母は喜んだ。俺が毎日行っていたときのどの日よりも喜んだ

母子家庭で母親がしんだ。
去年しんだ。

俺は昔から母の愚痴の聞き役だった。
父が恋しい恋しいや、
兄の塾などの習い事の不安など
色々と聞いていた。

そう。俺には優秀な兄がいる。
兄は中学から希望して塾に通った。
勉強で負けたくないと、負けず嫌いな兄は
塾には絶対行きたいと無理に言った。
費用はすごかった。
その愚痴を俺は聞いてた。

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兄と俺は同じ高校に行った。
入学当初兄は普通クラスだったが、
俺は進学クラスだった。
俺の方が潜在能力は上なはずだった。
入学試験の偏差値も俺の代の方が高かった。

俺は東大を目指していた。
もちろん塾にも行きたかった。
でも言えなかった。

兄はその時東大に行っていた。

兄は仕送りは月に10万、学費は別に母が支払っていた。

そんな状況の中、
母が大学には行ってほしくないと俺に行った。
俺は了承した。

高校卒業後就職しようとした俺に、
母はそばにいてほしいと自営業を進めた。

俺は自営業になった。
その頃兄は東京の誰もが聞いたことのある会社の
本社に就職が決まった。

親戚の集まる中、
話題が兄の話だけなことに嫌気がさした。
俺の事業も突然はじめた割には
うまくいっていたはずだった。
でも褒めてくれるのは母だけだった
兄でさえ馬鹿にした。

兄が就職して4年。
俺が開業して1年、丁度軌道に乗り始めたとき。
母が体調を崩した。

俺の貯金は母の入院費などに消えていき、
満足に本や差し入れをできなかった。

車の免許も持っておらず、
仕事終わりにバスで病院に片道1時間半。
何も持っていけないのに病院に通った。

兄に母が体調の悪いことを伝えても、
状況を逐一報告してくれ
仕事の休みはとれない。。。
と言われるばかりでこちらに来ようともしなかった。

(ちなみに東京から実家まで飛行機とバスで2時間くらい)

母が入院して1週間後、
母の病代が悪化した。

まだ若かった母は病気の進行が速かった。

急いで兄に電話した。

兄は明後日実家に帰るといった。

俺は毎日病院に行っていた。

母が水ふきシートが欲しいと言っても
買えないくらい困窮して、借金して、
それでも毎日ただ病院に行っていた。

兄から連絡がきた。
今地元の空港についたから一緒に病院に行こうと。
兄と一緒に病院に行った。

母は喜んだ。
俺が毎日行っていたときのどの日よりも喜んだ。

俺には言わなかった、
お仕事頑張りなさいね。
身体に気をつけなさいね。
ちゃんとしたもの食べなさいね。
お金に困ったら言いなさいね。
なにかあったら帰ってきなさいね。
・・・
っていってた。

俺はそんな言葉聞いたことなかった。

俺は何のために毎日来てたんだろうって本当に思った。

最後に兄が母の欲しがっていた小説を渡した。
一冊で1,000円くらいする上中下巻セットだ。

母はとてつもなく喜んでいた。
兄が帰った後もこれは兄がかってくれた小説で
とても面白いのだといっていた。

俺はとても寂しくなった。

母が入院して2週間がたち
流石に借金もできなくなってきた。

兄に金銭のお願いをした。
「そんなお金も払えないような生活をしてきたのか」
こういわれた言葉が未だに頭から離れない。

兄に頼ることができず
借金しつづけた。

それから1週間
母の容体が本当に悪くなった。

また兄に電話した。
すぐ帰ると言われた。

俺は待っていた。

もう母なのか、、、、母なのか、、、、、、、、
母なのか分からない母をずっと応援し続けた。

母に頑張れ頑張れ、生きろ、生きろ、、、、
生きろって声をかけても
全然はんのうがなかった。

兄に電話して5時間くらいして、
兄が病院に到着した。

兄を迎えに行った俺を無視して、
兄はいちもくさんへ母のもとへ。

母さん、おれだよ。おれだよ。
って兄が言った。

その時母が、、顔を動かすのも辛そうな母が
ニッと笑って、
「元気だったか。
わざわざ来てくれてありがとう。」
って。

そういって亡くなった。

兄はオイオイ泣いて、泣いて泣いて、
俺はただただ立ち尽くした。

きつい介護生活のことを考えていたのか、
きつい借金生活のことを考えていたのか、
はたまた母を取られて唖然としていたのか、
ただただ真っ白に俺は立ち尽くした。

それからすぐに、そうもう一瞬で葬儀が始まった。

葬儀の手配は俺と兄がした。
喪主はもちろん兄だった。
俺はメイン以外の手続きを任された。

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葬儀の手続きが一旦落ち着いたくらいに遠方に住む、
遠い親戚たちが集まりだした。

