女三人で山奥に住んでた人の話を聞くスレ

専門学生時代に、山奥の空家を借りて女3人で住み始めた。

その全部が衝撃の連続だった。

仏壇が置いてあるままなので住んでくれるだけで有難い、ってことで家賃は月8000円。
水道は山水が直接引いてあるのでタダ。超旨い。
ただ飼い猫とかはタヌキに狩られたりするので注意ね、とか言われて猫餅2人はビビってた。

ザッと片付けて住み始めて1日目で、子猫大の巨大ネズミが出た。
でも既に死んでて、2階に積んであった古いマットレスの間に『犬神家』な感じで刺さってた。
ギャーギャー言いながらジャンケンで負けた私が片付けた。

2日目で巨大ムカデ。あと庭にはヤスデ(茶色の毛虫)が数万匹。

住み始めて気がついたけど、玄関から見える位置でここんちの墓が並んでた。
横溝正史好きだったが一切読めなくなった。

秋にはカメムシが大量に出た。窓閉めてても大量に入ってくる。
なんでだろう、と思ってふと壁と天井に隙間があったので覗いてみたら、
天井裏?が見えてそこに何千というカメムシがびっしり挟まって?て、
速攻ビニールテープ買ってきて目張りしたら入ってこなくなった。

猫が蛇を獲ってきて、でもサイズが猫よりも大きかったせいで、
首に巻き付かれて絞められて死にそうになりながら自室に入ってきた時も修羅場だった。
うわああああ!!!って絶叫しながら猫から必死で蛇を剥がそうとするけど怖くて触れなくて
でもそのうち猫が横倒しになってピクピクし始めて、うわああああ死ぬ死ぬ死んじゃう!ってパニック。
無我夢中で素手で引き剥がして窓から投げ捨てた。猫は無事だった。

あと、近所のばーちゃんが勝手に家に入ってくるのも衝撃だった。
食べられない量の野菜(それこそゴミ袋いっぱいのナスとかかぼちゃとか)を毎日くれる。
貧乏だったから有難かったけど、正直処理に困った。
田舎のおばあちゃんって自分たちで食べきれない量を作るよね。

居間で同居人のねえさんと寝っ転がってコタツに入ってたら、
格子状になってる天井を、缶コーヒーほどの太さの蛇が
「のたぁ・・・」って感じで這って?横切っていくのを見た。
3メートルほどの距離をゆっくり這っていくのを2人で無言で見てた。衝撃だった。

同居解消の最終日、一番年長のねえさんに

「言わなかったけど、この家、出てた」

と言われて最後の衝撃体験。

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結構雰囲気のある古い田舎家だった。
納屋があって、土塀があって、開かない部屋があって、使わない布団が大量にあった。
話を聞いた友人が面白そう!って泊まりに来るんだけど、誰も絶対2回目はなかった。

家主に聞いた話だと、最後に住んでたおばあちゃんが寝たきりになって、
介護するためにリフォームしたんだけど使わないうちに亡くなったらしい。
だから風呂はボイラー焚きで綺麗だったし、トイレは水洗だった。(外で汲み取りだったけど)

星が綺麗で、川がそばにあって、川の音を聞きながら寝た。
ただ春は、川から裏山に帰る?カエルが、夜になると何百匹と道路に上がってくるので
車で帰宅するとタイヤで何匹も轢いてしまうのが辛かった。

同居を解消したのは、3人のうち一人の結婚が決まったのと、冬の雪深さに辟易してたから。
残った2人では物理的に生活出来ないので、2年半で山の生活は終わった。

あと裏山が土石流でちょっと崩れたことで、親から

「なんでもいいからソコに住むのはやめて」

と懇願されたから、ってのもある。

2件隣(といってもすごく離れてたけど)のばーちゃんが
本気で犬神家の双子婆さんにそっくりで、そのばーちゃんも
のっそのっそ家に入ってくるから超怖かった。
もう亡くなってるだろうなー。あの当時で90くらいだったもんなー。

なんか書き込んだらいろいろ思い出してきた。

近所のじいちゃんが

「たぬきが捕れたからやる」

ってボコボコした生肉を持ってきた。

タヌキってあれ、牛とか豚とかの肉と違って丸い筋肉が連なってる感じなのね。
食べ方を教えてくれなかったから女3人で考えた結果、
なんか昔話で聞いたことある『たぬき汁』にすることにした。たぬき鍋。

「珍しい肉食わしてやるから集まれ」

って友人数人も招待して、野菜をグツグツ煮たたせた土鍋に、満を持してタヌキ肉投入。

結果、どうにもならん悪臭爆発。

アクが凄くて一口も食べられず、客は無理っ!って即退散。
残ったのは悪臭漂う一軒家と、生ゴミとなった鍋と、呆然な女3人。

野生の獣の肉って、食べる前に何回も湯に通してアク取りしなきゃいけない、って初めて知ったよ。

数週間は匂いが残って居間にははいれなくなったし、土鍋は匂いが取れず結局捨てた。

住んでた期間は、確か23歳からの2年半。
同じ専門学校だったお姉さん2人と、ハウスシェア?して住み始めました。

家は「字」がつく住所の場所にあって、たぶんもう今は誰も住んでないんじゃないだろうか。
当時から限界集落だったし。
街から30分以上は山に分け入らないといけない場所でした。車必須。自転車は無意味。
隣近所に若者は皆無で、年金暮らしの年寄りしか住んでない。
そういう場所に若い女3人で住むわけだから、悪目立ちの意味で目立ってたかもしれない。
今考えると。

最初に家を借りてきたのは姉さんB(当時25)で、
家を荒らさない、掃除する、の約束で契約してきました。
そこに後輩だった私(23)と姉さんA(35くらい)が便乗。
当時6畳二間で30000円のアパートに住んでいたので、3人で8000円は魅力だった。
ちなみに平成の話です。

前のスレにも書いたけど、水道代は山水使用でタダ。ガスはプロパンで4000円?
電気は一万円くらい?で三分割で3000円くらい。
まじで居住関係のお金が大幅に節約できて本当に助かってました。
ただガソリン代は各々にかかってたけど、まぁ当時はレギュラー80円代だったから。

ロケーションを説明すると、本当の意味で「山の中」
郵便局員が来ない土地。(パート?のおばちゃんが数日分まとめて郵便物を持ってくる)
トイレは数ヶ月に一度、業者に頼んで汲み取ってもらう。確か一回5000円だった。

玄関にたどり着くまでに傾斜角度が急な1メートル幅の坂が15メートルほどあり、
車を止めてから徒歩で毎回登らなければ家に入ることが出来ない。これがかなりキツイ。
たぶんこのせいで、なかなか大きくて綺麗な家だったのに借り手がなかったんだと思う。
一番辛いのが灯油。灯油運びが死ぬほどキツかった。
両手に灯油のポリタンを二個もって、傾斜角度30はある雪道を這うように登る。
姉さんAがヘルニア餅だったので、その分も運ぶ。あと米、米運びも酷かったな…。

灯油と言えば、一回灯油配達を町のホームセンターに頼んだら、
住所言っただけで「そこは無理」って断られた。
姉さんBが「なんでええええ」ってすっごい悲痛な感じで電話口で叫んでたの思い出したwww
市内なのに「離島扱い」な地域だったんだよね・・・。

灯油はどうしても風呂焚きに必要だったから、一週間に一度は買いに町に行かなきゃいけなくて、
ほんと当時は若かったから出来たんだと思う。あの地獄の灯油運び。

坂道はほんきで毎回泣きたくなった。日常の買い物も辛かったし。しかも両側が崖。死ぬ。

ヤスデは最初こそキャーキャー言ってたけど、2年半の最後はブチブチ普通に踏んでた。
ムカデは見つけた瞬間ティッシュで掴んで遠投できるくらい逞しくなってた。
虫関係は怖がってるだけ損、くらい出たからもう麻痺してた。

改めて考えてみると、若い女が住むとこではなかった気がする。楽しかったけど。

・とにかく居間の横にある仏間が怖い。
仏壇も、遺影も、位牌もとにかくそのまま置いてある。
消えたロウソクまでそのまま放置。たぶん、次のお盆までそのまま放置。
あんま大事にされてなかったのかも。
鴨居のとこにズラーっと並んでる位牌は全部白黒写真で、古い写真だから写りがぼんやりしてて怖い。
親戚の家の仏間なんか何にも思わないんだけど、赤の他人の家の仏壇関係は今でも凄く怖い。
たまに猫が麩を開けててめちゃめちゃ怖かったのを覚えてる。

