二代目クソババア襲名おめでとう!

私は世に言うコトメ。
たぶん兄嫁さんからは、
例え実家を出てる存在だとしても
十分邪魔な存在だろうと思って、一定の距離を保っていた。

兄の子が生まれたときも抱っこもしてみたかったし、
早く会ってみたかったけれど、
所詮は旦那側の肉親だと割り切って兄経由で
出産祝いと手編みの顔を引っかかない用のミトンを渡したくらい。

月に一回実家に帰ったときに、
遠目で眺めて微笑んでいるくらいにしていた。
まあ世のお嫁さんからしたら、
これでも十分ウザい存在だったんだろうけれど。

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問題はトメである母だった。
母は口を開けば「自分は大トメにこんなことをされたけれど、
お父さんは全く助けてくれなくて毎日泣いていた」
と言い、今現在はウトである父をサンドバッグのように扱っている
。(父の自業自得でもあるから放置している)
それだけ苦労を語っていた母だけれど、
同居中の兄嫁さんに対してクソトメ化していきている。
そもそも元からその気はあったし、
兄から相談をされたときも「だろうな」っていうのが、感想だった。

最初同居するときも、兄や父には少し釘を刺したけれど
全くもって役に立たなかったようで。
当時大学生だった私は「まあ、お互い良い大人なんだから
上手くやるだろう。もし嫌になったら別居するだろう。
もう自分だけでの兄ではないし、
別家庭なのだから放っておこう」と思っていた。

しかし、その何年か後。
兄嫁さんが真冬なのにも関わらずつっかけサンダル、
コートもなしで車で30分ほどの距離の私のアパートに突然やってきた。
月に一度くらいは会ってはいたから、
痩せたとか顔色が悪いとかの見た目の変化はなかったけれど、見た瞬間に、これはまずいって分かった。
今考えても、なんでかは分からない。
「突然だけど遊びに来ちゃったー」
と確かに笑っていたはずの兄嫁さんを見て、
兄嫁さんのメンタルがおかしくなっているのはすぐ理解できた。

そこからは、ニコニコ笑う兄嫁さんから少しずついろんな事を夜通しで聞いた。
・トメである母が子供を手放さない。
・ジュースとお菓子ばかり与える。
・仕事で帰りが遅くなる時、少しでも早く帰って
子供に会いたいのに執拗に「外食をして来い」と言ってきて、
帰っても当然ながら夕食が用意されていない。
・子供のために早く帰ることもできないからと仕事を辞めたときに、
来客に「家の中に無職がいて、気が休まらない」と言われた。
・子供に食事を食べさせるために、
自分の食事を後回しにして世話をしていたら
「早く食べさせろ。その後は抱っこしていてやるから」
と良いとこ取りで決して手伝ってはくれない。
などなど。
聞いているだけで、自分の親ながらヘドが出るような内容だった。
そこからは、一定の距離を保とうと思っていて
実家に干渉しなかった私だけど、一気に覚醒?した。
実家にこまめに顔を出すようにして、
母のことをクソババアと呼ぶようにした。

「なんで食事させるの代わってあげないの?
育児の良いとこ取りとか、やってることは大トメと一緒じゃん」
「大トメのことクソババアって言ってるけど、
やっていることは全くもって同類。二代目クソババア襲名おめでとう!」

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「自分は共働きで、子供を大トメに預けるのが嫌だった。
お父さんに経済力さえあれば自分で育てたっていう口で、
兄嫁さんのことは無職って言うとか……。
自分で言ってることもろくに覚えていない鳥頭かな?
クルクルパーならぬ、クルクルババアかな?」

と、自分の親に対して酷すぎるかもって思うくらいに言った。
なんか兄嫁さんが泣きながらつらい、
死にたい、離婚したいと訴える姿を見て、
自分が言わねば!何かに火がついた感じだった。
兄や父は言い過ぎだと私を責めたが、
自分の母親がクソトメ化していたことに対して、
頭に血が上っていた私は

「今までは別家庭だと思って黙っていたけど、なんで言わないの?
『私は良かれと思って』と言い訳してやっていることが、
全部大トメと同じことしてるって誰も分からないのかな?
兄さんが離婚して、養育費を支払って月一回の面会だけで
これからの人生良いならもう言わないけど?」

と、兄や父にまで感情任せに攻め立てた。
実の娘にボロクソに言われ、ようやく
事態の重さに気づいた父と兄にも責められ、
日に日に母は小さくなり結局兄夫婦と別居した。

それから私は兄嫁さんと仲良くやっている。
別家庭だからと思い口を出さなかった私を、
トメコトメと敵認定していたらしく、
あの日突然やってきた時も離婚する前に
何か仕返ししてやろうと思ってきたらしい。
しかし別家庭だからと余計な干渉をしなかったという
私の言い分を聞いて、それもそうかと兄嫁さん自身が納得し、
互いに謝罪しあって終わった
兄嫁さんの良い嫁キャンペーンも終わり、兄を尻に敷き、
母にも負けじと言い返すようになった義姉を見れるようになって本当に良かった。

不干渉というよりフォローをしなかった私を敵認定していたという感じです。
学生だった当時の私は、人が心が参ってしまうまで
我慢してしまうということを根本から理解していなかったです。
学生なので『辞めたければ辞めれば良い。
嫌ならしなければ良い』という無責任な世界で生きていて、
嫌になったら別居すれば良い、離婚すれば良いという感じです。
兄や義姉の不幸を願っていたわけではないですが、
なるべくしてなってしまうことにとやかく言う気はない。と
いうスタンスでした。
だからこそ、目の前で母の『悪気はない』
クソトメ節をスルーしてしまったことは何回かありますし、
「また言ってるわ……」と思うだけでフォローしなかったこともあります。

それが義姉が私を敵だと思った原因です。
だからこそ、私も同罪で加害者だと思っています。
目の前で「死にたい、離婚したい」とさっきまで笑っていた人が、
ボロボロと涙を流す姿を見て、
人は我慢をしすぎて壊れてしまうんだということを学びました。
干渉はしないにせよ、もっと目の前でトメ化している
母にもある程度のところで釘を刺していれば、
母に対してここまで言わなくて済んだのかもしれません。
あんなクソトメでも自分の親ですから、言ったことへの反省もしますし、
未だに「もし母が死にゆくときに、私のことをどう思うのか」と考えます。

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