20年生きててはじめて自分が托卵の子だと知った

20年生きててはじめて自分が托卵の子だと知った。
まだ気持ちの整理がついていないので
吐き出したくて書き込みします。
支離滅裂な点があったら見逃してください。

私、大学2年。
実家を出て女子寮に入ってる。
5月のはじめに父から電話が掛かってきて、

「金輪際俺はお前に一円も出さない。大学に通いたければ夜の店にでも行け」

と突然言われた。
突然過ぎて唖然とした私に父は一方的に喋って切った。
父は感情的になると早口になる人で、
言っていることの半分も聞き取れずかけなおしたけど出なかった。
実家の電話にかけたら兄が出て、

「今立て込んでいるから話せない。後日連絡するから待て」

と言われて電話を切られた。母にかけても出なかった。
数日経って、兄から明日会いに行くから時間を作るように言われた。
女子寮だから男性は兄でも入れなくて、
大学の近くにあるファミレスで会って話をした。

兄の口から母の浮気と私が托卵の子だってことを聞かされた。
何の冗談かと思った。
私の顔は父方だし、自分が父の子ではないと考えたことなんかなかったから
わざわざそんな冗談を言いに上京して来たのかと笑いたかったけど笑えなかった。
兄の目がゴキブリでも見ているような目だったんだ。

私の実の父親は叔父なんだって。
父の弟。母と叔父は20年以上ずっとW不倫していて、
叔父が癌になって余命宣告を受けたから残っている時間は
二人で過ごしたいとカミングアウトに踏み切ったらしい。

母は叔父の子を妊娠したとわかった後、
托卵バレしないように父と寝たんだって。
それ以前はレスだったらしいから間違いないって。

父から電話が来た日、父は相当酔っていた。
普段お酒を飲まない人なんだけど、悲劇の主人公気取り
で叔父と母が出て行ってしまって、行き場のない感情からお酒を飲んだって。

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話している間、兄はずっと汚い物でも見ているみたいな顔で
タチの悪い夢か何かだと思いたかった。
一方的に絶縁を突き付けられた。

その後どうしたのかは記憶が飛んでいてよく覚えていない。
気が付いたら部屋にいて、寮の食事の時間になっても
出てこない私を心配して友人が呼びに来てくれた。

機械的にごはんを食べて入浴をして助けを求めたかったのか、
兄の言葉を否定して欲しかったのか自分でもわからないけど
父方の祖父母に電話をかけた。

電話でも腫物扱いで、
祖父母も叔父と母のW不倫がショックだったらしく
当事者二人の子だってわかった私をどう扱っていいのか
わかっていない様子だった。

とりあえず学費のこととか、
これからどうするのか一度相談するために休みの日に帰省することになった。
その日から過呼吸を起こすようになった。

帰省した日、祖父母宅に行く前に実家に行った。
絶縁されたのにまだどこかで実家が自分の家だという感覚を
捨てきれていなかった。

でも「荷物を引き取りに来た」
って言い訳した私に家族は冷たく一言
「全部捨てた」って言った。

半ば強引に押し入って自分の部屋に入ったら
がらんどうになってて、高校を卒業するまで
ここで暮らしていた痕跡がすべてなくなっていた。
ベッドとか、本棚とか、アルバムや写真の類まで何もかもなくなっていた。
ショックで過呼吸になった。
苦しくて蹲る私を誰も助けてくれなかった。

「倒れたフリをすれば優しくしてもらえると思ったら大間違いだ」

と兄に吐き捨てられた。
苦しいのか悲しいのか自分でもわからないけど
ぼろぼろ涙が出てきて、自分で紙袋を出して息を整えた。
(医者にはしないように言われた)
その足で家を出て祖父母宅に行った。
祖父母も私を前にどうしていいかわからず、
泣きはらした顔の私を前に戸惑った様子だった。

実家に置いてあった私の荷物がすべて処分されていたことや、

「他人に払う学費はない。さっさと学校をやめて働け」

と言われたことを打ち明けた。
現実問題、私は寮だったから大学を辞めるのなら
住むところから探さないといけなくて、
大学生になってからバイトして貯めた分を全部使っても
部屋を借りるのは難しかった。
(生活費をバイト代で賄っていたから、大した金額もなかった。
部屋は帰省する前に探してみた)