・ダンスダンスレボリューションが流行った。
姉さんAがダイエットを兼ねて毎晩居間のTVの前でダンスをするようになった。
レベルMAXのとこまで踊れるようになったりして皆でやんや言って喜んでたらある晩、床が抜けた。
居間の床が畳ごと完全に抜けて、姉さんAが胸まで埋まって硬直してた。
見てたこっちも固まった。床板腐ってた。

・昔懐かしいテレホーダイでネットを繋いでた。
夜11時くらいから朝6時までなら定額制、だった。たぶん。
そこで侍魂とか読んでた。懐かしい。

・二階に部屋が3つ横に並んでて、ひと部屋づつ3人で使ってた。
大・小・中の順で並んでて、私は真ん中の小の部屋を貰った。通称カメムシ部屋。
大きい部屋(すきま風部屋)は姉さんB、
中の部屋(八つ墓部屋←窓から墓が見える)は姉さんAが使ってた。

ああ、位牌じゃなくて遺影だった。間違えた。あと麩は襖だ。

続き。
・大きい部屋は本当に大きくて12畳くらいあって、タンスが備え付けてあった。
たぶん、この家に昔住んでた人の嫁入り道具?だったんだろう。最初使っていいよ、と言われてた。
開けたら中にいっぱい古い服が入ってて、姉さんBは開けた瞬間すぐ閉めて
ガムテで目張りして封印してた。
そのまま2年半、一度も開けずに「壁」ということになってた。

・中くらいの部屋は八つ墓部屋で、ここもまた白いタンスやらフランス人形やらがそのまま放置されてて
窓からは古い墓が10以上もこっち向いて並んでるし、山肌近いし、とにかく雰囲気がすごかった。
でも床はピンクのカーペット。天井がなぜかペンション風に斜めになってて、この部屋だけ出窓。
つまり若い人向けに作った部屋だったらしくて、姉さんAがこの部屋を気に入って使うことになった。
前述の「実は出た」と言った人がこっちの姉さんなんだけど、この部屋に住んで平然としてたし、
彼女の言うことは現実味があるような気がしないでもない。私は霊感とかないんでわかんないけど。

虫関係の話が続いてちょっとアレなんだけど、カメムシとの格闘がひどかった。
あの家での生活をはしょって話せ、って言われたら
迷わず「カメムシハウスに住んでた」って答えるくらいの感じ。

縁側にガラガラガラーって横に全部まとめられる雨戸があるんだけど、
そこがある時期になるとカメムシでびっしり埋められるようになる。主に秋。
住み始めて最初の頃はもう1匹見るたびに「きゃあー」とか言ってたけど、
もうそんな量じゃない。対処できない量。
カメムシって甲虫?なので、キンチョールとかかけてもしばらく死なないし、
効いてない?んじゃないかと思うくらい飛び回る。
間違って踏んだりすると、あのどうしようもない臭いでどうしようもなくなるし、
噛まないからいいものの、なかなか強力な害虫だと思う。
そんでそれが朝起きると、雨戸にびっしり張り付いてる。それも内側に。
そのうち朝ごはんの前に、雨戸全体に「カメムシコロリ」(スプレータイプ)を吹きかけるのが日課になる。
朝ごはんを食べ終わる頃に、軒下に数百匹のカメムシが転がっている。
→ホウキで集める→臭いので庭に埋める。
・・・というのを繰り返していると、そのうち庭中に「カメムシ塚」が出来ることになってなんか凄かった。

今思い出せるのはこんな感じかなあ。読んでておもしろいかどうかは分からない。

とにかくあの当時、生活費が食費を合わせて2万円内で収まった、ってのが自分的に大きかった。
同居していた姉さん達もサバサバしてて楽だったし、猫もいたし。

姉さんAが最後に言った「実は出てた」という話も、
後で聞いたらなんか「おばあちゃんが一緒に住んでた」ってことらしい。
私には見えなかったからなー・・。

あ、寝る前にもうひとつ。

山の家、何故か蓋がいっぱいあった。鍋はないのに鍋の蓋だけはごっそりある。
シンクの下から出てくる。
あと瓶はないのに瓶のフタだけむちゃくちゃある。引き出し開けたらフタだけが出てくる。
後輩に「フタ屋敷」と呼ばれるようになって何か面白いので
地元のFMに「フタ屋敷三姉妹」ってHNで投稿したら
その日のうちに専門学校の先生、先輩、同級生、後輩から
「あれ、おまえらだろ」ってメールがじゃんじゃかきた。

そのくらい娯楽のない田舎でした、という話。おやすみなさい。

・専門学校に行きながら、その系統の内職をもらって仕事して生活してた。
多分毎月5万円くらいで生きてた。
ある日、締め切りが近い仕事があったので早起きして、カメムシスプレーして、
大リーグのイチローの打席見ながら仕事しようとTVつけたらNYのビルに飛行機が突っ込んでた。
時代としてはその頃。
7時頃に起きてきた姉さん達に「世の中はすごいことになってるよ!」って言いながら
味噌汁注いで朝ごはん食べたなー。

・姉さんAの話だと、「一緒に住んでたおばあさん」はたまに日中出てきてたらしくて、
掃除した場所から「ようく綺麗にしてあるねえ」って喜んでる声が聞こえてたから
悪い人じゃなかったんだって。
で、それって近所の(生きてる)おばあちゃんじゃないの?って聞いたら、そうじゃない、と。
私もこの話は半信半疑だからふぅん、で流したんだけど、まぁ害がなかったしいいよね、
という3人の結論。

・女3人で住んでたけど目立った喧嘩とかはなかった。
基本、皆あんまり繊細な人間じゃなかったし、そもそも繊細だったらあの家には住めなかったと思う。
あと年長の姉さんAが何事も気にしないタイプの姐御肌、
姉さんBがしっかり者だったのも良かったんだと思う。
あの頃、血縁関係のない集団生活のコツを掴んだおかげで、いま現在あんま旦那にカリカリしない。
期待せずにマイペースに暮らすのが一番お互いが楽だと知った。

縁側から外を眺めると、ずっと下に川が見えて、その対岸に棚田があって、畑になってる。
そこに近所のおばあちゃんが畑を作っていて、いろいろな作物を育ててた。
「おはようございまーーーす」と声をかけると、鍬を持ち上げて挨拶を返してくれる。
大きなサトイモの葉っぱを振ってくれたり。
たまに暇なときに草取りを手伝ったりした。羊羹を分けてくれて、畦に座って2人で食べたり。
娘みたいに思える、と言ってくれて嬉しかった。
あのおばあちゃんもう亡くなったんだろうな。

うああああ今、リアルあの頃の友人から「おまえだろ」ってメールキタ!!
なんで即日身内バレした!?www
まー別に変なこと書いてるわけでなくて事実だからいいんだけど・・・。スレ住人だったのか?
そこは答えてくれない。どういうことー。

昨日、ひさびさに姉さんAと連絡を取ってこのスレのことを報告したら、電話口で爆笑してました。
姉さんBにはURL送っときました。多分怒らない。多分。

まだなんかおもしろい話ってあったっけかー・・・といろいろ記憶を掘ってはみるんですが、
出てくる話が全部虫がらみっていうか、むしろ虫関係しか覚えてない。

なんか住み始めて最初の頃は、私も姉さんズも相応に乙女チックな?夢を抱えてて
せっかく庭があるんだからガーデニングがしてみたいワー、とか言って
ハーブの種を購入してみたりするんですよ。
でも毎日毎日カメムシやら長虫やらと格闘しなきゃいけない生活してると、
は?ハーブ?けっ・・・やかましいわ!みたいな心境にだんだんなってくる。
乙女では山で暮らせないという現実を知るわけです。
結果ハーブの代わりに植わるのは、ミョウガとかネギとか実用性の高い植物ばかりになる。
女3人も住んでるのに。
すると、それを家主のおばちゃんが見て「庭がさみしいわよー」と
合間合間に仏壇に飾る系の花を植えていくんです。
菊とかグラジオラス?とかなんかそういう華々しいやつを大量に。

最終的にどういう庭になるかというと、
オネギやらミョウガやらの間に仏菊が咲き乱れ、幾多のカメムシ塚に囲まれた、
実に合理的な庭が出来上がる。

そんな殺伐とした庭でも、たまには何か「若さ」みたいなものが欲しくなるんです。住んでると。
3人のなかの誰か一人がある日発作的に「バカンス的な何か」を求めたりする。
するとカメムシ塚だらけのスーパーみたいな庭に突然ビーチパラソルが立ったりして、
急にそこだけ妄想グアム。
ビニールプールも出して、女3人でキャーキャー水遊びとかしてました。
わざわざ水着着て、グラサンかけて。

