を待った
すると父が夫の前に立ち、膝を着いた
「おい」と言って
母にもそうする様に促した
母も父にならんで正座した
私も母の横に並んで正座した
「夫君、今回の娘の不貞はまったく弁解のし様がない、
私の娘ながら情けない限りだ、
気立ての良い子に育ってくれたと思っていたが、
どうやら私達の教育が間違っていたらしい、
君の心を著しく傷つけてしまった事を謝罪したい、面目ない!」
そう言って父は床に頭を擦り付けた
続いて母と私も頭を下げた
私のせいだ、私が両親にこんな無様なことをさせてしまった
心の中で浮かれて不貞を犯した自分自身を殴りつけた
夫君
「いえ、私子はもう親元を離れ分別のつくいっぱしの大人です、
この歳で親の責任というのはおかしい、
この事は私子と自分の問題ですから、
そんな謝り方をなさらないでください、頭を上げてください」
実父
「夫君、しかしこんな馬鹿な娘でも私にとっては可愛い娘なんだ」
ここで私は耐えられなくなって俯きながら泣いてしまった
どうしても我慢できなかった
夫君
「それは分かります」
実父
「だから頼む!もう一回だけ
私子にチャンスを与えてやってくれないか?」
夫君
「…」
実父
「慰謝料は私が払う、
もともと早めに財産分与しようと思っていたんだ、
都内に一軒家を建てよう」
夫君
「いえ、お金の問題では…」
実父
「分かってる、君が金に綺麗な男だという事は十分分かってる、
しかし私達にはそれぐらいしかできんのだ、
もし私子が猶予期間中に君の納得いく姿勢を示せなければ、
その家は君にそのまま進呈しよう、私が書面にしてもいい」
義母
「私子ちゃんはどうなの?」
私子
「え」
義母
「私子ちゃんはどうしたいの?」
私子
「やり直したいです!」
義母
「逆にその方が辛いって事もあるのよ?」
突き放してる様だけど、義母の言ってることはよく理解できた
猶予期間は針のむしろ生活が待ってるという事だ
私子
「それでもここに残りたいです!」
夫は腕組みをしたまま、しばらく考え込んでいました
夫君
「分かりました、でも条件があります」
実父
「本当かね、ありがとう、何でもやる、そうだな?私子」
私子
「はい!」
夫君
「ではおかあさん、彼女に料理を教えてあげてください」
実母
「え?ああ、はい、この子料理が下手だからねぇ」
実父
「お前がちゃんと教えてやらんから」
夫君
「いえ、難しい料理を教えてくださらなくてけっこうです、
まずリンゴの?き方から教えてあげてください」
実母
「え」
私子
「リンゴぐらい?けるわよ!」
はじめてまともな声で反論した
夫君
「M和、リンゴと包丁五本持ってきなさい」
長女
「うん」
長女は義父ね実家から送られてきたリンゴを
私と夫と三人兄妹に手渡した
包丁が足りないので夫だけ十得ナイフを持った
夫君
「むきなさい」
五人一緒にむき始めた
五人がむき終わった
皮が床に落ちた
私のが一番いびつで肉厚でブツ切れだった
切れ味が一番悪いはずの夫のリンゴの皮は
薄く長く一本に繋がっていた
実父
「おまえ、リンゴの皮むきも教えてやらんかったのか!」
実母
「だってそんなの私だって教わらずにできましたよ」
私子
「すいません」
実父
「こんな状態で嫁に出して申し訳ない!」
夫君
「それと味噌汁の作り方を教えてあげてください」
実母
「はい?」
夫君
「彼女はしょっぱいから塩分は体に悪いから
もう少し薄味にしてくれと何度言っても聞いてくれません」
私子
「すいません」
夫君
「信頼関係が成立していた時は
