命に係るような大事なときになっても嫁は、  「いや、職場に相談しないと・・・」

ある日のこと。
嫁が「電動チャリンコに乗るようになって体力が落ちた」
と言い出した。

何のことかと問うて見ると
「階段の上り下りがキツイ」とか、
「少し走っただけで息切れがする」と言う。

俺は嫁より2歳年上だが、週に2回運動をしているので
40半ばに近いが未だ体力には問題ない。
だから、「体力云々よりも健康診断に行け」と言った。
何度も言った。何度も何度も言った。
2週間くらい言い続けてやっと町医者に言ってくれた。

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町医者は「ウチでは判らないから・・・」と言って、
大学病院に紹介状を書いてくれた。

大腸がん(S字結腸がん)のステージ4だった。
嫁の父親(俺の義父)は
直腸がんで亡くなっている。
このときは便秘が1週間も続いて、
腸閉塞を起こしていた。
3月に手術をして半年間の予定で
抗がん剤治療をした。
しかし闘病も空しく、8月の盆明けには無くなった。
享年69歳だった。

それ以来、俺は家族の健康には
人一倍口うるさくなった。
子供が少し熱を出しただけで、
すぐに町医者に連れて行った。
実母が少し転んだだけで、
整形外科に連れて行きレントゲンを撮ってもらった。

嫁は便秘症だったから、
新薬・漢方薬の両方で薬を探した。
でも、嫁は「アタシは丈夫だから」って、
いつも暢気に暮らしてた。

大学病院でのカメラの検査の結果、
大腸にテニスボール大の癌が見つかった。
階段の上り下りが辛いのは
慢性的な酸欠状態だったそうだ。

癌治療の医学は常に進歩しているそうで、
義父が亡くなった時に比べて
癌患者の手術後の生存率は
年々高くなっているらしい。

しかし、テニスボール大にまで肥大した腫瘍を見て、
担当の医者も顔色を曇らせていた。

嫁の口癖である「アタシは丈夫だから」
の言葉に心底腹が立った。
検査結果を訊いた後は、
とにかくすぐにでも手術が必要だと。
幸いにベッドは空いているので、
いつから入院できるか訊かれた。

こんな命に係るような大事なときになっても嫁は、
「いや、職場に相談しないと・・・」
なんて寝ぼけたことを言う。

あ・の・な、嫁の職場がどうなろうと、
俺の知ったことじゃ無い!
もしもオマエがいなくなったら、
俺は生きていく甲斐が無くなるやろ!!

このときの俺は、本気で怒っていた。
「ちょっとは自分のことを優先して考えろよ!」って。
俺は嫁の意見は一切聞かずに、
最短の手術日を決めた。

そのころは3月の中旬で、
年度末にかかろうとしていた時期だった。
俺の仕事はある法人の事務長で、
人事・総務・経理をしていたが、
職場の決算と嫁の生シとは比べるまでも無かった。

替われるものなら替わりたい、
本気でそんなことを考えていた。
そんなこんなで、手術当日。
嫁のいる個室の病室に看護師が来た。
俺と嫁は一礼をした後、
看護師の後に続いて歩き出した。

手術室のある棟は、
病室のある棟とは違うので長い渡り廊下を歩く。
その棟は一般病棟と違って、
無菌室のような造りになっているらしい。

俺と嫁はほとんど会話をしなかったが、
何年かぶりに手を繋いでいた。
そして、いよいよ手術室病棟の前に来た。
嫁は幾分か引き攣った顔をしていたが、
それでも懸命に笑顔を造った。

「じゃ、行ってきます」

――――お、頑張れよ。
と、言ったつもりだったが、
声になっていたのか・・・

看護師に導かれて、
嫁は手術室のある病棟へと歩いていった。
主治医の話では、
手術時間はだいたい4~5時間とのことだった。
午前10時に手術室に入ったから、
午後3時のは終わるはずだった。
ところが、4時になっても5時を過ぎても
嫁は帰ってこない。

俺は病室で独り待ち続けたが、
5時半になった頃には病室と手術室を
行ったり来たりを繰り返した。

そんな俺を見かねた看護師が、
「手術が終わり次第お知らせします」と言った。
どうやら病院内をウロウロするのが
迷惑なようだった。
午後6時を少し過ぎた頃、
看護師が俺を呼びに来た。

手術は無事に終了して、
今は目が覚めるまでの
処置をしているとのことだった。

そして、主治医から手術内容と
その結果の説明を受けた。
大きな癌細胞を見て、俺はおもわず言葉を失った。

主治医の話では、患部は無事に取り除くことができ、
周りのリンパもほぼ治療できたそうだ。
ただ、リンパに一つだけ転移が見られたので、
今後は回復を待ってから6ヶ月の
抗ガン剤治療が必要らしい。

「抗ガン剤」と聞いて、俺の脳裏に
痩せて窶れた義父の姿が浮かんでしまった。
その後、病室で嫁を待ち続けていると、
しばらくしてストレッチャーに乗せられた嫁が
病室に帰って来た。
真っ白な顔色の嫁はガタガタ震えていた。

