2年前、兄が亡くなった。みんな兄が大好きで尊敬していた。「なあ、旅行に行こう」

忘れられない不思議な体験を聞いてほしい。

物凄く長いので本当にごめんなさい。いくつかに分けます

2年前、兄が亡くなった。
我が家は兄が家族の中心で、
兄が本当に大好きだったし、尊敬していた。
いきなり兄が病気で倒れて、
数日後、目を覚まさずにそのまま亡くなった。
私も母も父までも放心状態、
葬式は祖父母がメインで取り仕切ってくれた。
喪主は父だったけど、私たちも何をどうしたか記憶がない。
葬式には家族葬だったけど兄の職場の人や、
友達が沢山駆けつけてきてくれて泣いてくれた。

兄は本当に好かれてたんだと、誇らしくなった瞬間、
兄が居なくなったことにショックで泣き続けた。
幼稚園の時の担任までもが話を聞きつけて、
仏壇に手を合わせてくれた。
特に母の落ち込みは酷く、毎日、毎日泣いていた。
家は暗くなり、みんながみんな目的もなくただ、
仕事して食べて寝る生活。
周りが心配してくれて、たまに会いにきてくれた。
兄の話をされると泣いてしまう毎日だった。
でもそれが変わったきっかけがあった。

何となくテレビをつけたんだ。そしたら、
昔家族で行った旅行先が特集でしていた。
飛行機で東京へ、そこから浅草まで移動して、
そこから栃木までスペーシアに乗った。
スペーシアで母のお弁当を沢山食べて
日光東照宮を見て、あれが「見ざる~」だと笑って見て
帰りは宇都宮餃子をたくさん食べて、
口の中を火傷して笑った。
東京に戻り、ディズニーシーに行って、
兄に大きなシェリーメィのぬいぐるみを買ってもらったんだ。

その日の夜、父は旅行のパンフレットを持ってきて
「なあ、旅行に行こう」
と言って笑った。久々の父の笑顔を見た。
一番早く行ける時期に同じルートで旅行へ行った。
そこから不思議なことが起きた。

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関空から羽田に着いて、浅草に向かう途中、
電車でずーっと泣いている赤ちゃんがいた。
父はその子を見ながら
「兄ちゃんはなぜか電車に乗ると泣く子だったんだ」
と微笑ましく見守っていた。
そんな兄が必ず泣き止むのが鼻を摘み、
下唇をつまみ、上下に引っ張ると必ず大笑いして泣き止んだらしい。
父が何となくそれを赤ちゃんにしてみると、
赤ちゃんはピタリと泣き止み、笑い出した。
赤ちゃんのご両親も驚き、父にお礼を言っていたけど
、一番驚いていたのは父だった。
偶然だけど、その子供の名前は兄と誕生日が同じだった。
(いくつですかー?の問いに来月の4日で1歳になります~という会話で発覚)
母と不思議な事もあるもんだと話していた。

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浅草に着き、スペーシアに乗り込むと割と満席に近かった。
予約しててよかったねと話しながら席を
向かい合わせにするか悩んでいたら発車。

途中から乗り込んでくる人は観光列車だし
中々いないだろうと、図々しいけど向かい合わせにして、
テーブルを広げてさあお弁当を食べるかーとなったら、
春日部辺りで男の人が「あの…」と声をかけてきた。
あ、やばいこの席だーと申し訳ないなと思ってたら、
母が「わーごめんなさい!よかったらご飯食べませんか?!」
と声をかけた。
男の人は一瞬嫌な顔をしたように見えたけど、
「ええ~でも迷惑でしょ?」と言って遠慮したけど、
そこは母の大阪のおばちゃん根性なのか
「いいから座って」と無理やり座らせた。
正直言って、母は大量に作りすぎていて、
3人では到底食べきれなかったから助かった。
男の人は物凄く喜んで沢山食べてくれた。
兄も大食いだったので、まるで兄を見ているようだった。
母は途中で泣き出して戸惑う男の人に何度も謝り、
どうしてこの旅行をしたかを男の人に話した。
そしたらその人は「きっと、お兄さんももう一度
一緒に旅行したかったんじゃないですかねー?」と言ってくれた。
男の人は「変なこと言ってごめんなさい」
と謝ってたけど、私たち家族にとっては
物凄く救われるような優しい言葉だった。
男の人に残りもので申し訳無かったが、
パックに詰めて渡すと「とても美味しかったです、
ご馳走様でした」と兄に似た笑顔で言ってくれて、
私はちょっと惚れかけた。(薬指に指輪があったから無理だけど(笑))

日光東照宮に着き、猿を見ている時、
勝手に隣に居るのは父だと勘違いし、
知らないおじさんに声をかけてしまった。
慌てて謝り、おじさんも「ええよええよ」と
許してくれたところ、両親がそのおじさんを見た瞬間
「田中さん?」と叫んだ。
田中と呼ばれたおじさんもびっくりして
「佐藤くん!あけみちゃん(母の名前)!」と叫んだ。
どういう関係か聞くと、両親が昔働いていた職場の上司だった。
田中さんが転職し、手紙のやり取りをしていたが、
阪神淡路大震災がおこり、田中さんも両親も引っ越してしまい、
連絡が取れなくなっていたらしい。
たまたま同じ時期に旅行しにきて、
再び会えたことに両親も田中さんも大喜び、
今度ご飯でも行こうと今度は電話番号を交換し別れた。
両親は兄が再会させてくれたんだ!!と喜んでいた。

餃子を食べながら、両親とこんな
不思議なことはあるのか?絶対おかしい、
仕掛け人が居るんじゃないかと話していたが
赤ちゃんが泣き止んだのはただ単に父の顔が面白いからだ。
誕生日が同じ人なんて沢山居て当たり前だ。
スペーシアの男性は母が無理やり食べさせて迷惑だったはずだ。
田中さんに出会えたのは、そんな時もあるさ。
と両親と言い聞かせて居た。

翌日、旅行最終日はディズニーシー、
兄は絶叫系ダメだったよね。
無理やり乗せて怒られたよねと思い出しながら
歩いて居て、ふと、ダッフィーのぬいぐるみが目に入った。

そうだ、兄にシェリーメィの
ぬいぐるみを買ってもらったんだったと思い出し
相方が居ないと可哀想だからとダッフィーのぬいぐるみを買った。
そのあと予約していたレストランに入るとき
「4名さまですね」と受付のお姉さんがニコッと笑ってくれた。
その時、「え…?私たち3人ですけど」と
言うがお姉さんはニコニコと笑いながら
「4名さま、こちらどうぞ」と席に案内してくれた。
父が「お兄ちゃん居るの?」と後ろに向かって
聞いたりして、泣きそうになってた。
すぐに4名様というのはダッフィーの
ぬいぐるみを指しているとわかったが、
私たちにとっては兄も一緒に旅行しているんだと
嬉しくて仕方なかった。
ご飯を食べながらまた泣きそうになってたら、
母が「笑おう、お兄ちゃんの為に笑おう」と言ってくれた。

旅行から帰ってきて、ふと、
何かが吹っ切れた気がした。
先日父にあの時旅行企画してくれてありがとね、
と何となく言ったら
「あー、あの時旅行でも行かないと
お前が就活失敗すると思ってな」と笑って言われた。

今兄と同じ仕事をしてて正直、
理不尽なことで叱られたり、
つらいこともあるけど、
私も兄のようにコツコツと頑張ろうと思う。
もうすぐお盆なので、
兄が帰ってきてくれないかなーと期待を込めて!

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