お互い様だと思って黙っていましたが、それが崩れた今、
彼女が私が早死にすることを望んでいるのではと
疑念を感じています」
私子
「そんな事ない!あなたが早死にして欲しいなんて
思ったこと一度もない!」
長女
「でもお母さん味噌ちゃんと溶かないから、
いっつもペースト状に残ってるじゃん」
長男
「ちょっと前までダシ取らないで平気で作ってたし」
長女
「そうそうそれで出汁入り味噌に変えたんだよねw」
次女
「お姉ちゃん、お母さんをあんまり苛めないで!」
長女
「だって」
夫君
「ソーメンの茹で方教えてあげてください」
長女
「そそ、いつも少ないお湯にバサッと全部入れるから
スイトンになっちゃうんだよねw」
実父
「おまえ…」
私子
「すいませんすいません」
夫君
「一生懸命働いてくれてるからと思って、
自分で出来ることは自分でやろうと思っていましたが、
これからはちゃんとした料理を作るように心がけさせてください」
実父
「分かったきっとそうさせよう」
夫君
「しばらくはそれで様子をみる事にします」
実父
「重ね重ね面目ない」
長女
「ええ、この人と同じ空気吸わなきゃならないの?やだ」
実母
「M和ちゃん、そんな事言わないで」
義母
「私子ちゃん本当に大丈夫?」
私子
「はい、大丈夫です」
この時私は義母の言葉の意味するところを
本当の意味で理解していなかった
翌朝、私は朝一で起きて
出来る限り努力して朝食の支度をした
「おはよう」
次女が最初に起きてきて私に挨拶してくれた
「おはよう」
私も挨拶したけど上手く笑顔が作れなかった
どの面下げてと自分でも思ってしまう
それより次女の瞬きが激しいのが気になった
チック症状がでているようだ、私のせいだ
次女が起きてきて、次に長男が起きてきた
私が挨拶しても返さなかった、
次女が心配そうに私を見た
「おはよう」
夫が起きてきた
皆、父親には挨拶した
夫だけが私の作った朝食に少しだけ手を付けた
「どうした、食べなきゃ駄目だろ」
夫が言った
「食えるわけねぇじゃん」
「今日の学校行ってからのこと考えたら
食欲なんかわかないよ」
「ごめんね」
「みんなよく聞け」
夫が厳しい口調で言った
家族の視線が夫に集中した
「お前達には幸福になる義務と権利がある、
人生にどんな障害があろうと
それに向かって努力しなければならない、
母親の間違いに引きずられて自ら不幸になるな」
辛辣な夫の言葉に打ちひしがれた
立つ瀬がないとは正にこの事だ
「君も仕事と今回のことの分別はつけなきゃ駄目だ、
クライアントに君の不倫問題は何の関係もない話だからね、
影響が出ないように」
「はい」
長男は黙って食事に手を付けた
「やっぱり美味しくない?」
恐る恐る聞いてみた
「味なんかするかよ」
「そうだね、ごめん」
長女は食事に視線を送っただけで
結局口をつけずに登校して行った
一月以上経ってもなかなか次女のチックが治らない
もし私が出ていかざるを得ない場合、
夫に土下座してでも次女は連れて行こうと思った
長女は相変わらずご飯を食べてくれない、
レトルトで済ませているようだ
その影響からかニキビが顕著に現れはじめた
「M和、お願い食べて、レトルトばかりじゃ体に障るから」
「無理、あんたに心配してもらう筋合いないし」
「母親が作ったと思わないでいいから、
家政婦が作ったと思えば食べられるでしょ?ね?
ニキビだってそんなに酷くなったら痕に残っちゃうわよ」
「ちゃんと皮膚科に行って診てもらいました!
