無理心中の被害者の子と最期の日に一緒に帰って喋った

この先誰にも話す機会がなさそうだから墓場行きだけど、
小学校の頃、無理心中の被害者の子と
最期の日に一緒に帰って喋った。
その子は弟の同級生だけど家が近いからよく喋ってた。
多分同級生には言えないだろう家の事情を学年が違い
校内では節点のない私にはよく喋った。
お父さんが暴力を振るうと。
最期の日は他愛ない犬の話をした。

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その夜、弟と妹と共に
お母さんに殺された。
お母さんは多分今も生きてると思う。

お葬式に行ったら、
その子のお父さんが泣きじゃくってた。
ウーウー言いながら号泣してて、
どこか芝居がかって見えて、
そんなに泣くなら殴らなければ良かったじゃんと思った。

もう四半世紀以上前の話。
ネットのない時代だから検索しても出てこない。
あの子と別れた家は別の家が建っている。
犬はボランティアの人にもらわれたと聞いた。
お母さんは多分まだ生きてるだろう。お父さんも。

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今と違って簡単には離婚できない時代。
だからお父さんはやりたい放題。家は結構お金持ちだった。
地区の行事を率先してやる行動力のあるお父さん。
典型的な外面のいいDV野郎だと今なら看破できるのに
ネットのない時代はお母さんは堪えるしかなかった。

だからと言ってお母さんに寄り添う気持ちはない。
友達を、妹や弟を殺さなくてもいいじゃんと恨む気持ちしかない。
私が母親になってもそれは変わらない。
私がオープンな時代に、女も生きて行ける時代に子育てしているから?

もう時間がどんどんあの事件を薄れさせていく。
ネットには資料もなく、人の記憶の中にしかない。
資料はどこかに行ったら読めるのかもしれないけど、
私にはわからないし、
わざわざ読みにいく人なんてもういないだろう。

弟も、当時小2。あの子のことはほとんど覚えてないだろう。
だけど私はいつまでも思い出してしまう。
死んだ実感もないあの子のことを。
特に友情も感じていないのにただただ可哀想としか思っていないのに。
でも、今も生きてるだろうお父さんとお母さんに、
もし会えたら何かを言いたい。
今もどこかで生きてるんだろうなあ。

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