看護師の手でベットに移された嫁の第一声は、
「心配かけてゴメンなさい」だった。

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ーーーーなんでこんな時まで謝るんだよ。

息も絶え絶えになる嫁の手を握った俺は、
「大丈夫だ。何も心配ないから」と慰めた。
しばらくすると、寒気も治まったのか
軽い寝息をたてながら眠ったようだった。

ここは完全看護のため
付き添いは認められていないので、
後のことを看護師にお願いして、
その日は自宅に帰った。

しかし、俺はその夜、少しも眠れなかった。

最近の病院はあまり長く入院させないようで、
嫁も手術後1週間で退院することになった。
嫁は近くの職場でパートタイム勤務だったが、
とりあえず半年は休ませてもらえた。

我が家は俺と嫁、
そして娘が2人と息子が1人の5人家族だが、
高校生の長女と中学生の次女は、
家事をよく手伝ってくれた。
小学生の長男は、家事は何もできなかったが、
嫁を慰めることには役立ってくれた。

そうして退院後の1カ月は、
嫁はわりあい穏やかに過ごせたようだった。
ところが1カ月経過後、
抗癌剤治療を始めたせいで、嫁の様子は一変した。
まず最初に、病院で抗がん剤の点滴を打つ。
これに数時間かかるそうだが、
この時すでに気分が悪くなるそうだ。

そして、その翌日から自宅で抗がん剤を服用するのだが、
これもかなり気分が悪くなり、吐き気と倦怠感があるそうだ。

点滴後に薬を服用する期間が2週間、
なにもしない期間を1週間。
この3週間を1クールとして、
半年間続けることになった。

嫁は1クール目でかなり弱気になっていた。
季節は5月に差し掛かっていて、
気温も少し高くなっていたが、
薬のせいなのか体が震えるようで、
日中でも毛布を離さなかった。

嫁の具合が悪いだけで家族の表情は常に暗くなり、
家の中はいつも沈んだ雰囲気になってしまった。
そして2クール目を迎えた嫁には、
さらなる苦痛が待ち構えていた。
抗がん剤の副作用なのか、
手足が痺れるようになり、モノが掴めなくなった。

食欲は全くなくなり、
無理して口にしてもすべて戻していた。
体重はみるみる減っていき、
まさにガリガリの状態となった。

そんなに弱って苦しい状態でも、
いつも俺や子供の心配ばかりしていた。
「子供たちはちゃんとご飯を食べてますか?」とか、
「アナタのワイシャツ、
アイロンがけできなくてごめんなさい」とか、

日に日に痩せて
目ばかり大きくなっている嫁が可哀想で、
そして苦痛について自分が
何もできない無力さに腹が立ち、
悔しくて悔しくて仕方なかった。

それから4カ月が経過し、
嫁は無事にお盆を迎えることができた。

我が家は毎年お盆休みには、
嫁の実家に行くことが恒例となっていた。
我が家と嫁の実家の距離は車で約5時間、
ノンストップでも4時間かかる。

いつも中間地点に着くころには、
「エライ所の嫁を貰ったなぁ」と思っていたが、
結婚する2年前から約20年、
毎年お盆と正月には必ず行っていた。

子供たちは毎回必ず義母から
小遣いをもらえるので、当然に楽しみにしていた。
ところが、さすがにこの年だけは、
嫁を連れて遠出をすることは出来なかった。

まだ小学生の長男は
当然つまらなそうな顔をしていたが、
嫁はそんな表情から長男の気持ちを察してか、
「お母さんのせいでごめんね」と謝っていた。

熱いものは口に入れると痛みが走り、
冷たいものは舌が痺れると言って、
ほとんど何も食べられなくて、
ただ唯一口にできるのはスイカの汁だけ、
それも生ぬるいスイカの汁しか口にできない嫁。

マグカップを持っても
痺れのせいですぐに落としてしまい、
手を擦りながら落としたカップを
悔しそうに見ている嫁。

―――――嫁が何を悪いことしたんだ?
この世には神も仏もいないのか!?

罰を与えるならこの俺にしろよ!!
俺は誰かに愚痴りたかったが、
残念ながら無信心な俺の前には
神や仏が現れることはなかった。
その年の10月の末に
最後の抗がん剤治療を終えた嫁は、
それから少しずつ、本当に少しずつ回復しだした。

それなのに、「いつまでも迷惑かけられないから」
と言って、 すぐにパートの仕事を始めてしまった。
そして、「入院とか治療にお金がかかりすぎた」とか、
「パート収入が無くって、ごめんなさい」と謝ってくる。

――――オマエの命はそんなに軽いのか!?
と、俺は本気で腹が立った。

治療費がいくらかかろうと、
お前が治ってくれるのなら、
俺は悪魔に魂を売ってでも金を稼いでやる!
金の心配よりも、まず自分の心配を先にしろ!!

俺は大声でそう言いたかったが、
痩せてた頬にいくぶん赤味がさして
無邪気に笑っている嫁に向かって
怒鳴ることは出来なかった。
俺は嫁のことをこんなに気遣っているのに、
こんなに愛おしく思っているのに、
嫁は気遣われることに申し訳なく思っている。

嫁は今でも元気で暮らしています。
天然ぶりは相変わらずですが、
少しは俺に甘えてくれるようになりました。

来年は銀婚式なので、
何かイベントを考えてみます。

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