自分の両親が若い時はお花畑で、中年になってからは傍からみて迷惑な存在だった

因果応報というか自業自得かもしれないが、
自分への戒めも込めて書いておく。

自分の両親がなんというか若い時はお花畑で、
中年になってからは距離なしというか
傍からみて迷惑な存在だった。
小さなことだと、お祝いは貰って当たり前。

お祝いを貰ってもちゃんとお返ししない。
兄弟だから 友達だから助けてもらって当然
末っ子同士で親から甘やかされたというか、
兄弟が多い時代だったので
半分放置された状態で育ったのかもしれない。

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いまだにそうなのだが、生活基盤を整える事より、
自分の遊びや見栄にお金を使ってしまう。
へんなところで節約をする癖に 買わなくてもいいものや
出さなくてもいいものにお金を使うから
いつまでたっても家は汚いまま
子供が汚い格好していても平気。

そんなこんなで段々付き合う人は少なくなる。
親兄弟以外相手にしてくれなくなる。
今から考えると相当迷惑だったと思うが、
週末は既に中高生だった子供である自分達を
引きつれ親戚の家に入り浸っていたりした。
私も兄弟もそんな生活嫌だったが逆らえず

当たり前のようだが経済的に苦しくなるし、
世の中を舐めているというか
考えが浅いからやる事なす事から回りして
落ちるところまで落ちる。

日本が景気がいい時代で皆が当たり前のように
享受していたことが
ほとんど我が家には縁がなかった。

大人になって 自分も働き始めてやっと
経済的に自分は人並みになれた。

確かに家族を養うのは楽じゃないし
育ててもらった恩は感じている。
だが、それを差し引いても、うちの親はどこかおかしい。
何がどうおかしいのか説明できないが、
考えがちぐはぐというか、
バランスが取れていないというか。

自分に差し掛かっているのだけど、
若いうちも最近もいろんな人が
いろいろ助言をしてくれたりした。

たとえば結婚した時にある先輩は、
「立派な家庭を築けてこそ一人前だ」
みたいな事を言ってくれたし。
30代になった時に、ある友人と飲んでいたときに、
「年齢相応の生活をしないと恥ずかしいよ」
と忠告めいたことを言われたり。
ここには書ききれないが ここぞという時に
いろんな形で忠告や助言が与えられる
事があり、そのおかげでなんとか
人並みの生活ができている。

自分の親はこういう いろんな形で
与えられていた助言とか忠告に気がつかないまま
きてしまったのではないだろうかと
最近思うようになった。
ある種の慢心というか傲慢さがどこかにあり、
心ある人の助言を聞き流していたの
ではないだろうか。

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最近しみじみ感じるのは 若いうちは
まだ忠告をしてくれる人が多いが
30を過ぎると よほど親身に考えてくれる友人以外は
そういう忠告をしてくれなくなる。

言い方が悪いが、叱ってくれる人が少なくなる。
その反面20代なら許された事も
30代、40代になると非常識として取られるだけになる。

年を重ねるごとに謙虚さを
見につけないといけないと思うのだが、
自分の親はおそらくそういう機会がないまま
年齢だけ重ねてしまったのだろう。

R.シュタイナーの話を思い出した。

「あなたが幸福になるには、
それだけの苦労が必要だった」というようなニュアンスだった。
文章を読んで見てあなたは、
その手続きをちゃんと踏んだ人生という感じを受けた。
自分の人生で代価を支払わなければならない作業は辛いかもしれないが、
果実が実るには
それしかないのかもしれない。

お手数ですが それはどこに書かれているか
教えていただけませんか?
多分書籍でしょうか。読んでみようと思います。

なんとなく
「幸せをするための努力の積み重ねを怠った」というのが
正しいニュアンスなのかもと考えはじめました。

スレの主旨に戻ると、親が社会性が無いと、
子供も社会とどう折り合うかが
分からないまま大きくなります。

中学、高校あたりから
自分が人が常識であることを知らない、やっていないことが
コンプレックスになってました。
あと親が社会性がないので、
子供の人間関係を破壊します
教師に無茶を言ったり、同級生のご家族に同級生だから、、
とお門違いな要求をしたり。

ゼロからというよりマイナスで出発した青春時代でした。

そういうのも含め因果応報というか
親の因果が子に報いる事は自分の体験上存在すると思いました

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