母は幼少の頃に徳島の山奥の村に住んでいた。「両親は何回も叔父に頭下げながら、私を担いで逃げたんや」

母の話。あまりくわしくは書けません。
ご了承下さい。名前も仮名です。

母は幼少の頃は徳島の山奥の村に住んでました。
その日は親戚が集まり大事な話があったみたいだったので、
母と兄は隣の部屋に先に寝かされました。
しかし、隣が気になり寝付けずにいると、
隣から祖父の声が聞こえてきました。

「洋子(母の名前)はまだ若いから、石鬼神(イオキ)様のご機嫌がとれんやろ。
今やったら晴海(母のいとこ)やで」

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母は意味が全く分からなかったのですが、助かったと思ったそうです。
次の日、晴海の両親は目を赤く腫らして、帰っていったそうです。

1週間後、晴海が山に行って亡くなったと連絡がありました。
その連絡を聞いた母の両親は、ヒソヒソ話したかと思うと、
祖父の部屋に行ったそうです。
晴海の葬式はヒッソリと行われましたが、
棺桶を担いだ母の兄は、
今でも「軽い棺桶やった。誰も入ってなかったんやろか」と言ってます。

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その後、母は兄と両親だけで村から出ました。
完全に夜逃げ状態だったらしいです。
母はそのことを今でも思い出すそうです。

「私等が逃げた後、他の親戚が血眼になって山狩りをしててな~
 とうとう私等は行くとこがなくなって、山小屋に逃げたんよ。
 ほな、そこに叔父さん(晴海の父)が、松明を持ってやってきたんや。
 けどその叔父は私等を見て、『はよ逃げ!』と言ってくれたんや。
 両親は何回も叔父に頭下げながら、私を担いで逃げたんや」

私が20歳を過ぎたときに、母はこの話をしてくれました。
村で何があったかもおぼろげながら話してくれたましたが、
他には漏らしたらアカンと言われました。
この話が広まると、私達がここにおるのがばれるからなって・・・。

現在、私の家庭はとても明るく元気です。
しかし、両親にこんな過去があったとわかってから、
二人は無理して明るくふるまってのかなと思います。

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