食事じゃなくて精神的なものだってさ!」
「そう、ごめんね、私のせいよね」
「そうだよ!」
「M和、私が出て行ったらちゃんと食べてくれる?」
「…」
「お父さん料理上手だから、
ちゃんとバランス取ってくれるよう頼んでおくから、
そしたらちゃんと食べてくれるって約束してくれる?」
駆け引きしてるつもりはなかった
こんな馬鹿親でも子育ては戦いだから、
子供は親の嘘を見抜くから
この時本当に私は腹をくくって言った
「お願い、それだけは約束して」
「分かったよ」
「本当ね?」
「食べるよ!食べれば良いんでしょ!」
長女が二ヶ月ぶりに私の作った料理を食べてくれた
「勘違いしないでよね、
追い出すか出さないかはお父さんが決める事だから、
私が決めることじゃないから食べてあげるだけだからね!」
「うん、ありがとう分かってる」
不倫は社内の誰もが知る事となった
百億の仕事を取ったのにもかかわらず
私達が殆ど口を聞かなくなってしまった理由を
誰もが知りたがった
不倫したのではないかという噂をされるようになった
最終的に部長の奥さんが人事部に連絡を入れ、
私と部長を別の部署に分けるように進言したのがきっかけで
不倫が事実であると誰もが知る事になった
しかし私達は双方共降格も査問もされなかった
不倫でクビという話を散見するけど本当なのかなと思う
基本的に大企業であるほど
不倫に関しては個人的問題で済まされノータッチの所が多い
仕事さえ出来れば係争していても大した問題にはならない
むしろ飲酒運転の方がよっぽど厳しく裁かれる
だから不倫でクビという話は
そうあって欲しいという読み手と書き手のファンタジー的要素が
多分に含まれていると私は思っている
三ヵ月後
例の大口の仕事の件で一人残業していると、
部長がコーヒーを持って私の隣に座った
私は無視して仕事を続けた
もちろん仕事の話はするが、私語は慎むようにしている
「そっちはどう?」
部長がそう言いながら私の机にコーヒーを置いた
「どうって」
「こっちは大変だよ殆ど汚物をみるような扱いで、
ただ金を稼ぐ鵜飼の鵜みたいだ、
会社の方がよっぽど気分が安らぐよ」
「そう」
「まだ怒ってるの?」
「怒るって何を」
「崖から君と妻が落ちかけてたらって話」
「ああ、あれ」
「あれはそうでも言わなきゃ
場が収まらないからそう言っただけだ、
正直言うとかなり迷うよ」
「私は迷わない、私は躊躇せずに夫を助ける」
「辛辣だな」
「鵜飼の鵜でも必要としてくれるなら良いじゃない、
私なんかずっと無視されたままよ」
「同じだよ、このままだと精神的にもたない」
「我慢するしかないでしょ」
「君は許してもらえなかったらどうするつもりなの」
「どうもこうも出て行くしかないでしょ」
「ハハ、お互い大変だな、実は僕も離婚を考えてるんだ」
「は?」
「もう無理なんじゃないかって」
「ふざけないで」
「え?」
「あなたと同じにしないで!」
「い、いや同じとは…」
「あなたは離婚で済むのかもしれなけど
私にとってあの家が私の全てなの!
あそこに私の全てが詰まってるの!
あの家に居られなくなるって事は私が死ぬことと同じなの!
あなたと同じにしないで!」
私は感情的になった
「す、すまん」
明らかに彼は狼狽していた
「もう仕事以外の事で私に話しかけないで」
そう言って私は部長を無視して仕事を続けた
彼の尋常ではない動揺ぶりを見て始めて分かった
部長は私の事が好きだったという事
私も離婚して自分と一緒になれれば良いと
思っていたという事
いつの時点で好きになったのかは分からないけど
いくら鈍い私でもそれぐらいは理解できた
半年後、私は別の営業部に移動になった
ちょうどその頃、長男の気持ちが雪解けした
バスケ部の地区大会で決勝に進出した時、
長男が大喜びして、私も凄く喜んで
「お母さんゼッケン破けてるから縫っといて!」
って言ったの
普段は「おばさん」なのに「お母さん」って
私は笑って「分かった縫っとくね」って言って、
長男もハッとした顔して、