姉さんAに、あそこに住んでて印象に残ってることは何かあるか、と聞いてみました。
そしたら、蟻ケーキ、ネズミスリッパ、アルミサッシで蛇脱皮話、とかもうホント散々でした・・・。
全部そっち系・・・。

そんななかで和み系なやつは、ホットサンドの話。
姉さんAが仕事(※山に移住時点で専門学校は卒業して就職してた)から昼食を摂りに帰ってきたとき、
ヒーヒー言いながら15メートルの坂を登って「あーラーメンでも作るかなーお腹へったー」なんて
考えていたら、 登りきった先に猫の寝そべる縁側が見えて、
そこで私と姉さんBがホットサンドを焼きながら「あーおかえりー」と出迎えてくれた、と。
タンポポやら春の小花が道の脇にいっぱい咲いてて、日差しがポカポカしてて爽やかで、
空腹で疲れて帰ってきたら、庭先でチーズやらハムがいっぱい入った熱々のホットサンドと
コーヒー作って2人が待っててくれたのが本当に嬉しかった、と。
私あのとき本当に「幸せだなー」って思えたのよ、と姉さんAが言ってました。

そういえば、そんなこともあったかもしれない。そんな話。

あ、補足としては

・蟻ケーキの話
姉さんBが車の中に貰ったケーキを置いたままにして家に帰って
(過酷坂を登るのにほかの荷物で両手が塞がっていた)
夕飯後、食べようと持ち帰って箱開けて3人で覗き込んだら、ケーキが蟻で真っ黒だった。絶叫。

・ネズミスリッパ
飼ってた猫がとにかく獲物をとってくる。小動物から巨大バッタから銜えられるものなら何でも。
あんまり獲ってくるから獲ってきたら家に入れないことにした。
しばらくして口にくわえてないことを確認したら入れる。
そんなことをしてたら猫も学習したらしく、獲物を見せる前にいろんなとこに隠すようになった。
植木鉢の隅とか死角に置いたり。
ある日、姉さんAがスリッパ履いたら中にネズミがつまっててた。絶叫。

・アルミサッシで蛇が脱皮
玄関のドアがアルミサッシだった。
朝、姉さんAが仕事に行こうと開けようとしたら、下のレール?の切れたとこ?
で巨大な蛇が皮を引っ掛けて脱皮するのに使ってた。絶叫。

家主のおばちゃんも川向こうの棚田で畑を作っていて、そこで育てた作物や花をどんどんくれた。
花を作るのが趣味だと言っていて、百合やら菊やら惜しげも無く一抱えも持ってきてくれる。
ただ3人とも生ける花器を持ってなかったので、しばらくは色気も何もなくバケツに突っ込んで飾ってた。
そのうち生活が落ち着いてくると、洒落っ気も出てきてこれじゃいかん、となった。
いくらなんでも女3人住んでてバケツはない、と。

蔵の中をいろいろ見てみると、古めかしい臼があって、これはいい!と玄関に引きずってきた。
 ※餅をつくやつ。餅を入れるほうのやつです。
長年使ってなかったので乾燥で縦に大きく割れていて、水を入れてもジャージャー漏れてくる。
これを家主のおばちゃんに許可をもらって、花を生けることにした。
重量もあるので、どんなに大きな花を立てても全くグラつかないし、いくらでも生けられた。
おばちゃんがどこかから切ってきた山桜を枝ごと入れたりして、まさに古民家、って感じで素敵だった。

おばちゃんもやった花を綺麗に生けてくれるのが嬉しかったらしくて
(主に花を生けてた姉さんBは、着物が着れたりお茶を習っていたりして風流人だった)
私たちにくれる為だけに山に分け行って、季節の花をとってきてくれたりした。ありがたや。

そんなある日、おばちゃんが背丈ほどもあるマタタビの枝をくれた。なんか花が咲いたとかで。
地味だったけど清楚な花が咲いていて、早速玄関上がりの臼に飾った。
枝の張り出し具合とか、裾の混み具合だろかを見てるうちに、猫が帰ってきた。
ちなみに2匹いた。姉さんAの猫・チョビ(チョビ髭)と、私の猫・菅原グンタ(硬派)
2匹とも揃って帰ってきて、一直線にマタタビの下へ。
しばらく、ふんふんふん、と葉っぱの匂いを嗅いでいた。
でも数秒後、いきなりバターーーーーーン!!!と二匹同時に横倒しに倒れた。
手足をつっぱらせて、吉本新喜劇みたいな感じで左側に同時にパターン!と。
見てたこっちがえっ!!?えっえええーー!!?って動けないでいるうちに、
猫が「んっふっふっふっふ」と笑い出した。

・・・・えっ猫って笑うっけ!!?って驚愕してるあいだに、猫がどんどん変になる。
なんか手足をつっぱらせてたと思ったら、いきなり立ち上がって、
酔の回った駅前のオッサンみたいに臼にしなだれかかって、
また「んっふっふっふっふ」と笑い出す。なんか今書くと嘘っぽいけど、まじで美輪さんみたいに笑ってた。
そんで、臼に生けてあるマタタビの葉っぱをうっとり眺めて、まさかの失禁までしてた。

猫にマタタビ超怖い、という話。

思い出、思い出、思い出・・・思い出かあー。

12~3年も前の話なので正直、記憶が曖昧な部分も多々ありまして。
一通りレスを読んでもらった姉さんAには、「電気代は1万円もかかってなかった」と訂正されたりしています。
あと水道は、山水オンリーではなく水道水の出る蛇口もちゃんとあった、と。
むしろ夏の渇水期は「飲み水以外はあんまり使わないで」と村の人に言われたよ、とのことでした。
忘れてました・・・。

山の家に移住した動機と経緯・・・は、動機はほんとにただ貧乏だったからです。
専門学校を卒業しても「就職」という形態では働けず、
お手伝い、のような名目で仕事をさせてもらい、お小遣いの形でお金をいただいてました。
その専門学校で習って就く「職種」自体が、不況でダメージを溜めまくって
若い人を受け入れられない状況だったんです。

家賃3万円というと今だとすごいボロボロをイメージされるかと思いますが、
あの当時の田舎の町では6畳二間でキッチン別・トイレ風呂有だとどこもそんな感じでした。
その3万を払ったらあとは食費と光熱費でカツカツの生活、という感じの経済状態でした。

買い物や出勤は車一択です。自転車やバイクでは生活は無理だと思います。
バスは村の出入り口のとこにバス停がありましたが、日に1~2本て感じでした。
スーパーなんかへは15~20分?てとこでしょうか。
仕事帰りにスーパー寄って、食費のサイフから夕飯当番の人が夕食分を買って帰る、という感じ。
3日分くらいをまとめて買って、3日連続で夕飯を作って、次の人、という感じでやってましたねー。

仕事しながら、考えてました。そもそも何で山に住んだっけ、と。

あの頃から既に過疎化の進んだ土地でしたから、もう少し町寄りにも住む場所はあったかもしれません。
虫や蛇が平気なわけではなかったし(むしろGが出て絶叫する人間でした)
田舎暮らしに特別憧れがあったわけでもなかったし・・・。

姉さんBが持ってきた同居話に、よく考えもせず飛びついたのは
前述したように貧乏だったせいもあったけれど
ただひたすら単純に「若かったから」なんですよね。・・・
いま、この年になって、月5万しかなくてもあの山には住まないし、住めないと思います。
ただただ若さの力押しで乗り切ってた、って感じでした。あと「面白そう」かどうか。
私の場合は、同居?面白そう!やるやる!と移住した時点で、アパートを解約してしまったので
今更敷金も礼金も出せないし、退路を自分で断っちゃった感がありましたが。

あと、女同士の同居ですが、ホントにあんまり喧嘩した記憶がないんです。
人間が何人か集まると、どうしても諍い事って起こってしまうはずなんですが、
「共通の敵」がいると一致団結してそれに立ち向かう。喧嘩してる暇がないっつーか。

私たち三人の最大最強の敵は、虫とか蛇とか、とにかく家全体を取り囲む自然でした。
雪とか台風とかも怖かったし。
団結しないと生きていけなかった、ってのが喧嘩をしない最大の理由でした。わりと真面目に。

