私は九州・四国あたりの県庁所在地育ち。
現在30、女性。

高校までは、本当にほぼなんの不自由もなかった。
仲の良い経済的にも余裕のある家庭で育ち、
学校の友達も多く、親友とよべる信頼できる友人もいたし、
問題等もなく、大過なく過ごした。

勉強もスポーツも音楽も美術もできて、
自慢のつもりはないが、我ながら優秀だったと思う。
文化祭やクラス会、体育祭の中心メンバーや長にもなったりして、
積極的な生徒だった。

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大学進学のとき、自分にとって面白そうな研究やってる大学いった。
関西の某旧帝大学。
初めての一人暮らし!いままでの教科書の
おベンキョーでなくクリエイティビティのある勉強ができる!
受験勉強から解放されて時間もたっぷり!
部活もバイトもできる!何しよう!
と、ほかの多くの新入生と同じように、
心弾ませて期待に夢を躍らせて入学した。
私の人生イチワクワクしてたと思う。

しかし、私という人間は、
なぜか関西では全っっっ然通用しなかった。
学校では、知人レベルはすぐにいっぱいできたんだけど、
関西人の会話のテンポにどーやってもついていけなくて、
「で、オチは?」とか
「お前のキャラはなんやねん」とかいわれてもうまく返せなくて、
距離が全然縮まらなくて、どーーーやってもダメで、
そのうちなにかと一人で行動するようになった。

結局そのまま、ゼミが始まってからも
どんなに頑張っても知人どまりで団体になじめなくて、
どこにも属せない、根無し草のような感じで学内生活を終えた。
そのほかも、ゼミ発表でがんばろうとものすごく努力して
準備していったのに突然欠講になって
日の目を見ることがなかったり、研究もうまくいかなかったり、
なにかとかみ合わず、最後まで力も発揮できず、認めてもらうこともなかった
(と、自分では思ってる。成績見るとそんなに悪くないので、
主観的なものなんだろうかけど)。

バイトでもダメだった。がんばってたんだけど、
何かと店長に目を付けられるとかイビられる役回りになってしまって、
どんなに頑張っても「ダメキャラ扱い」されて、
2年勤めた箇所が2つあったけど、
どっちも無力感の残るままウヤムヤな感じでやめてしまった。

部活でもダメだった。
ある競技を本気でやる部活に入って、
大学生活の情熱の多くを注いで練習に精をだしたんだけど、
それさえも結局はうまくいかなかった。
部内ではバイトとおなじく「ダメなやつ」キャラになって、
何やっても「なにやっとんねん」とダメだしされた。

最初は私も「自分がぬけてるからなあ」
と受け入れてゴメンゴメンといいながらやったんだけど、
何やっても何やっても認められなくてバカにされて、
明らかにほかの人が大きな失敗しても
「あいつはええねん」と見逃されて、
私の小さなミスは周りから一斉に糾弾されて笑われて、
どんなにドン臭い子でもスルーされるのに私だけ責められて、
どんなにほかの大学の人や
社会人(他大学や社会人のひとともつながりがある世界だった)のうまい人に
私の実力をほめてもらってもうちの顧問(顧問に認められないと
その競技の大会にはでられない)には認めてもらえなくて、
どんなにどんなにどんなにどんなに頑張っても認めてもらえなかった。

関西では、実力よりなにより「キャラ」が大切で(と私は思ってる)、
いったんそれが出来上がってしまうとそのラベルを剥がすのは非常に困難だった。
あまりにも報われなさ過ぎて、あるとき「私はもううまくならないし、
認めてももらえないし、大会にも出られないんだな」と悟って、
パッタリやめてしまった。
機材そろえたり講習料やら遠征費やらに
通算軽く2-300万は使った(お金かかる競技)し、
時間も情熱も膨大に使ったんだけど、
新しく準備したピカピカの上級機材をほとんど使わないままやめてしまった。