照れ笑いして「ま、いっか」って言ってくれた
凄く嬉しかった、それから長男はずっと
「母さんと」と呼んでくれるようになった
有り難いと思った
問題は長女だった
やはり私のせいで学校で色々言われてるらしい
ブラスバンド部の先輩から
「お前の母ちゃん何やってるの?」と聞かれ
○○で働いてるって答えたら
「大企業じゃん」と言われ「うん、次長」って言ったら
「偉いんだな」って言われたらしい
そしたら好きだった先輩からからかわれたって
目真っ赤にして帰ってきて私をなじった
「どうしてくれるのよ!」って怒鳴られた
過去に遡ることはできないからどうにもならない
ひたすら謝るしかなかった
PTAも三者面談も顔を出せない
一度だけ行ったけど好奇心の目で見られて凄く後悔した
親も生徒もわざわざ私を覗きに来た
先生すらチラチラ私を見た
この時長女の苦しみを心底理解した
精神的苦痛でニキビが悪化した理由がよく分かった
心の中で長女に土下座した
帰ってから長女に酷く叱られた
「辛かったね」って泣きながら詫びた
私は夫にそれを伝えた
夫は長女を呼んだ
「M和、耐えられなければそう言っていいんだぞ」
「言ってどうするのよ、どうしようもないじゃない」
「学校を変えればいい」
「やだ、私負け犬みたいに逃げたくない」
「人生80年と考えてみて」
「どういう事?」
「重要なのは成人してから本当の勝負はそこからだから、
80年の内のたった数年だと思えば大した事はない、
今の学校に固執しなければならない理由は何もないんだよ、
M和、無理しなくていい」
長女は暫く考えてから
「ありがとう、でももう少し頑張る、
支えてくれる友達も居るし」と言った
「そうか」
夫の冷静な判断に感心した
よく考えてみれば確かに今の学校に固執する理由は何もない
長女は夫の言葉で随分救われたと思う
逃げ場を確保してもらっていれば
安心して登校もできるだろう
しかし結局彼女が許してくれるまで2年以上かかった
私は風邪をひいても登校するという長女を
私は止めることができなかった
ブラスバンドの選抜メンバーから漏れたくないから
這ってでも行くと言って聞かなかった
結局風邪は二週間以上経っても治らなかった
無理に知人の勤める大学病院に連れて行くと、
彼女は肺炎にかかっていた
「どうしてこんなになるまで放っておいたんですか」と咎められた
レントゲン写真の肺全体にかかる靄の様な影を診て
多少医療に近い仕事をしている私には
事態の深刻さが理解できた
長女に対する負い目で強気に出れなかった自分を責めた
母親失格だと思った
長女は緊急入院することになった
夫もかけつけた
その日は大した事がなかったが、
翌日から彼女を高熱が襲った
解熱剤を投与しても切れると
すぐに40℃近い高熱に戻った
午前中は比較的落ち着くが夜半にかけて熱が上昇した
三日後、長女の意識が混濁しだした
彼女の体の中で菌と抗体が戦ってる様子が
大粒の汗から伺うことができた
主治医からマズいかもしれないと言われた
私は狼狽えた
止めなかった自分の甘さを責めた
事情を話し会社を休んだ
夕方夫と長男と次女が来て彼女の様子を見にきた
心配そうに伺っていたが長女の意識は戻らなかった
夫が長男と次女を連れて帰った
「今日が山場かもしれません」
主治医に言われた
知り合いの外科医も様子を見に来てくれた
主治医にくれぐれも頼むと頼んでくれた
「若いから大丈夫ですよ」と看護婦さんが励ましてくれた
気休めでもかなり救われた気がした
藁をもつかむ気持ちだった
夜半すぎ、長女が
「おかあさん!おかあさん!」と私を呼んだ
「なに?どうしたの?」と私が聞いても応えなかった
意識が混濁しているらしかった
「おかあさん!」長女が叫んだ
「なに?M和、私はここにいるよ
」と私は何度も応えた
「どうしてそんな事するの!」長女が叫んだ
彼女が混濁する意識の中で
あの時の光景を見ている事が分かった
「ごめんね、M和」
「やめてよ!おかあさん!やめて!」
「ごめんね!ごめん!」
「お母さん!私達の事好きじゃないの!?
