母が雨の朝、砂利道で転んだ。
顎を切り、血を流して、
1階から寝ている私に向かって声にならない
うなり声の様な声で呼びかけた。
母は腎臓病だった。
その治療の副作用で血液が凝固しなかった。
そして人工透析をしており、
腕には機械?が入っていて、
体力も落ち、骨も弱っていた。
腕をぶつけたらオワリなので守ろうとしたら
2回も転んだのだと、痛い痛いと言ってた。
うちは母子二人暮らしで車が無いため、
親類を呼び病院に向かってもらった。
親類は私に、おまえも乗れ、
ついててやれと言ったけど、
私は風呂に入っていなくてぐちゃぐちゃで
スッピンでもあったので(醜形恐怖症です)
行かなかった。行けなかった。
母は もういい!と怒ってた。
きっと悲しかったのだと思う。
障害者手帳を持っているから私が
恥ずかしい思いをするのでは、
などといつも母は考えていた。
母は、私が母を愛していないと思ってた。
幼い頃は母から虐待的なめにあっていたし、
私はすれてひどい暴言ばかりはいていた。
数時間後、顎を縫ってもらった母は帰宅した。
ある日、母は倒れた。
2時間前まで私がまたつっかかっていた母は
奇妙な形で倒れたまま動けず、
しきりに頭が痛いと言っていた。
動揺しながら私は病院に電話した。
その間も母の意識は薄らいでいき、
次第に目を閉じていった。
おまえが病院に連絡したのか、えらいね。
って小さな子に言う様に私をほめた。
救急車の中、私は特に声をかけなかった。
病院につくまでのしんぼうだ、
頑張れ そう思っていた。
病院につくと医者は、残念ですが と言った。
ドラマの撮影みたいだった。
病気のせいで体力がなく、手術に耐えられないとの事。
こいつは何をおかしな事を言ってるんだ?と思った。
死ぬのを待つしかない、と言う。
私は理解できなかった。
病院につけば助かると思っていた。
死ねと叫んだことはあった。
いつか覚悟が必要だとも思ってた。
が、母はいつまでもそばにいるのだと思っていた。
脳で出血が起きていたのだった。
今までも頭痛などがあったはずだと
医者は言った。
そういえば、日に日に元気はなくなっていたし、
ろれつも回りにくくなっていた。
手がしびれると言った日もあった。
それは病気のせいだと思っていた。
医者と楽になる方法を話していると思っていた。
でも母は医者に話していなかった。
私のせいだ。毎日顔を合わせていたのに。
それから病室で、私は選択をしなければいけなかった。
人工透析は、一度でもやらないと
死ぬのだと母は言っていた。
だから元日でも台風でも通院してた。
本当は入院レベルなのに、
私がひとりきりになるから入院しなかった。
医者は、脳の出血で死なせるか透析をしない事で
死なせるか母の死に方を私に選べと言ってきた。
私が代わりに死にたい気持ちだった。
火曜日の朝、いつもなら透析の時間。
その日は管を通さなかった。
すると2時間後に、母の心臓は止まった。
どのタイミングかは忘れたが、
私は一度家に戻った。
母の布団にはさっきまで人が寝ていた跡があり、
もう誰も使わないなどとは思えなかった。
暮らしの事を2人で話していたところでした。
すいませんm(_ _)m