山>>>>>>>>>>>>>>>>>>>専門学校>町

って感じの位置関係でした。
学校から帰りは、車で15分くらいで家の前に着くには着くけど、
玄関に入るまでにまだ時間がかかる。それは過酷坂があるから。

海も近い土地だったので、避暑地で短期バイトなどもしてました。
夏休みには宿屋の布団敷のバイトとか・・・。まーとにかくお金がなかった。極貧でした。

山の生活で何が怖いって、あの家に「1人で取り残される」ことです。

GWとかの長期休暇期間になると、3人のうちの2人が帰省したりする。
バイトのシフトなんかで、どうしても逃げることの出来ない1人が必然的に留守番役になるわけです。
・・・・もうこれが超怖い。
居間になんて絶対入れなくなる。だって仏間がとなりだから。
冷蔵庫も開けられなくなる。だってキッチンが超広いから。無駄に広いのすごい怖い。
風呂?入りません。トイレ?極力我慢します。なんなら水分もあんまり取らないよう我慢するとこから始めます。
玄関、開けません。誰が来ても死んでも開けません(夜なんて普段から誰も来ませんが)

そんな感じで絶対絶対部屋から出ないぞおおおおおおーーーーと構えている夜に限って、
深夜三時くらいに猫が玄関外で「入れてー」と鳴くんです。
――もうお前ら今夜くらい野生に帰ってそのへんの草むらで寝てくれよ、と。

山奥の家は、1人になると昼間でも怖い。
本当に、山の中って川の音と、風の音と、鳥の声と、葉ずれの音しかしないんです。
車も通らないから、人間の音がしない。

住んだ当初は、誰もいなかったら縁側で昼寝とかできるじゃん!素敵!とか思ってましたが、
自分以外誰もいない状態で無防備に転がって寝る、とか怖すぎて無理だと分かりました。
自室の布団ならまだしも、縁側は無防備過ぎて怖くて無理。攻撃されたら逃げられない。

だから、よくドラマとかにある「縁側で昼寝」は2年間も住んでいたのに経験していません。したかったけど。

今も、誰もいない家は苦手です。

そうです、私はそれくらい。つーか、ぶっちゃけ37です。
姉さんAも当時私くらいの年齢だったわけだから、相当思い切った選択をしてるとは思う。

ハウスシャアに関しては姉さんAは慣れていて、
この山に住む前から別の人と一階と二階に別れて住んでたりしてました。
あんまり気負わないで同居する方法っていうのを彼女から学んだな。今思えば。

このあいだ姉さんAに聞いて、思い出した話。
とある日曜日の昼間、私が自室でぼーっとしていると、姉さんAからメールが。

「部屋に来い。しかし物音は立てるな」

えええどういうこと、と訝しがりながらも、足音を忍ばせて隣の八つ墓部屋へ向かうと、
ベットに腰掛けてじっと動かない姉さんAが。私を見てシッ、とする。
そのまま、ゆっくり「窓の方向へ振り向け」というジェスチャー。
あーこらまたイモリやらヤモリやらが出たから追い払ってくれっつーことだなーと
(※姉さんAは、山に移り住んでもダントツ最後まで虫嫌いだった)
振り返った先の山肌のくぼみに、尻尾を巻き込んでちょこんと座ってる野生のキツネの姿が!!!
うっわ!マジふっかふかやんかーーーーーーちょー待てこれええええ!!!と一気にテンション急上昇。
タヌキはよく見るけどキツネはその時初めて見た。なんか思ってたより黄色じゃなかったのを覚えてる。

キツネは墓が並んだ岩肌にお行儀よく座って、窓越しに私達を見つめてた。
おいいい・・・・超可愛いぞこれえ・・・・と、もう動くのも忘れて見つめていたら、隣で姉さんAが小声で
「キツネ呼ぶ時ってどう言うんだっけ?」とこちらもキラキラしながら聞くので、
そらもうあの有名なやつしかないでしょう!と思い浮かんで

「おい、じゅん・・・・・」

って呼びかけた瞬間に「ぶふぉあああ!」って姉さんAがなんで田中邦衛ッ・・・!!!って
盛大に吹き出してキツネは逃げた。
るーるるるる、と間違えた、というお話。

山移住が完全に完了してから、両親に報告した。
「いま住んでる町から山のほうへ15分くらい離れた」「ちょっと山寄りな場所」へ
「年上のお姉さん2人と同居」すると、ざっくりかなり意訳して伝えたら、
次の週に菓子折り持ってスッ飛んできた。
(姉さんA、姉さんB、家主、両隣のご近所に配るぶん)

場所が場所なので電話では説明しにくく、駅で待ち合わせして両親の車に同乗。
もーあんたは大事なことを相談せずにどんどん決めて・・・と母のほうは困り顔だったけど、
父はアウトドア大好き人間だったので目をキッラキラさせて行こう行こうすぐ行こう、と急かしてきた。

以前住んでたアパートを通り過ぎて、専門学校前も通り過ぎて、県道をどんどん北上する。
とにかく山までの道程は、田んぼとポツポツ民家が建ってるぐらいで、進むにつれて街灯もなくなってくる。
最初のうちは、
あらーのどかな所ねーのんびりしててーあらっお父さんココまだ桜が咲いてるわー、
とか何とかお気楽だった母も家近所の「クマ注意」の看板を通り過ぎた辺りで無言になった。
父も「本当にここ?ここ曲がるの?本当に?」と明らかに挙動不審になってきた。

ここだよーと斜めに川方向へ傾いだ駐車場(停めるのにコツが必要)に駐車を促したあたりで、
完全に沈黙する両親。
過酷坂の上にある家を見上げる頃には、住むのは私なのに両親の方が蒼白な顔をしてた。
家脇の山肌から流れ出てる小川?湧水?のそばに立ってる「土石流警戒地域」の看板を発見して
また絶句。
もう明らかに「なんかこれ想像してたやつと違う」っていう顔してました。
父に至ってはログハウス的な家を想像してたみたい。そんなもんあるか。

過酷坂を上り、玄関に入ったところで「おー」と初めて感嘆の声が上がった。玄関立派だからね。
出迎えた姉さんズに改めて「このたびは・・・」と挨拶をする両親。姉さんズはどうぞどうぞ、と招き入れる。
そのまま、両親が実家から持ってきた肉やら魚やらで賑やかに昼食を食べた。
姉さんズと両親は今までに何回か会って面識があったし、
2人とも愛想いいし素敵笑顔の持ち主達なので両親も安心したみたいでした。
あーこの人達なら大丈夫ねー、と。
その夜は、私の部屋に泊まって、満天の星空に感激してました。
こういう体験するのもいい人生経験だー、みたいな話をしながらお酒を飲んだりして。
でも朝起きて窓を開けたらバラバラと落ちてくるカメムシには閉口してました。

今でもこの山に住んでた頃の話をすると、
「あの家はすごかった」「どこへ連れて行かれるかと思った」
みたいな話から始まって、でも最後は
「わが子ながら楽しそうなことしてるなーと思った。わたしらはあそこ住むのは無理だけど」
と締めてくれる理解のある両親です。いまも元気です。親孝行します。

若い女が田舎に住んでて何がストレスになるかって、
それはもう「甘味不足」以外何物でもないくらいでした。

深夜にふと「ゼリー食べたい・・・」と呟いたら最後、
頭も口の中もゼリーに埋め尽くされて、何も手につかなくなる。
こういう時のために緊急避難用のフルーチェを常備してはあったのですが、
いかんせんそういう危急の時に限って牛乳がない。
何かなかったっけ・・・と冷蔵庫を開けてみるのですが、
他の2人の甘味系食料を発見したりして余計切なくなったり。
(※当然のことですが、自分以外の人間の個人的に買った物を無断で食べるのは御法度でした)

この家に住んでいて何か自作以外で食べたい、となると山を降りて買いに走るしかないわけですが、
最寄りの店でも最低20分かかることによる往復のガソリン代
               +
夜7時になると大きなスーパーが閉まってしまっているので目当ての品物を買えない確率が高い
(十時くらいまでやってるスーパーは個人経営の小さな店舗で甘味コーナーが小さい)
・・・・という現実を鑑みて、やっぱり「まぁ明日まで我慢するか・・・」と
大抵はどんなに食べたくても涙を飲むんです。貧乏だったから。

でもごくたまに「――それでも甘いものが欲しいいいい!!」と甘味中毒者のように
家を徘徊する時があって、 もうそういう時は、街で2件しかない「コンビニエンスストア」へ行く、
という禁断の解決手段しかないわけです。深夜だから。