好きじゃなくなっちゃったの?ねぇお母さん!」
「大好きよ!ごめんね、苦しませてごめんね、
辛かったね、私が馬鹿だったね、ごめん」
私は熱くなった手を握り締めながら泣いた
本当に馬鹿だった
いつしか私は長女のベッドに顔を埋めながら
眠ってしまっていた
「お母さん、起きてお父さん来たよ」
頭上で長女の声がした
慌てて顔を上げると
長女がケロッとした顔をして私を見ていた
「お母さん、おはよ」
長女が言った
「おはよう、ごめんね寝ちゃった…え?」
今お母さんって言った?
ハッとして長女を見た
長女が笑っていた
私が不倫する前の屈託のない笑顔だった
不覚にも泣いてしまった
二年かけて三人の子供はほぼ元通りの状態に戻った
しかし夫はそうではなかった
友達とよく遊びに出かけるようになり、
それを知らずに作った夕飯が残ってしまうこともよくあった
料理のせいかと思い、母と義母に徹底的に学んだ
レパートリーは母の方が圧倒的に多いが、
味のセンスは義母の方が圧倒的に上だった
単純な料理でも温度やちょっとした調味料の加減で
まったく味が変わってしまう事を教えられた
夫の料理のセンスの良さは
義母ゆずりだという事がよく分かった
子供には腕が上がったと褒められるようになったが、
夫は全く褒めなかった
でもそんな事は私にはどうでもよかった
私はこの家に居させて貰えるだけで有り難いと思っていた
ある時、料理が残ってかたずけていると
長男が「連絡ぐらい入れればいいのにな」と言った
風向きが私に追い風になってきたと感じた
しかしそれが凄く危うい気持ちにもなった
不倫から三年目を迎えようというとき
長女が家族旅行に行きたいと言い出した
私は勿論賛成した
しかし「君たちで行ってくればいいよ」と夫が言った
「何でいいじゃん、お父さんも行こうよ」
「俺はいい」
「お父さん!」
「いいのよ、やめましょう」
「いつまでネチネチやってんだよ」
長男が言った
「なに?」
夫の目がギラっと光った
「やめて!」
「だってさ」
「やめて!お願い!それ以上何も言わないで」
「分かったよ!」
そう言って長男は部屋を出ていった
続いて長女と次女も出ていった
マズイと思った
このままでは夫が孤立してしまうと思った
凄く焦った
それから暫くして、夫が夜中に話しかけてきた
「起きてるのか」って聞いてきた
私は残業で遅く帰ってきて
後から寝床に入ったからまだ寝ていなかった
「はい」
「聞きたいことがあるんだけど」
「はい」
「何であんなことをしたんだ」
「え」
「三年間自分なりによく考えてみた、
君を許そうと何度も思ったんだけどどうしても答えが出せない、
どうしても分からないんだ」
「すいません、私が未熟だったとしか言えません」
「俺だって全くモテない訳じゃなかったんだぞ」
「はい、知ってます」
「結婚してからだって言い寄ってくる子だって居たんだ」
「はい」
「君より美人で良い大学行ってる子だった」
「知ってます」
「でも俺は心が揺れたりなんかしなかった」
「はい」
「夫婦ってそういうもんじゃないだろ?
チヤホヤと良い所だけ見て生活してしていける訳ないんだから」
「はい」
「俺はお前が年老いてボケて
糞尿垂れ流すようになってもちゃんと世話しようと思ってたよ、
そういう覚悟で結婚したんだ、
結婚ってそういうもんじゃないのか?」
「その通りです」
「なのに何だよ、大きな仕事取って浮かれたとか
酒の勢いとか、俺には全く意味分からないよ!」
「すいません、本当に申し訳ありません」
「何度考えても、何度許そうと思っても、
どうしてもそこん所で閊えるんだよ、
どうしてもそこでわだかまるんだよ!」
夫はそう言うとウ~…という呻き声をあげた
泣いているのではなく呻き声だった
私は三年間何度もこの呻き声を聞いてきた
それが私を許そうと葛藤する時の
苦悶の声だったのだとこの時初めて知った
蹲り、ウ~…と唸り続ける夫は凄く苦しそうだった
結局三年の月日が流れても、
夫の心は少しも雪解けしていなかった
あの時凍りついたままここまで苦しませてきたのだ
私は三人の子供に許されて浮かれていた自分を恥じた
三年間夫を苦しませ続けてしまった自分を恥じた
駄目だ
私がここに居るとこの人は壊れてしまう
私のエゴをこれ以上通す訳にはいかないと思った
最後のつもりで私は夫の布団に入った
そして蹲る夫を背中から抱きしめた
「ごめんね、私がここに居ると苦しいね?」
私は夫の背中に向かって言った
「私がここに居ない方がいいね?
