妹から手紙がきた。
母が余命宣告されたので、一度でいいから帰ってきてほしいと。
そこに書かれた電話番号に非通知で掛けて
「母だとは思っていない。死んだらその時に又手紙をちょうだい。
相続は放棄するから、その書類も一緒に送ってね」と言った。
我ながら酷い娘だと思うが、母に対しては憎しみすら無く何の感情もない。
20代で家を出てから一度も実家には帰っていないが
人伝に、母は二度目の離婚をし、妹も結婚して一年で離婚して出戻り
ふたりで暮らしていると聞いていた。
妹は「私にばっかり押し付けて!」と憤慨してたけど知らん。
憎んでくれて結構。
母も妹も、家族だと思えるような人生ではなかった。
昨晩、自分の半生を思い返しながら書いてみました。
かなり長いので、嫌な人はスルー宜しくお願いします。
叔父達との会話の辺りはうろ覚えなので矛盾があったらごめん。
小学校に上がる前に両親が離婚して、妹と共に母に引き取られ
その一年後に母が再婚したんだが、母も養父も妹だけ可愛がっていた。
私が何か求めて母に近づいていっても
「向こうに行ってなさい」とよく言われた。
妹はいつも母のそばにいたのに。
小さい方を大事にするのは仕方がないし、
実際妹はお人形さんのように可愛かったし
仕方ないかと思いつつやっぱり寂しくて、
一度だけお父さんに会いたいって泣いた事があったけど
母に頬を叩かれて「二度と言うな!」って言われてからは言えなくなった。
妹はお姫様のように扱われ、我儘で高飛車な少女に育ち
常に私を見下し、汚いものでもみるような目で見た。
そんな子供時代だったけど、子供にはどうすることもできなかった。
私は自分が悩まない為に色んなことを諦めて、ひたすら勉強した。
自立して自分の人生を生きるためには、とにかく今は勉強だと思っていた。
でも大学受験が近づいてくると、当然のように親は就職しろと言うし
奨学金を借りて大学に行って、
ちゃんと就職できなかったらどうしようと不安になり
進学する勇気がなく、結局就職することにした。
そう決めた日には布団の中で泣いたなー。
就職してとにかくお金を貯めよう。貯まったら家を出よう。
お金がたくさんたまったら、それからでも行けるものなら
大学に行きたいと思っていた。
だけど転機が訪れた。
私が25、妹が21の時、自宅に男性ふたりが訪ねてきた。
実父の弟と司法書士で、事後報告を謝りながら
父が亡くなったことの知らせだった。
司法書士が一緒に来たのは相続の話をするためで、
うちの住所を調べたのもこの人だったみたい。
母がずっと隣にいたけど
「未成年じゃありませんから、お母さまは席を外してください」
とか言われて私と妹だけに話があった。
一番最初に妹に対して「ご両親のことはお聞きになってますか?」と聞いた。
妹は私をチラチラみながら薄笑いを浮かべていた。
妹が知ってると言うことは叔父には分かってたみたいで、
そこから私に対しての説明があった。
叔父とは小さい頃に何度も会ってるらしいけど私は全然覚えてなくて
でも写真を何枚か持ってきてて見せてくれた。父も一緒のやつ。
妹とは父親が違うこと、父が私の親権だけは取りたくても取れなかった理由とか、
養育費は一括で支払ったけど、面会できなかった理由とか。
離婚原因となった母の浮気相手は養父、妹にとっては普通に実の父親だったようだ。
知らなかったのは私だけだった。
何が本当で何が嘘なのか正直分からないけど
どうりで・・・って、色んなことが腑に落ちたので
たぶん本当のことなんだろうと思った。
それでも戸籍的には妹は父の次女になっている。
なのでどうやっても相続権が発生してしまう。
それに対して父が用意していた算段は、妹に100万のみ。
不服がある場合は裁判を起こしてくれて構わない。
その場合はDNA鑑定なりして実の父子ではなく、
現在の養父が父親であると言う証明をし
相続から廃除するよう裁判をこちらも起こす。
その場合はもちろん100万円の相続もなくなります。
~みたいな事だったと思うが、そういう説明があった。
叔父と司法書士と、その辺りは打ち合わせ済みっぽかった。
叔父は妹に対し、噛んで含めるように
「兄は何も知らなかったとはいえ、
あなたが2歳になるまで実の娘だと思って育て
あなたの分も養育費を支払ったのだから、十分ですよね?」
と話し、「あとは私ちゃんとの話ですから」と席を外させた。
私が相続する遺産は、父が住んでいた築20年ほどのマンションと預貯金数千万ほど。
あとは私が受取人になってた生命保険。
叔父は小さいながらも会社経営していて、よかったらうちで働かないかと誘われた。
もしそうしたいならいつでも連絡をって名刺を貰った。
ふたりが帰ると母から
「何を聞いたのか、遺産はどれぐらい入ってくるのか」
と盛んに聞かれたけど
何も話せなかった・・・っていうか、母をすごく煩わしく感じた。
あんな感覚は初めてだった。
一週間ぐらい考えて、叔父のお世話になることにして
父が住んでたマンションに引っ越すことにした。
元々地元に思い入れみたいなものは薄かったから
新天地に行くことに躊躇はなかった。
家を出る時は、母から本っ当にしつこくしつこく相続額を聞かれた。
「いくら入ったの?」「ねえ、いくら入ったの?」って。
あんなに私が近づくのを嫌っていたのに、私にまとわりついてきた。
そしてそれまで見下していた姉にだけ高額の遺産が転がり込んできて
家を出ると言うことに妹が荒れた。
妹はあまり頭は良くなかったけど、
勝てる戦ではないことは分かったようだった。
家を出る時に“育てた恩”をやたら突きつけて来た母だったが
叔父から聞いた、
“大学を出るまでの”養育費は父から一括で払われていたのに
大学には行かせて貰えなかったことを質問したら黙った。
叔父は、うちで働くならまずは資格を取りなさいと言って
そこでアルバイトをしながら専門学校に通わせてくれた。
これからの時代は女性も資格を持つべきだって言って。
そうして2年間専門学校に通って、ある資格を取得したのち
叔父の会社で正式に採用してもらった。
叔父のお世話になるようになって20代も後半になってくると
盛んに見合い話を持ってこられた。
父の代わりの花嫁姿を見たいとか言って。
でも私はどうしても結婚したいと言う気持ちを持てなかった。
今のままが気楽、家庭を持つのが面倒臭い、と。
叔父たちを見ていると、素敵な家族だな、幸せそうだな、いいな、と思えるけど
私はきっとあんな家庭は持てないと思っていた。
叔父も私の中の葛藤を理解してくれて、強く勧めることはしなかったけど
数年前に叔父が事故で亡くなった時、叶えてあげられなかったことを
とてもとても後悔した。
叔母も従兄も「気にしなくていい」と笑ってくれるけど
叔父が私の前に現れなかったら、どんな人生を歩んでいたかと思うと
やはり申し訳ない。
40代となった今、クールな彼(茶トラの保護猫)と
とても穏やかな毎日を過ごしている。
あの家では絶対味わえなかった穏やかな日々。
これから妹に面倒事を持ち込まれることもあるだろうけど
昔のように見下されっぱなしには絶対ならない。