その当時、私の中で「コンビニ」というのは
いつもは絶対に買わないはずの定価でしか物が売ってなく、しかも位置関係が
山の家>>>>>>>>>>>>>専門学校>町>>>>>>>>>山コンビニ
 (※この山降りてもっかい別の山に登らなきゃいけない高低差、確実に燃料計に変動がある距離)
つまり行って帰ってくるのに一時間以上かかる場所なわけで、時間、運転する労力なんかも考えると
そこに行くこと自体がものすごい無駄で贅沢なものでした。

普段なら絶対そういうことはしないはずの倹約山生活者なのに、
数ヶ月に一度、それでも甘い物が食べたい!!!という衝動が抑えられない時があって、
居ても立ってもいられなくなって、財布の中を確かめて、部屋着から着替えて、
深夜に自室から飛び出してました。甘味脳怖い。

そして、そんなときは階下に降りて靴を履く前に、姉さんズに外出する旨を報告。
いま現在町中に住んでて気楽に言ってる「コンビニいってくるけど何か買ってくるものあるー?」
という物言いでは決してなく、居間でTV見てくつろいでいる他の2人を見回して重々しく

「・・・わたくし、今からコンビニへ参ろうと思っておるのだが、各々方なにかご所望の品はないか?」

と深夜、突然の下山宣言をすると、姉さん2人も何事!?と飛び起きて

「―――すわ!コンビニとな!」

「・・・・コンビニ!!?ま、待たれよ!!
確かそれがし、以前このようなプリンが発売されたと小耳に挟んだのだが・・・」

「ぬう!それは聞き捨てならん!待たれよ待たれよ、我も共に道行かん!」

「いや我も!!!」

・・・みたいな流れになって結局3人でいそいそコンビニへ甘味漁りの旅に出た懐かしい思い出。

壬生義士伝、流行ってました。

壬生義士伝、町の図書館でようやく貸出順が回ってきて、休日に居間のコタツで一気読みしました。

朝から読み始めて、面白くて止まらなくて、夕方くらいに読み終わり。
もう最後の怒涛の展開、息子の独白、漢文の手紙のくだりで涙腺が崩壊して、
しばらく立ち上がれなくなってコタツに突っ伏してしくしく泣いてたんです。

そしたら姉さんAが仕事から帰ってきて、薄暗い居間の襖を開けて、号泣する同居人(私)を発見。
「なに、どうしたの!!」とびっくりして駆け寄ると、涙と鼻水でグチャグチャの顔で
「・・・・ぜづなずぎで(ズビズビ)ごれ・・・・がわいぞうで(ズビズビ)・・・ぶり(無理)いいいい・・・」
と思い出し泣きでもう一回突っ伏す私。事態が飲み込めずに右往左往する姉さんA。
そこに姉さんBが帰ってきて「ただい・・・・・ってなに!!?どうしたん!喧嘩!?」となってカオス。

しばらくのあいだ泣ける読み物は共有スペースで読まない、という約束事が増えた、という話。

<姉さんの結婚を機に同居解消とあったけど、それぞれの彼氏が家に来ることもあった?

私と姉さんAは彼氏なし。男っ気なし。
姉さんBは移住前から付き合ってた彼氏がいて、専門学校卒業と同時に遠距離恋愛に突入してました。
この姉さんBが結婚しました。彼氏さんもいい人だったので、たまーに泊まりにきてました。

あと、「3人全員が知り合い」の男の人と家族以外は、家にいれない決まりでした。
なんとなく皆、女3人で住んでることはあんまり大きく公言してませんでしたし・・・。
あと田舎と言えどもやっぱり知らない人がウロウロしてたら目立つし、
家主のおばちゃんが嫌がるようなことはしないでおこうね、というのが暗黙の了解でした。

<初めて家に来た時なんかはどんな反応でしたか?
ちょっと覚えてないです・・・ごめんなさい。
ただこの姉さんBが移住発案者だったため、彼氏も協力的だったのは事実です。
嫌だったら反対しただろうし。

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お隣は独居のおじさん?おじいさん?でした。娘さんがたまにいらっしゃる感じで。
唯一隣接しているご近所さんだったんですが、あんまり交流はなかったです。
あちらもうるさいのが苦手、みたいだったので、女3人が越してくるというのは最初歓迎してなかったかも。

タヌキはいました、よく車に轢かれてました・・・。
あとウサギは家の脇でよく見ました。近づいても逃げないし、結構大きいので黙って立ってると怖かった。

テン、とかイタチ?的な奴もいました。なんかぬるっと長いフォルム。
縁側の戸袋のとこに穴が開いてて、そこが猫たちの通り道だったんですが、
イタチが入ってくるようになったので塞ぎました。

何が甘味脳を刺激するかって、やっぱり深夜の料理番組でした。
お金無い時はマチャアキ見るの禁止になりましたから。たまにお菓子作るからあの番組。
不思議なのは、肉とかにはあんまり反応しなかったことです。焼肉のCMとか見ても肉~~!とは思わない。
ただ新作プリン、とか流れちゃうともうダメ。女3人でコタツ囲んでその瞬間だけ時が止まってました。

甘味といえば、ちょっと違うかもしれませんが、
国道からこの集落に入ってくる横道の入り口に、ひとつだけ販売機が立ってました。赤いやつです。

今時分の春のあたたかい夜に、そこへぶらぶら猫と一緒にコーラを買いに行くのが好きでした。

ちょっとパーカーなんかを引っ掛けて、過酷坂をつっかけ履きで降りると、
後ろからグンタが首輪の鈴を鳴らしてついてくる。
歩いて片道10分くらいなので、ほんとに夜のきままな散歩という感じです。

今の時期は、ガードレールの横に小さな花がポコポコ顔を出して、
山肌のほうはハナミズキなんかが咲き出してました。山菜が採れ始める季節です。
街灯も見える範囲で一本あるかないか、という感じなんですけど、
ずっと一緒にいてくれる猫がいるからそんなに怖くなかった。
月明かりも、街で見るより本当に明るくて真っ白で、くっきり影ができて、本当に「明かり」という感じ。

しばらく歩くと、奥まってる山の家からは見えなかった裾野というか、街へ続く平野が見えてきて、
田植えのために水を入れた田んぼがずーっと先の方まで続いてて、
水面が月明かりをキラキラ反射して、一帯がまるで大きな湖みたいに見えるのがちょうど今の時期でした。

田舎の風景って田んぼの様子でガラッと様変わりするので、あと少し経つと植えた苗が伸びて
6月ごろには一面の草原のように見えたし、収穫時期は金色の海みたいで本当に綺麗でした。

それを横目で見つつゆっくり歩いて、自販機でコーラを一本買って、また元来た道を戻っていくと、
次は月明かりを背にして歩くので、自分の影が前を歩くことになる。
するとそれに猫がじゃれて、1人と1匹でキャーキャー言いながら競争して帰りました。

歩くにつれ、まただんだん山深くなっていって、坂の上にぽつんと私たちの家があって、
見上げると、1階の居間からオレンジ色の光が漏れて、かすかに姉さん達の声が聞こえて来る。
真っ黒な山に囲まれて、そこだけが温かくなって見える。
人間の住んでる光、というのが凄く懐かしく、愛おしく思えたのを覚えてます。
たかだか往復10分ほどの散歩なのに、「自分の家に帰ってきた!」という気持ちが
湧き上がってくるというか。

2年とちょっとしか住んでなかったのに、自分の実家も町中なのに、
「郷愁」というと、この時期の散歩を思い出します。そんな話。

山とは関係ないのですが、思い出しちゃったので書き込ませて頂きます。

山の家は、山奥ではありますが「市内」だったので、ゴミ出しにいろいろな制約がありました。

折しも「ゴミ袋を透明にしよう」的な流れが全国に広まり始めた頃で、
それまでは缶とビンと生ゴミ?くらいしかなかった分別基準が、ある年一気に8つほど増えたんです。
ビンならビンで「緑」と「茶色」と「透明」に分けなきゃいけなくなったり、缶は「スチール」と「アルミ」。
「包装ビニール」と「プラスチックゴミ」も基準は忘れましたが区別が付き、
とにかく一つゴミを捨てるだけでも壁の分別表とにらめっこするような日常になりました。
ゴミ袋も指定になり、町内会で買ったものが毎月配られ、(確か10枚300円・・・?だったかな)
足りなくなったら自分で市役所まで買いに行く、という形をとるように。
私たちの世帯も同様だったのですが、各々で自炊する形をとっていたので自ずとゴミの量は多くなり、
あと、在宅で作業するときに出る作業ゴミみたいなものも出るときは大量に出るので、
たまにゴミ袋がない!ゴミが出せない!ということがあったりしました。

