4歳のとき、母に捨てられかけたこと。
私は高齢出産+婚外子のダブルコンボの家庭に生まれた。
母40,父60の時の子供。
父は既に奥さんがいるのを黙って「子供ができたら結婚しよう」
と話していたのに、出産し終えた母の前に奥さん連れてきて
嘘だったと発覚したそうだ。
でも幼い頃、私は母が大好きだった。
何かいい事をすると大袈裟なまでに褒めてくれ、
抱っこしてといえば抱っこしてくれた。
下手くそでも歌を歌えばカメラを回して拍手してくれた。
悪いことをすれば厳しく叱られたけれど、
とても優しい母だった。
ここまでが前置き。
年末も差し迫った日、母は沢山のレトルト食品を買ってきた。
「ママ、出かけるから。お家からは絶対に出ないでね。
一人で頑張れるよね。バイバイ」
と言われ、「いってらっしゃ~い」と答えた。
それから母は本当に帰ってこなかった。
翌日も、その次の日も、帰ってこなかった。
ご飯はレトルトで凌いだが、
「ママいつ帰ってくるんだろう」と気が気じゃなかった。
3日目、私はなんとかして、
外の大人と話そうと思った。
母に言われたとおり家から出ないで話すには、
当時は固定電話しかなかった。
母がよく連絡先をメモしたメモ帳を、
電話台の下に置いていたのを思い出した。
メモ帳を見て、一番最初に書いてある連絡先に電話をしたら
電話に出た。
「私、名前を私子と言って、ママが帰ってこないんです。
悪い人に攫われたかもしれないんです。助けてください」
最初電話口の人は笑いながら「探偵ごっこ?」と
取り合ってくれなかった。
母の勤め先の会社だった。
「もう27日から帰ってないんです(その日は30日)。
お家に一人なんです」
すると
「あのね、探偵ごっこに付き合ってる暇ないから
もうかけてこないでね!」
と切られた。
受話器を置くとすぐさま電話が鳴った。
母の勤め先の、他のおじさんが電話し直してくれた。
「さっきはごめんな!お腹すいとるだろう!
そっちに迎えに行くからまっとってな!」
そして一時間後、本当に恰幅のいいおじさんが迎えに来てくれた。
社長さんだった。
「あいつ(社員)の電話を聞いておかしいと思ったんよ。
あの馬鹿がほんとごめんなあ。あいつは今他の人から
しっかり怒られとるからな」
と話してくれて、ファミレスをご馳走してくれた。
美味しくてガツガツ食べた。
その後緊急連絡先になっていた父と警察に通報。
父は直ぐに迎えに来てくれ、
父の住む家にしばらくお邪魔することになった。
山の中にある立派なコンクリートの家で、
美術品が大量に飾られていた。
父と一緒に住むお兄さんやお婆さん(奥様。当時60代後半)を見て、
父に「この人達誰?パパのお友達?」と聞いた。
「パパの奥さんと息子だよ。あっちはお前のお兄ちゃんだよ。
お前とお前のママより大切な家族だよ」
とあっさり言われた。
父は、本当は私が生まれることに反対だったことを話し、
もし母が帰ってこなければ一人で生きるよう努力して欲しいと
私に話した。
父にも見捨てられたショックと、
父は仕事で忙しいから帰れないというのが嘘だったというショックで、
頑張って泣かないでいたのに泣いてしまった。
お兄さんは「お前いい加減にせえよ!」と父にキレ、
奥さんは「まぁまぁ小さい子にそんなこと言っちゃって」となだめ、
泣き叫ぶ私にお菓子をくれた。
奥さんは
「ママは戻ってくると思うわ。お父さんもあんなこと言ってるけどあ
なたが初めて喋った時なんかほんと機嫌良かったのよ~」
と、どれだけ私を愛していたか、
大切に思っていたかを私が安心するまで聞かせてくれた。
翌朝、お兄さんは「まあママが見つかるまでこの家で過ごそうぜ」と
オセロで遊んでくれ、次は庭でバトミントンしてくれた。
私が勝つように手加減してくれてるのが子供心にわかった。
そしてお正月、みんなでおせちを囲み
「あけましておめでとうございます」と挨拶し、料理を食べた。
みんなで初詣に行き、おみくじを引き、
神様には「ママが見つかりますように」とお祈りした。
おみくじは小吉で「待ち人来ず」だったので悲しかった。
で、祈りが通じたかわからないが、母は戻ってきた。
なんと母、娘を残して行方不明になったと大騒ぎの会社に
普通に出勤して社長にえらく怒られたそうだ。
父一家の家に母が来た時は号泣してしまった。
父に「何しとるんだお前は」と怒られ、
「違うんです、私子がまさか家から出ると思わなくて」
と母は言い返して
「私子、奥様方に迷惑かけたから、ごめんなさいは?」
と謝らせようとしたが、お兄さんが
「それおかしいだろ。あんたが私子ちゃんに謝んなきゃさ」
と言ってくれた。
奥さんは「あらー、私子ちゃんいい子だったわよー」
とのんびり返してくれた。
お兄さんはこっそり、
私に「なんかあったら連絡しておいで。ママには見せるなよ」と
連絡先を渡してくれた。
そしてその後母に連れられて母の勤め先へ。
「本当に子供が無事かちゃんと見せに来い!」と
かなりキツく母にいったそうだ。
父の家族、その会社の社長、
みんな「また遊びにおいで」と言ってくれた。
その後父もよく顔を見せるようになり、
父一家との交流も始まった。
兄は自分の仕事が休みの時、公園で遊んでくれたし
授業参観にも来てくれた。
兄は父から構ってもらえなかったこともあったようで、
私にはとても良くしてくれた。
奥さんも、憎んでも憎み足りない相手であるはずの
私と母ととても仲良くしてくれた。
カラオケ行ったりお花見したり。
高校卒業まで、お誕生日会も開いてくれた。
本当の家族のようだった。
母は前と変わらず優しく、
家をあけることはなくなった。
捨てられたと思ったとき、父に他に大切な家族がいると知ったとき、
大人に相手にしてもらえなかったとき。
すべてが修羅場だった。4歳が飲み込むには荷が重すぎた。
因みに母、
「私子は大人びてるし一人にしても大丈夫★」
と油断して一人母の実家で羽根を伸ばしていたらしく、
捨てるつもりなんて微塵もなかったそうだ。
母は実家で祖父母から「私子は?」と聞かれたとき、
「ちゃんと向こうでいい子にしとくように言っといたわ~」
と答えたので、祖父母も向こう→「父親が預かってる」と思い込んでたらしいです。
そう解釈しても、他に妻子のいる家庭に愛人の娘を置いてきたという
中々酷い状況になるので、そこで納得するなよとは思いましたが…
その後「まさか一人で放置してるなんて思わなかった」
と祖父母からも怒られたそうです。
父の突き放しにはショックを受けましたし、
「女は小学校など行かなくて良い。体を売ればいくらでも稼げる!」
などと言われたのも嫌でした。
奥様は「息子の時も物乞いでもやれとか言ってたけど、
なんだかんだで学費を出してたから絶対に大丈夫」
の言葉通り、成長する姿を見せ、父の日には「お父さん、ありがとう」と
手紙とお菓子を渡してニコニコ笑うようにすると機嫌が良くなり、
学費も出してくれるようになりました。
奥様と兄がとても良くしてくれたおかげで、
こうして過去を書くことができたと思います。
感謝してもしきれないです。