統合失調症の娘の頬に自分の頬をすりつけ「ごめんね。母さんを許して…」

発症率は100人に1人-。

 自分には関係ないとみるか、ひとごとではないと捉えるかは
人それぞれだが、一つ確かなのは、決して珍しい病気ではないということだ。

被害妄想や幻聴などに襲われる統合失調症をめぐり、
患者だった40代の三女を絞殺したとして、
殺人罪に問われた老夫婦の公判が3月、
大阪地裁で開かれた。

深夜の大声、隣近所への迷惑行為…。
20年以上にわたる家庭内暴力に困り果て、
行政にも医療機関にも相談したが、
三女を受け入れる場所は結局、家庭しかなかった。

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「もう私たちの手では、どうにも解決できんかった」

80代の父親は法廷で、
救いの手はどこにもなかったと訴えた。
裁判員の結論は執行猶予付きの?温情判決?だった。

「ごめんね。母さんを許して」

 「引っ越しは嫌や!」

 昨年7月12日夜。
大阪市平野区の自宅で、三女が甲高い声で駄々をこねた。

 賃貸住宅の管理会社からは月末に退去するよう迫られていた。
父親と70代の母親は老身にむち打ち、
三女が夜中に大声を出しても近所迷惑にならない物件を
ようやく探し当てたところだった。

 「これ以上ええとこないんやから」

母親はそう言って三女をなだめた。

 「お母さんを困らして。他に行く場所ないんやで」

父親も説得したが、三女は聞く耳を持たなかった。
父親からすると、突然の出来事だった。
母親が無言で、近くにあった白いノースリーブシャツを
手に取った。
そして背後から三女の首に巻き付けたのだ。

娘を殺そうとしている-。
父親は瞬間的に悟った。

「妻を犯罪者にするわけにはいかん」

慌ててシャツを奪い取り
その両端を力一杯引っ張った。

 「死んでくれ。仕方ないんや、許してくれ…」

三女は抵抗した。
その間、母親は三女の頬に自分の頬をすりつけ、
泣き崩れていた。

「ごめんね。母さんを許して…」

三女の体から力が抜けた。

 「110番して」

 父親に言われ、母親は受話器を取った。
数分後、駆け付けた警察官に父親は

「家内がかわいそうで、やってしまいました」

と自白。
母親も共犯として逮捕された。

意識不明の重体で救急搬送された三女はそれから
12日後に死亡した。
13歳から異変…ひきこもり、そして鬱病に

夫婦の間には、長女と生まれて間もなく亡くなった次女、
そして三女の3人の娘がいた。
三女は人見知りで気弱な性格だったという。

 異変が出始めたのは13歳のころだった。
気に入らないことがあるとふすまを破ったり畳を切り刻んだり、
物にあたるようになった。
中学卒業後にいったん就職したものの1カ月で退職した。
以降は自宅の2階にひきこもり、
18歳のころに受診した病院で鬱病と診断された。

 20歳を過ぎると、三女は「家の中に盗聴器がある」と
妄想におびえるようになった。
業者を呼んで盗聴器がないことを確かめても、
「嘘ついてるやろ!」と暴れた。

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隣の家の郵便受けに卵を投げ込んだり、
夜中に大声で騒いだりするようになり、
両親はたびたび近隣住民に頭を下げて回ったという。

 そして三女はこのころから、
父親に異常な嫌悪感を示すようになった。

 「じじい死んでしまえ!気色悪いわ!」

 突然暴言を吐かれ、あっけにとられることもあった。

 「自分が近くにいなければ、あの子も落ち着くかもしれない」

 父親はそう考え、近くにアパートを借り、
単身別居生活を始めた。母親は週3回程度、
父親の部屋を訪ね、洗濯や掃除などのサポートをした。

 それでも三女の病状が改善することはなく、
「お風呂の換気扇から声が聞こえる。誰かが私の体を見てる」
と一日中わめいた。

強制入院もすぐ退院

 両親は平成20年1月、地域の保健福祉センターに相談し、
職員の手を借りて、三女を精神科のある病院に連れて行った
。医師からは「妄想型統合失調症」と診断され、
同年5~7月、強制入院にあたる医療保護入院措置となった。

 だが退院後、三女は通院も服薬も拒むようになり、
幻聴や妄想はますます悪化した。
家庭内暴力もひどくなり、26年5月、
父親は体力に自信のある知人に頼み、
力尽くで三女を再入院させた。
しかし、わずか1カ月で「外泊しても問題ない」
と判断され、退院となった。

 それから1年後の27年6月、事件のきっかけとなるトラブルが起きた。

 三女の大声に腹を立てた向かいの家の住民が瓶を投げ込み、
母親と三女の住む部屋の窓ガラスが割れた。
母親は慌てて管理会社に窓の修繕を依頼したが、
返ってきたのは非情な「最後通告」だった。

 「お宅のことでいろいろ苦情が出てるんですよ。
今月いっぱいで出ていってください」

 頭の中が真っ白になった。
なんとか退去期限を7月末に延ばしてもらい、
翌日から両親は不動産屋めぐりに奔走した。
ようやく条件が合う物件を見つけたのは7月上旬のことだった。

 だが、転居の説明をしても、
三女は頑として首を縦に振らない。
入居契約の締め切りが迫った7月12日早朝、
母親は父親の部屋に行き、
「一緒に説得してほしい」と頼んだ。
そして同日夜、冒頭の事件が起きた。

孤立する患者家族

 母親は公判中、
ずっと泣き続けていた。被告人質問で検察側から
「別の方法はなかったのか」と問われると、

「いまだに答えが見つかりません」と話した。
 今年3月10日の大阪地裁判決は

「他に解決策があったのではという疑問は残る」

としながら、

「20年以上の間、治療や行政機関への相談をしてきた
両被告が突発的に殺害を決意したことについて非難の程度は低い」

として、いずれも懲役3年、執行猶予5年を言い渡した。

 行政や医療機関を頼ってもなお孤立する患者家族。
「全国精神保健福祉会連合会(みんなねっと)」の野村忠良事務局長は
「患者やその家族に対する公的な支援体制はまだまだ不十分だ」と話す。

 野村さんによると、
相談窓口である地域の保健所は慢性的な人手不足。
医療機関はといえば、数カ月で退院を迫られるのが実情だ。
「結局は重症化していく患者を、家族で抱えるしかない」(野村さん)

 公判で父親はこう訴えた。

 「私たちの手だけではもう解決できんかった。
社会の仕組みや福祉、医療を変えんと、どうにもならんと思うんです」

 どんな事情があれ、娘をあやめることは罪だ。
ただ、20年の辛苦を経た父親の言葉には、重い響きがあった。

※引用
ライブドアニュース http://news.livedoor.com/article/detail/11482276/
出典 産経新聞ニュース

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