これに改革のメスを入れたのが、財務担当しっかり者の姉さんBで、
どこかから情報を仕入れ、バケツ大ほどの「コンポスト」と「ふりかけ酵素」を買ってきました。
なんでもこれに「生ゴミ」を入れて上から粉末状の酵素をかけて密封しておくと、
単なる「腐敗」ではなく「発酵」し、そのまま庭に撒くことのできる肥料になる、ということでした。
とにかく食物系の生ゴミは、今後水気を切ったのち、このコンポストに入れるようにすれば、
ゴミ袋に入れて出す「可燃ごみ(紙ゴミなど)」の量は大幅に減るし、
さらにエコでもあるし一石2鳥だね!ということで早速導入することになりました。

コンポストの下は2重底になっていて、下部に小さい蛇口がついていました。
発酵が進んできてゴミのカサが減ると、底の部分に水気が溜まる仕掛けになっていて、
器をあてがって蛇口をひねると、なんというか・・・
腐敗臭でもない、甘酸っぱいような?なんかそういう茶色い液体が出てくるんです。
それは薄めて肥料液として、発酵の進んだゴミ本体は庭に穴を掘って埋めたりしてました。
生ゴミの量が劇的に減って、姉さんBが喜んでたのを覚えています。

時が変わって、3年後くらいかな、私が山を降りて実家に帰ったあと。
その後就職した会社で仲良くなった同僚から「おがくず風呂」のタダ券を貰いました。
なんでも県内初オープンだそうで、周りはそんなもの見たことも聞いたこともないという人ばかり。
「行ってみたいけど1人じゃ怖いから山奥子さん一緒にどう?」ということだったので、
喜んで便乗することに。
なんかエステみたいなもんかなーわくわくするなー、と退社後、
女2人でキラキラした明るい店舗に入りました。

綺麗なおねえさんに指定の服に着替える様よう言われ、半袖半ズボンの作務衣みたいなものに着替えると、
次は「おがくずで汚れますから・・・」とのことで渡されたシャワーキャップでカリフラワーみたいに髪を覆います。
その後、おもむろに差し出されたのが、おチョコ1杯分ほどの「酵素ドリンク」。
これを飲むと、何か分からないけどいいことが起こるらしい。素晴らしい。

じゃあ飲むかー、と何気なく口を近づけると、甘酸っぱいような変な臭いがして、本能が飲むのを留まらせる。
・・・あれ、これ、なんかどっかで嗅いだことある・・・・
と、嗅覚が記憶の蓋をグギギギとこじ開けてきて、ふいに

・・・・これ、コンポストに下から出てきてたあの液体の臭いじゃん・・・・!!!

と思い当たってしまいました・・・。酵素ドリンク・・・ああああ、そういうことかああああ、みたいな。
もうその瞬間、三角コーナーの生ゴミとか、冷蔵庫から出てきた賞味期限切れの羊羹とか、
大量に貰ったはいいけど茹でても茹でても一向になくならなくて結局腐らせちゃったホウレン草のおひたしとか、
なんかそういう炊事関係の暗部的な記憶がぶわあああああーーっと脳内に押し寄せてきて、
・・・これ、飲まなきゃだめ?どうしてもだめ?だめですか・・・どうしてもだめですか・・・
ってもう、とにかく泣きながら飲みました。
飲まされたものはちゃんとした食べ物と製法で作られたものでしょうから、飲んでも全然平気なんでしょうけど。

ここからは完全に蛇足なんですが、おがくず風呂の記憶。

酵素ドリンクで気分最悪になった私と、
そんなことはつゆ知らず「あんまり美味しいもんじゃないね」くらいの感想で飲み干した同僚が
次に通されたのが、 広い室内プールみたいな場所が一面の黄色いおがくずに埋め尽くされた場所。
これがおがくず風呂かああーと、もの珍しさで思わず感嘆の声が出る感じ。
室内も温水プール場みたいに暖かかったです。

そこに、スタッフの人が2人分の穴を掘って待っててくれていて、どうぞーと言われおずおずと穴に入る。
ちゃんと椅子みたいにお尻を乗せる場所も作ってあって、中に入るとホワホワと温かい。
座ったところを見計らって、スタッフの人が上からスコップでおがくずを穴に入れてくれる。
首まで埋まって「ハイ、30分ほど入ってると汗が出てきますから~」とか言われて
30分かー長いな・・・とふいに横を見ると、
いつもはハイヒール履いてスーツでビシッと決めてクールビューティーと言われている同僚が、
カリフラワーみたいな頭になって、白い小麦粉でバカ殿様みたいな白塗りの顔になって
(※別途00円出すと小麦粉パックもできますよ、と言われたのでこの際だからやってみてた)
しかも晒された生首みたいにおがくずに埋まってる姿を見た瞬間に何かが私の中でブチ切れてしまい、
思わず「ぶふふぉはああーー!!!!」と吹き出した瞬間、反射的に顔を伏せてしまい、
首下のおがくずに小麦粉パックの顔で突っ込んだ私を見た同僚がつられて爆発、
バフォーーと吹いたその返しで吸った息でおがくずを大量に吸い込んでしまい盛大に器官に入って
咳込んでしまい、 もうもうなんか死にそうになりながらスタッフに掘り起こされてた思い出。

しまい、しまい、となんか暑苦しいぶんしょうになってしまい。うーん、臨場感とは難しい。

あと蛇足の蛇足で、
埋め戻されて30分後にまた掘り起こされた後、おがくずだらけでシャワー室に向かうとき、
入れ違いで明らかに
「長男の嫁に何かよく分からないけれど風呂屋のタダ券もらったから近所の将棋仲間と入りに来た」
的な様相の、よくわかってないままピンクの浴衣を着せられて
頭をカリフラワーにさせられたおじいちゃん2人とすれ違った時も
腹筋ピクピクして辛かったです。

山の家はいわゆる「電波等視聴困難地域」でした。
山陰に位置してたし、杉やら雑木やらに取り囲まれてたから受信が難しかったんでしょうね。
なので、山の上にここの地域専用の電波塔が立ってました。
集落単位で受信料を支払っているのか?だからBSが見れました。BS1と2があって、プレミアムがなくて。
折しもイチローがシアトルマリナーズで大活躍していた時期だったので、
もう夢中で昼夜逆転して見てました。

ガス屋のおじさんが数週間に一度、プロパンを交換に来てくれるのですが、このおじさんも野球好き。
道幅1メートルの過酷坂をプロパン満載の軽トラでずおおおおおおっと無理くりに上がってきて、
さっさかプロパンを交換しながら「最近のイチローの走攻守がいかに凄いか」的なことを早口で語り、
私が出したお茶をがぶがぶっと飲んで、また空のプロパンを積んで
バックで過酷坂を結構なスピードで降りていくんです。
毎回、風のような早業で感心して見てた記憶があります。おじさん元気かなあ。

こんな感じに、田舎のおじさんおばさんは皆さんすごく元気で、
自営の店で働いてたり、畑を持ってたりするからか80代になってもハツラツとしてました。
あとみんな力持ち。腰が90度に曲がってたりしてても大根20本背負って山道歩く、とか。

そういえば、サトイモのおばあちゃんは80代だったけど毎日畑仕事のあとにビール飲んでました。
「この一本がすごくうめえ」って土に汚れた手で缶をプシュっと開けてごくごくごくっと。
最高に美味しそうだった。

この話は、山の家の生活を語るのに避けて通れないから、
もう早めに書いておきます。

「同居が終わった日」の話です。

今日みたいな天気のいい日だったのを鮮明に覚えてます

山の生活を始めて2回目の冬を越えて、夏が近づいてきた頃。
3人共通の友人が山の家を訪ねてきてくれたんです。
確か、姉さんBの同級生だったかな。専門学校の。

それぞれの近況なんかを報告しつつ、
隣町に新蕎麦を食べにいくことになりました。
名物の手打ちそばで、ひるどきは行列が出来るぐらい美味しいんです。
姉さんAは別の用事で外出してて居ませんでした。

そのとき、私は24歳で、明らかに去年の春とは違って、
公私共に身辺がザワついていました。
お仕事を貰っている先の方から、そろそろ身を固めなさい、
という名目で「お見合い」を勧められていたり。
他方で、実家の両親が次々と入院したり。
帰ってくるつもりはあるか、と遠まわしに聞かれたり。