祖父母は、
「今回のことに私に咎は何一つない。
あいつらも今は動転して憎む対象が必要なんだろう」

と言った。
矛先を向けようにも母と叔父は逃げた後で、
残った私にぶつけるしか感情のやり場が持てずにいる。
落ち着くまでしばらく距離を置いたほうがいいとすすめられた。
卒業までの学費は祖父母が払ってくれることになった。
祖母が泊っていくようにすすめてくれたけど、
腫物を見る視線が辛くて学費のお礼だけ何とか言って帰った。

その日から胃が食べ物を受け付けなくなった。
何も残っていなかった部屋を思い出すたびに、
自分の20年を全部なかったことにされたんだって思いから
抜け出せなくなる。

眠れないのと、何を食べても戻してしまうことが続いて
病院に行ったら睡眠障害と拒食症だと診断された。
気が付いたら頭にハゲができていて15kg痩せた。

鬱になりかねないから深刻化する前に
療養をすすめられたけどそんな余裕はどこにもない。
学校だけは何とか卒業しようと思って
こっちに帰ってきたのに、昨日とうとう救急車のお世話になった。

いっそ死んじゃったほうがいいとか思っても、
実際過呼吸を起こせば生きようとするし(過呼吸じゃ死ねないけど)
信号が赤なら横断歩道の前で止まる。
自分でどうにか頑張っていくしかないのに、
悲劇のヒロインぶろうとする自分が
家族の前でお涙頂戴をやって逃げた母と重なって憂鬱になる。

面白くもない話を投下してごめんなさい。

八方ふさがりでどうしていいかわからず、
吐き出したい一心で書きました。

不快な内容だけど読んでくれた人がいたらありがとうございます。

「20年生きていて自分が托卵の子だと知った」

と過去スレに書き込んだのは私の亡くなった従姉です。
自殺する直前に従姉が書いたものだと思います。

父の弟と母がW不倫、父の弟が余命宣告を受け
W不倫と托卵をカミングアウトして蒸発。
父と兄から絶縁されたという内容。

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昨日YouTubeで動画を見つけて、
今日別のスレで探すのを手伝っていただいて発見しました。
本文に出てくる「父の弟」が私の父です。

その時のことや、その後をわかる範囲で書き込みます。
まとめていない(むしろ、混乱しているので落ち着くために書いています)
ので遅くなります。

私と弟は父が出て行った直後から
母方の祖父母の元に身を寄せていたので、
最近まで従姉が亡くなったことを知りませんでした。
ほとんど母からの伝聞になります。

私と弟は父が出て行った直後から母方の祖父母の元に身を寄せていたので、
最近まで従姉が亡くなったことを知りませんでした。
ほぼ母と祖父母(父方)からの伝聞になります。
私の家は両親が飲食店をしていたので、
父が蒸発した後も母は仕事のため地元に残りました。

私たち家族が父の余命宣告を知ったのは蒸発した後でした。
テーブルの上に置いてあった離婚届に小学生だった弟が気づき、
私と母が呆然としていると伯父と従兄(従姉の兄)
が怒鳴り込んできました。

父と伯母はそれぞれの家庭からお金を持ち出して
逃走資金にしたようです。
まだ父がいると思ったのか、
伯母が持ち逃げしたお金を母に補填させようとしたのかは
わかりません。

その直後に私と弟は祖父母の元に行き、
5月の連休あと急遽転校しました。
私宅、伯父宅、祖父母宅は徒歩5分にあり、
父が蒸発して引っ越すまでヒソヒソが好きなご近所の視線が
辛かったのを覚えています。

当時母はあまり多く語りませんでしたが、
父と伯母のW不倫が20年以上続いていたと知った時に、
一言だけ「20年前って言えば……」
と心底情けないと呟きました。

その頃は父が馬鹿をやって作った借金を、
夫婦で働いて必死に返していた時期で、
母は20代でお嫁にきたのに、
私を生んだのは借金を返し終わった30代の半ばでした。

その間、不倫して別の女に産ませていたのかと思うと
私まで情けなくなります。
その子供が従姉だと思うと、やりきれない気持ちもあります。
昔から従姉にはよく遊んでもらっていて、
「お姉ちゃん」と呼んで慕っていたんです。
亡くなった従姉は、勉強もスポーツもできる
自慢のお姉ちゃんでした。

従姉の死は、去年知りました。
血縁的には異母姉妹にあたりますが、
ここでは従姉で通します。

母が腰のヘルニアで手術することになったので、
付き添いと当分の世話のために地元に帰りました。
その時に母から聞きました。
私に言えばショックを受けるだろうからと
黙っていたみたいです。正直信じられませんでした。