親戚たちは口々に
○○君大変だったね。
と兄の名前を呼んだ。

そして時間が経ち、酒が入ると
○○君東大なんてすごいねと
母とは全く関係ない兄の話で盛り上がっていた。

俺は皆しねばいいのにって本当に思ってしまっていた。

通夜の前の日から葬儀場に泊まった
母と長く一緒にいたいという兄の希望だったはず。

母が生きていた時には
全然実家に帰ってこなかったくせに、
亡き母の前で一晩中泣いていた兄。

お通夜の前の晩から
ちょくちょくくる近所や母の友人たち。
皆○○君がかわいそう。。。といいながら出て行った。

俺はその間葬儀やお通夜の粗品や名簿の準備をしていた。

通夜の日。
壇上に立つ兄。
母との思い出を話す場面で号泣して話せなくなり、
俺と交代した。

俺は母との思い出なんていっぱいありすぎて、
そして母の人の好さを最後に皆に知ってほしくて、
本当に一生懸命話した。

通夜終わり、親戚から
あんたは本当に悲しんでない。
悲しんだら人はそんなに饒舌になれない。
この親不孝者が

と一字一句違わず言われた。

俺は俺がよく分からなくなった。

そして葬式の日。

兄はまた檀上、最前席でなく。なく。

俺は始終ボーっとしていた。
どう自分の感情を出せばいいのか
分からなかった。

母の眠る場所にお花を入れる。
兄が一番初めに母の好きだった百合の花を。

俺は本当に母が好きなのは
カーネーションって知ってたから、
カーネーションを入れようとした。

そしたら兄が
母さんが好きなのは百合の花だ。
邪魔するな
。。。って。。。。。

違うんだよ。

見栄えがいいし、高価な花だから
人さまには百合が好きっていってたけど、
本当は母さんはカーネーションが好きなんだよ
って言っても全然だめだった。
駄目に決まってる。
だっておれだもん。。。。

結局母は百合の花に包まれた。

ずーっと泣いていた兄は
母を見送るまでもなく、親戚の宴会へ旅立った。

俺はずっと母のそばにいた。
辛くて、つらくて、
カーネーションを母のそばに置いて
ずっと泣いていた。

葬儀が終わって
49日。

坊さんが来た。

坊さんがくる5分前から号泣する兄。
心配する坊さん。

お経がなる中始終兄の鳴き声が聞こえた。

その後親戚も坊さんも兄を心配し、
兄のためにと親戚一同から
元気づけのプレゼントが渡された。

俺はその間親戚に茶を出してた。

それから1年たった。

俺はまだ母の借金を返し続けている。

相続の話はもちろん合った。
金は兄2俺1、
しかし俺が40になるまで渡さないらしい。
なぜなら俺は浪費しそうだから。

そこは別にいい。
ただ、母の車・実家を手放したくない兄は
俺に相続させた。

ちなみに俺は軽自動車を所持、
またボロボロだが一人暮らしをしている。

軽自動車は破棄したが、
母の車は普通車なので維持費が高騰、
また借金があり家賃もまともに払えていない俺は
今の物件を手放せず、
借金をしながら両家の維持費を払っている。

自営業は母の入院の間にほとんどの取引先が消え、
また出だしから。

借金があるので目先の金を追うようになり、
全くうまくいっていない。

そして今日の夜兄から電話があった。
兄が母の見舞いに来た時の旅費の請求だった。

なぜおれが払うのか聞いたが、
俺は実家に住んでいて
費用が掛からないのだから
半分でも払うべきだった。

以上で全て終わりです。
書くなぐらせていただいてありがとうございました。

母のいうことを聞くいい子ちゃんになるよりも、
世の中褒められるような実績を最後に残せば
それでいいんだよっていう教訓になればと思います。

俺みたいな糞になるなよ。
多分おれは色々と生き方を間違えた。

絶対こんな風にならないように
時には糞みたいに人生を送って、
最後は華々しい成績を残してください。

兄はいいやつだと思います。
兄の立場で考えるとそうかと。

できの悪い弟が実家にいて、
母も守れず、
泣きもせず
お金もなく、
支えてもあげられず、

そんなんだったらどんな兄でも怒ります。
そういうものです。

ただ俺が生き方を失敗しただけです。

本当に後悔しています。

皆さん本当にありがとうございました。

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