仕事先と山の家の往復で恋愛とは程遠かったから、
正直見合い話はピンとは来なかったのですが、
この先この仕事を続けたいなら地元の方と
縁続きになるのが最良の選択だよ、と言われれば、
ぼんやりした頭で地場産業だしそうだよなあー
仕事もようやく軌道に乗ってきたしなー、
でも、そうなると両親のことは誰が見るんだろう・・・・
弟に帰って来いとはまだ言えないし・・・
(※弟はこのとき、別の場所で家業を継ぐための修行中でした)
と、考えても考えても答えの出ない堂々巡りな日々を、
とににかく悶々と送っていました。

そういえば、こういう悩み事とか相談とかは、
不思議と姉さん達には相談しなかったし、されもしなかったな。

評判通りに美味しい蕎麦を食べて、大満足で山の家に戻ってきた時、
何故か一度もそんなことになったことがないのに、
私の両腕の関節が急にバーッと腫れ上がってきたんです。本当に突然。

「ちょっと山奥子ちゃん――これ蕎麦アレルギーじゃない?!苦しくない?大丈夫?!」

と友人さん達から焦りながら言われて、
いえいえ苦しいとかはないですし、
まあちょっと寝てれば治ると思いますーということで、私は自室に退散することに。

今までアレルギーなんて出たことがないし、ベットに寝転がって、
何なんだろうなーこれー・・・と、ちょっとぼんやりしてたんです。
多分、疲れが溜まってたんですね。
考えることが多くてよく眠れない日が続いてたのと、
あと、生蕎麦は強いから。蕎麦湯も飲み干したし。

しばらく、うつらうつらしてたら、姉さんBが冷たいお茶もって部屋に入ってきたんです。
大丈夫?うん平気ー、なんでだろうね、こんなこと今までなかったのにね、
なんて話してたら、姉さんBが急に、山奥子ちゃん、あのね、と。

「わたし、結婚することになったよ」

もう、その言葉を聞いた瞬間のことを、今もすごい覚えてて。

すごく大事な「何か」を決めた人間の顔を、姉さんBがしてて。
張り詰めたような、泣き出すような、
困ったみたいな、怒ったみたいな。

そういう顔をしている姉さんBを見た瞬間に、
ああこの生活が終わるんだな、っということが分かったんです。
姉さんAと姉さんBと私と、グンタとチョビさんの、
みんなのこの山の中の生活が今日のこの日を境に、
終わりに向かって進んでいくんだ、っていうことがバーっと目の前に見えて。

今日まで一緒に暮らしてきた姉さんBが、自分の幸せを見つけて、
自分の意思で方向を決めて、自分の意思でこの家を出ていくんだ、って思ったら
そしたら、両目からほんとに吹き出すみたいに涙が溢れてきて、

「おっ・・・おべっ・・・おべでたうふううう~~~~!!!!」

ってどうにか祝福の言葉を言ったあと、興奮し過ぎて
蕁麻疹がまた増えて何故か知恵熱が出て寝込んだ、という思い出でした。

甘酸っぱい。

なんであのタイミングで姉さんBが私に発表したのかは分からないんですが、
とにかく「親兄弟以外では一番最初」だったらしくて、光栄。
姉さんBは件の彼氏と2年間の遠距離恋愛を実らせて
この後ゴールインしました。いまも幸せそうです。

私はいろいろ考えた挙句、これを機に山の家から出て、実家に帰ることを決めました。

姉さんAは別の人と1年、山の生活を続けてから、実家に帰ってました。
結局、彼女に一番迷惑をかけてしまったかもしれません。

それでは、また・・・。

不思議なのは、この日のことはこんなに鮮明に覚えてるのに、以後の記憶は曖昧なんです。
具体的な引越しとか、最後に2人とお別れした時とか、
そういうことは霞がかかったみたいにボンヤリしてて、あんまり覚えてない。

蕎麦は全然平気です。ぶっちゃけ蕎麦屋の子なので、
こんなことは後にも先にも一度だけでした。
他人の結婚報告がこんなに心に刺さったのも、この時だけだったなあ。

正に、私にとっての「青春が終わった日」でしたね。
本当に本当に楽しかった時間だったから、
なんというか晴れ晴れとした最後で、幸せでした。
安曇野も素敵なところですよねー。
一度、軽四で姉さん達と貧乏旅行しました。

こんばんは。お久しぶりです。山奥子です。

来週、独身時代住んでいたあの町へ行くことになりました。
半分仕事みたいなものなのですが、時間に余裕があるので
十数年ぶりに『山の家』に寄ってみようと思っています。
そのときは念願の写真も撮ってこようかと。

さすがに他人様の家を写してUPするわけにはいかないので、
特定出来ないようにボカして、家そのものじゃなく・・・例えば過酷坂の傾斜具合とか
そんな感じをお見せ出来たらいいなー、と。
棚田のあたりとか変わってなければいいんですが、どうかなー。

この時期、山裾の田んぼは稲穂が黄色く色づいて、
晴れていれば、私が大好きだった景色がきっとお見せできると思います。

あとは、棚田のなかの湧水に生えたミョウガ、
家主のおばちゃんが健在なら、きっと背の高さまで伸びたトウモロコシの畑が見えるはず。
過酷坂の登り口には柿の木があって、青い実が成り始めている頃かも。
本当は縁側の様子なんかも撮りたいけれど、おばちゃんの承諾が無いと無理かなあ。
八つ墓のあたりは撮ったら何か映り込みそうなのでチョットやめときます。

ここ、まだ見ている方で、なんか、こんなとこ見てみたいってリクエストとか、ありますか。
出来うる限り撮ってこようと思います。(家の中が無理なのは残念ですが・・・)

ああ、私もなんかワクワクしてきました!

こんばんは。

山の家、明日、行ってきます。雨はギリ降らない・・・感じかな。よかった。
でも昨今の天気予報はアテにならないし、里とは言えど山ですし。
ゲリラ豪雨に注意して慎重に行ってきます。雨具必携。

朝早めに行って、夕方前には帰って来る予定でいます。
行きに2時間。帰りに2時間。
訪問先は市内中心部なので、昼時を避けて伺ったとして
一時間ほど滞在して移動に30分・・・やっぱ遠い。

あと今回、娘4歳を同伴します。
この子を以前書いた「稲川地蔵」の恩師にお披露目するのも目的の一つでありまして。

あと、ぶっちゃけ、1人で山の家に行くの怖いんです(笑)

オカルト的な意味で怖いわけじゃないんですが(住んでたし)
・・・・なんとなく自分がイメージしてるあの家が、
もし、すんごい勢いで寂れてて、朽ちて、崩れてたりしたら、
なんか多分1人では見てらんないっていうか・・・・。
きっとすごい怖くなって、写真どころじゃなくなっちゃうと思うんですよね。
自分が住んでた家が朽ちてる、っていうのが考えただけで凄い怖くて。なんでしょうね、この感情。

なので、格好悪いんですが、娘について来てもらおうと思いまして。ヘタレな母ちゃんです。

ただ、家主のおばちゃんが健在で、まだまだ元気に管理してるかもしれないし、
別の人が借りて住んでるって可能性もあるわけで。
うーん、10年ぶり位に行くので、あの家、どうなっているか本当さっぱり情報がありません。どきどきです。

なんかさっきからソワソワしちゃって遠足前の子供の気分です。
あと、あの頃行ってた本屋とかスーパーとか、なんかそういうの、どうなってるか気になります。
結構あっさり無くなっちゃってたりするのかなあ・・・。

ちなみにさっき地図上で見てたら一番山の家から近かったスーパーがGEOになってた!どういうこと・・・!