母の手術が終わって落ち着いた頃に、
ご無沙汰していた父方祖父母の家に挨拶に行き、
そこで従姉の遺影を見て泣きました。

祖父母が私たち姉弟が引っ越した後にあったこと、
従姉のお葬式のこと、伯父宅がどうなったのか、
父と伯母がどうしているのかをぽつぽつ話してくれました。

母からも聞いていたのですが、
以前の半分ほどに萎んでしまっていた祖父母が気の毒で、
忘れたと思っていた父への憎しみがこみ上げてくるのを感じました。
父と伯母が目の前にいたら何をするかわかりません。

当時のことや従姉のことを考えると泣けてきてしまって、
乱文になっています。

伯父家では今従兄が独りで暮らしています。
伯父は従姉の死から少し経った頃に失踪して
行方がわからなくなってるそうです。
従兄のほうは母の言葉をそのまま書きます。

「絶縁しているのにお通夜の席にのこのこやってきて、
お悔やみの言葉を鼻で笑って、お客様気取りでたらふく飲み食いをして
顰蹙をかった挙句、従姉ちゃんの棺を蹴って激怒した親戚につまみ出された」

そうです。

この従兄は昔から自分より強い相手の前では小さくなっているけど、
年下や弱い相手には攻撃的になる人なので、馬鹿以外の感想を持てないです。
私と弟が引っ越す前に小学生だった弟を八つ当たりで蹴とばして、
母に「卑怯者!子供にあたるな!」と怒鳴りつけられて
悪態を吐きながら帰って行ったこともあるくらいなので。

従兄は自分だけが可哀想だと本気で思っているんでしょう。
だから高校生だった私や、弟に「何をしても許される、自分の権利だ!」
くらいにしか考えてなかった節がありました。
私たち姉弟も従兄姉も立場は同じなんですけどね。
従兄のなかでは私たちは、

「彼の母親をたぶらかした男の子供」

でしょうけど、私たちにとっても

「うちの家族を裏切って20年以上不倫していたクソ女の息子」

なんですけど。
従姉を死に追いやったのは、父と伯母とこの従兄だと思ってます。

従姉の出生は今でもショックです。
でも20歳で自殺を選んだ従姉の当時の心境を思うと、
何もできなかった自分が悔しくて、
昨日動画を見つけてからずっと誰かに聞いてほしかった。

伯父は従姉の葬儀には現れず、
ただしばらく経ってから祖父母宅で従姉の遺影の前で
しばらく座り込んで呆けていて、
従姉の位牌を持ち出したまま行方知れずになったと聞いています。

従姉の書き込みからはわからないと思いますが、
伯父と従姉は仲のいい親子だったんです。
伯父は学生のころあるスポーツをやっていて、
その影響で従姉も同じスポーツをやっていたんです。
学校や駅に横断幕で「〇〇大会優勝」とか、「〇〇大会出場決定」って
従姉の文字が出るたびに大はしゃぎして
周りに自慢していました。
よく従姉の自主練習にも付き合っていて、近所でも仲がいいと評判でした。

「大事にしてきた奥さんと家族があの二人のせいで崩れて、
従姉ちゃんに当たることでしか現実と向き合えなかったんでしょうね。
後悔しても従姉ちゃんはねえ」

と母が。
きっとその通りだと思います。
伯父が位牌を持ち出したのは、
従姉の供養のためだと思いたいです。

最後に父と伯母ですが、しぶとくまだ生きています。
父のほうは死にかけているけど
現代医学の力でまだ当分あの世には行けないみたいです。
一日でも長く苦しんで死ねと思っています。

入院先もお金に困っていることも知っていますが、
会いに行く気も、葬式を出してやる気もありません。
伯母は逃走資金として持ち出したお金をとっくに使い果たし、
恥知らずにもお金の都合をあちこちに頼んで回っているようです。

詳しくは知りませんが、伯母の実家はすでにないそうで、
伯母の兄弟が従姉の葬儀の際に遠路出向いてきたそうですが
、母に言わせると「まともそうな人たちだったから相手にしない」だろうと。
だからうちの母や父方祖父母宅に押し掛けてくるのでしょう。
いっそ屑同士、あの従兄と暮らせばいいと思います。

不慣れな書き込みを長々としてしまい、
後半になるにつれて言葉が乱暴になってしまい申し訳ありませんでした。

お待たせしたうえにこんな内容ですみません。

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