父と娘の喫茶店デートは墓場まで持っていくはすだった

約60年前。太平洋戦争が終わったのが70年前だから、
まだ日本中が貧しくて、食べていくのが
精いっぱいだった時代。

マリコ(仮名)が学校を卒業して、就職した。
マリコは長女で、食べ盛りの妹弟がいっぱいいる。
自分が就職したら家にお金を入れて、
両親にも一息つかせてあげられる。
待望の給料日。お金の入った封筒を大事にバッグに入れて
(昔の給料は手渡し)、会社を出ると、
物陰から父親がぬっとあらわれた。

今も昔も、ろくでなしの父親が
子供の給料を巻き上げていく話はよくある。
マリコもそれかと思って身構えたが、
自分の父親は真面目な勤め人で、
酒も賭け事もしない。

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父親はもじもじしながら一言。

「なあマリコ、ケーキおごってくれんか」

ズコーとなるマリコ。
子沢山の家で、父親の稼ぎは全額生活費。
息抜きに使えるお金は1円もない。
そして、お酒も当時流行していた
マージャンもやらない=社会人としてダメ、
という世間の風潮で、職場で友達もいない。
せめて甘いものが食べたい……というわけで、
マリコにたかりに来たのだった。

父と娘は生まれて初めて喫茶店に入り、
差し向かいでショートケーキ(昔はケーキというと
シュークリームかショートケーキの二択)と
コーヒーをいただいた。

味をしめたらしい父親は、翌月もマリコの給料日に現れ、
(父親の勤め先とマリコの勤め先は目と鼻の先)

「なあマリコ、アイスクリームおごって(ry」

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父と娘は喫茶店でアイスクリームを
さらに翌月、今度は

「なあマリコ、映画を(ry」(テレビのない時代、映画館で映画を
見るのは、レンタルDVDと同じ感覚の安価な娯楽)

この月1デートは、マリコが結婚するまでの数年間続いた。
マリコと父親は、このことを母親と妹弟には黙っていた。
母親だって息抜きも娯楽もなく、
一所懸命子育てをがんばっている。
妹弟もご飯は十分に食べてはいるけど、
お菓子には不自由している。

こっそりケーキを食べたり映画を見たりしているのは
後ろめたい。
ばれたら責められるに違いない。
そのうち世間は高度成長期になり、
妹弟も成長して、ケーキも映画もぜいたくでは
なくなった。

さてマリコは私の母。
仮名は母の大ファンの『科○研の女』から。
認知症で、昔話の無限ループ中。
なのだが、本日、上記の話がぽろっと出た。

全くの初耳。30年前に他界した
祖父(マリコの父親)からも聞いたことがない。
親族が集まって昔話に花が咲く時も、
この話が出たことはない。

祖父は本当に、墓の中まで持っていった。
母もそのつもりだったろうが、認知症で
記憶のロックが外れたらしい。

今となっては笑い話だが、本気で「家族に悪い」と
思い続けていたんだろうな。

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