予定通り、行ってきました・・・山の家。
拙いですが写真も撮ってきましたんで、見てやってください。
(地元の方は、もし場所が分かっちゃったらスルーお願いします・・・)

それでは、早速。

山の家近く。国道です。
いい天気になってよかった。

あの家がある山が近づいてきました。
田んぼが少し色づいてきてますね。

販売機、ひとつかと思ったら、3つだった・・・。

あら、ファイルごとUPしたら全部最初に見えちゃいますね。あちゃー。まいいか。

横道に入ってどんどん進みます。
右側に川が流れてて棚田が広がっています。
そこから登ってくるカエルを、ブチブチ踏んだ春の夜。

奥まってきました。
ずっと家までガードレールがあるかと思ったら、そうじゃなかった。

家の脇にある土石流注意の看板。
ここを撮影してた時に、ケアハウスの車1台とすれ違いました。

・・・・あった。懐かしい家の形が見えて、ホッとする。

とりあえず、いつも留めてた場所に駐車。
家主のおばちゃんの軽トラも、いそうな気配もない。
ただひたすら、静か。

娘に、ここがお母さんがむかし住んでたとこだよと説明すると、「すごいやまだねー」と返ってくる。確かにすごいやま。
左が私たちが住んでいた家に続く過酷坂。
右は隣のおじさんの家に続く過酷坂。
どちらかと言うと、おじさんちのほうが傾斜は急だけど、距離は短い。
うちは最初はダラッとしてるけど、長くて、上に行くにつれて傾斜が増すかんじ。

懐かしの過酷坂。
記憶より狭いし、記憶より急だった。
いやこれ、よく住んでたよ!!!びっくりした!若さってすごい!

進んでいくと・・・・・・・・・・・・・あった!懐かしい!!

そうそう、こんなんでした!
最後のとこが傾斜角度45くらいになっててすんごい辛かったの思い出した!!!(笑)
ちなみに電信柱のしたは大きな雪柳の株があって、咲いたら真っ白な花で家が見えないくらいでした。

逆光でよく見えないけど、奥は山になってます。獣道があって、山に入れるようになってる。
ここの石垣のとこに、よくウサギがヌルッと立ってて怖かった。
ちょうどここの壁のとこは、開かない部屋のあたりかな。

懐かしい。玄関。
よく見ると、記憶にあった雪見窓がどこにもなくてびっくりする。

やっぱり住んでた時よりも寂れてる感じ。
今は誰も住んでないようで、中を見たら畳が上げてありました。
障子も破れてて、少し荒れた印象。
懐かしい、格子の模様のある縁側の窓。
自分の中では、もっと赤味の強い建物のイメージだったから、十数年の歳月を感じました。

猫たちの出入りしていた戸袋。
端っこの木の色が違うとこに穴が開いてて、夜間の出入り口になってたところ。
懐かしくて、ほっこりしました。
あと、ここの縁石に座って、ガス屋のおじさんといっぱい喋ったなあ。冷たくて気持ちよかった。

庭からの遠景。
庭木が剪定されてないから、カメラを思いっきり高く上げてシャッターを押す。
おばちゃんが四季の折々に植えていてくれた花ももうなくて、枯れた紫陽花が物悲しい。
下に見えるのは、別の家の倉庫。道との高低差が分かるでしょうか?

「おかあさん、もうかえろう」
蛇を踏まないよう、注意してね。

バイバイさるさんされた・・・。
正面に広がる、サトイモのおばあちゃんの棚田。
今年も田植えがしてあって嬉しい。お元気だろうか。
顔を見たい気もするけど、きっとあっちは私のことは分かんないだろうな、と思ってやめとく。

振り返って、やっぱりすごい急斜面だったとしみじみ。

駐車スペースより裾野を眺める。
思ったより山。記憶にあるよりずっと山だった。

畑へ続く小さな橋。

一度ここにタイヤを落としてえらい目にあったんだよ、と娘に言う。下手すりゃ死ぬよね。

猫と散歩した道。
春はガードレールの下に『こごみ』がいっぱい生えてた。
あの右手の小屋はなんだったっけ。消火栓だったか、木材置き場だったか。

谷を抜けて、裾野が広がって、あの時の風景が見えてくる。
ああ、ここだけは変わらないなぁ、となんだか泣けてくる。
山の緑と、田んぼの緑は、同じ緑でもやっぱり色味が違って見えて、
秋になって刈り取られると、そこは黄味のある茶色になって、
それはそれでパッチワークのような景色になって、また味わい深いのです。
夏はもっと緑が濃くて、夜は蛍が飛んで、カエルが鳴いて。
秋はあちこちで煩いくらいに虫が鳴いて。

今日は空が青いねえ。いい日に来たね。

娘時代に住んでいた場所に、自分の娘を連れてきていることに、
何だか不思議な気分になりました。
あの頃の自分は、こんなこと考えつきもしなかった。
幸せとか、人生とか、そういうものを考える暇もなく生きてた感じ。
一週間先のことも考えない人生というか。

忙しないけれど、おもしろい毎日だったな。

写真はこれで終わりです。ありがとうございました!

やはり、山の家は朽ち始めていました。
草を刈ったあとはありましたが、
人の気配はなかったので、きっと何年も無人なのでしょうね。
お仏壇のある部屋の障子が破れていて、縁側の石が苔むしていて。
一時期だけでしたが、住んでいた身としては、家が寂れている様子を見るのは悲しかったです。

ただ、どの家も、どの場所も、最後はあのように朽ちていくのだと思うと、
それはもう自然の摂理だと感じました。

町に戻って、結婚して、子供を産んで・・・・と、せわしなく私が生きている間、
あの家はゆっくりゆっくり山に呑まれていってたんだなあ。
人を育む役目を終えて、このままゆっくり自然に帰っていくんだなあ、と感じました。

家って偉大。

急に晩夏、という感じになりましたね。

書き込んだ後、スレ住人の皆さんからたくさんお言葉を頂けて、
行ってきてよかった!と心から思うことが出来ました。
こちらこそ、本当にどうもありがとう。

このスレがなかったらきっと、あの頃のことをこんなに詳細に思い出すことも、
あの家にまたもう一度行くこともなかったでしょう。娘を連れて、なんて多分、思いつきもしなかった。
それくらい、今の自分の日常とはかけ離れた、不思議な生活を送った場所でした。

這うようにして登ったあの過酷坂、傾斜の辛さは相変わらずで笑えました。
「おひさしぶりです」と、思わず声にして家に話しかけたりして。

いろいろ、思い出の蓋もまた開きました。スレを使い切るくらいまでは持つかしら。

息子の夏休みの宿題がようやく終わりました。・・・・

今回の訪問、偶然あの頃の知り合いに会えた時のことを考えて、
時間があれば、訪ねてみることも最初のうちは考えてたんですよね。
行く道すがら、どこかでお土産買ったほうがいいかなーとか考えたり。
でもいきなり十数年ぶりに現れて菓子渡されてもあっちが困るかなあ、とかウダウダ。
でも結局、あの寂れた家を見たら、なんとなく気後れしたというか・・・。

サトイモのおばあちゃんの棚田、手前のとこ、写真で見ると分かるんですが
今年は何も植えてないんです。休耕田になっちゃってる。
(あ、今見たら、ちょこっと何かが植えてありますが)

あそこ、私が居た頃は、それこそ全面に作物が植わってたんです。
野菜とか花とかがいっぱいで、あそこで採れた作物をいっぱい貰ったんです。
でも、それがなかったことで、やっぱり変わっちゃったんだなあ、って思ってしまって。

もし家の様子が以前とあまり変わってなくて、誰か借り手がついて住んでいる様子があったなら、
もしかしたら結構気楽に訪ねていってたかもしれないです。
サトイモのおばあちゃんちは、まだ人が住んでる様子があったのに訪ねていかなかったのは、
なんかやっぱりちょっとショックだったから、かなあ。・・・

娘は、そう怖がることもせず、あの過酷坂を登って行きました。
住んでた自分がちょっと不気味だな、と思ったくらいのロケーションだったのに、4歳女子恐るべし。

敷地に足を踏み入れて、仏間の障子がボロボロになってるとこを見て悲しくなって、
なんとなく家に向かって手を合わしていたら、娘が「おじぞうさんがいるの?」と聞いてきたんです。
おじぞうさん――何故おじぞうさんなのかは分かりませんが、そうだねと答えると、
「わたしもする」と一緒に家に向かって、手を合わせてくれて。
なんかそのときに、すごくじんわり、今日ここに来てよかったと思うことができたんです。
1人だったらきっと、悲壮感しか感じることができなかった。見たくなかったとさえ思ったかもしれない。
娘が一緒に来てくれてよかった、と心底思えました。

白い帽子とワンピース、別に何を思って合わせたわけではないのですが、
あの季節、あの場所、あの雰囲気に、
彼女自身がすごく溶け込んでいて、私はすごく癒されて、あの場所をあとに出来た。
それはもう本当に、あの日に、あの時間に行かなければ、
あの感じは出せなかったような気がしています。
夏の終わりにこの写真が出てきてよかった、とレスしてくれた人がいらっしゃいましたが、私も本当にそう思います。

なんかもう無駄にあれですよ、BGMは菊次郎の夏ですよ・・・・ううう。

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