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あんなに期待に胸を躍らせて始めた大学生活、
上記のようにボロボロで、私はできないやつで
ダメな人間だとしか思えなくなって疲れ果ててしまって、
卒業後はまた地元近くの都市に帰って就職した。
もうこのころは希死念慮に悩まされ、心療内科に通って薬も飲んでた。
生きてても無駄だ、人に迷惑をかける、
いつ死のうかと毎日考えてた。自傷行為もあった。
大学の友人や高校の同級生が、
メーカーやら銀行なんやらいいところに就職決めていく中、
就職偏差値?なにそれおいしいの?
って感じの会社をフリーペーパーで見つけて、
非正規雇用ではいった。
いろんな意味でその時の私に合うと思ったし、
仕事も面白そうだと思ったから。

新しい仕事では我ながら能力の高さを如何なく発揮して活躍した。
職場のレベルが極端に低いというわけでもなく、
経歴的に優秀な人もいたけどその人たちとも遜色なく、
本当に「デキル」人として評価をしてもらい、
上司にもかわいがられ、仕事を任され、活躍したと思う。高校までの「できる私」の再来だった。
仕事が楽すぎて物足りなくて、2年前異業界・異業種に正社員で転職したんだけど、
ここでもまた仕事が簡単すぎるし、物足りないような気さえする。

今は仕事で認められ、友人もそこそこいて、恋人もいて、幸せだと思う。
だけど、「でも私は都会で通用しなかった」という徒労感・挫折感がずーーーーっと拭えない。
言葉で言い表すのは難しいんだけど、感覚として、中・高・大と順調に駆け上って
あとは一気にスベリ落ちて、ゆるゆると下り坂を降りているような感覚がぬぐえない。今どんなに幸せでも。
大学入学時から時が止まっている、という形容でもいい。
今でも関西または東京に出たいと思う時もある。
しかし同時に「でもどうせ通用しない」といいう思いが沸き上がって一歩を踏み出せない。
それと同時に、「あの悪夢のような4年間は何だったんだろう」、とも思う。

私の時間がまた動き出すのはいつだろう。どうやったら動き出すんだろう。
やり残したことが多すぎて、迷いが多くて、
今の会社で頑張って出世するぞ、とか、
今の人と結婚して家庭を持つぞ、という思いにもなれない。
「いつか」また都会に出たい、東京に出たい、
難しい仕事に挑戦したい、「でも」できない、
という気持ちに挟まれたまま生きてる。

自分で書いた書き込みを読み直して、返信も読んで、反省した。
関西という土地自体が悪いと言うような誤解を与えたかもしれない。
そうだったらごめんなさい。
(後半乱筆で二重表現もあり、失礼しました。)

不思議にも、関西自体に悪い印象はない。
みんな芯が強くて、笑いが好きで本当に面白い人たちだった。
その文化に馴染みたかったけど馴染めなかった、それだけ。

幼い頃から新しい環境に一人で飛び込むのは
得意なつもりだったんだけど、(言葉は悪いけど)所詮、家族や知り合い、
生まれ育った地域の庇護と助けがあったからこそであって、
「たった一人、見知らぬ土地で生活を始める」という覚悟が足りなかったし、
柔軟性も素直さも足りなかった。

この話、友人に話すにも重くなりすぎて気を遣わせてしまうので、
今まで心ゆくまで人にきいてもらったことはなかった。
ここに一気に思いを書いて、自分の書き込みを何度も何度も読み返して、
だいぶ客観視できるようになってきた。

今思えば、グループにはいまひとつ馴染めなかったし、
卒業後連絡とるような子もほぼいないけど、
一緒に同じ授業受けたり、ランチ一緒に取ったりするくらいの友人なら
けっこうな数いたんだよなぁ。
部活のみんなが私の部屋に集まって朝まで飲んだくれたりもしてたなぁ。
大して褒められなかったけど、小さな大会で入賞したこともあった。
なんだか、忘れてたよ。

そろそろいじけるのは終わりにして、
失敗を反省した上で過去に感謝して、手放して、
今を大切にすることにします。
その上で、新しい世界に挑戦するかどうか、
するなら具体的にどうするか、準備と覚悟を持って考えてみます。

読んでくれた人いたら、ありがとう。

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