三年も苦しめてごめんなさい」
そう言って私は泣いた
夫は振り向くと私をきつく
抱きしめた
「居ると苦しいけど居なくなるともっと苦しい、
どうして良いか分からない、分からないんだよ!」
「本当はここに居たい!
でもあなた私がここに居ると壊れちゃうもん!」
そう言って私は夫の体にしがみついた
「離したくない!」と夫が言って
「離れたくない!」と言って私は泣いた
お互いにお互いの名前を呼び合った
離れたくなかった
強力接着剤で固めてほしい心境だった
私達はそのまま眠ってしまった
起きると私たちはそれぞれの布団に寝ていて、
きちんと寝巻きに着替えていた
あれ?もしかして夢?と思っ田が違った。
良かった!夢じゃない!
そのまま私は着替えて朝食を作った
三人の子供が朝食をとってるところで夫が起きてきた
「おはよう」
私が言うと「おはよう」と夫が応えてくれた
三人の子供が私と夫を交互に見た
長女が笑っていた
夫が席に着いた
私は脱力しそうになる体を必死に堪えるのに苦労した
許してもらえた!
そう思った途端に腰が抜けそうになった
「あ~あ、長かったな!」
長男が伸びをしながら登校していった
「良かったね」と
誰も居なくなったリビングで長女が話しかけてきた
「ありがとう」
子供たちには本当に苦労をかけた
三年経って私達は元の生活に戻り始めた
もちろん完全にという訳ではない
私が犯した罪の爪痕はまだあちこちに残されたままだ
キス魔の夫は元もキス魔に戻ったけど、
口との接触は反射的に避けたがる
夫婦生活時に、私が感極まってキスしようとすると
夫はプイと横を向いてしまう
どうやら私の口は汚染された部位であるらしい
自分が与えたトラウマだけど、やはりグサッとくる
ごめんねって心底思った
夜まで残業して連絡が遅れると彼は酷く怒るようになった
「メールぐらい送れるだろ!」と怒鳴られる
「ごめんなさい、これからはそうします」と素直に謝る
失った信頼は簡単には戻らない
休みの日も何処に行くにも必ず同伴させる様になった
私は釣りが苦手だったが、そうも言ってられない
何度も同行してる内に私も好きになってきた
買い物は彼の趣味の後に寄ってもらうようになった
でもいつも一緒に居ろと言ってくれるのは幸せな事だ
無視されてきた三年間を思うと天国のような話
部長は、最近体調を崩した
男性には珍しいバセドー病を患ってしまった
精神的なものの因果関係は不明だけど、
私は今回の一件に関係があると思っている
男性のバセドー病は、こうでなければならない!と
強く思い過ぎる人の方が発症する人が多い様な気がする
以前に比べると精彩を欠いているのが気がかりだ
私の売り上げは、相変わらずかなり良い線をキープしてる
夫に許して貰ったから今はウハウハだ
とにかく恐ろしく長い3年間だった
もう二度としない自信ある
何度生まれ変わっても
浮気なんか二度としないと断言できる
とにかく、未熟な私を許してくれた家族ありがとう、
ごめんなさい
長い贖罪生活の間支えてくれたお父さん、お母さん
そして義父さん義母さんありがとう、ありがとう、
何度頭を下げても足らないけど
二度とこの様な事をしないと誓います