自分が父親の子供ではないと知ったのは25歳の時でした

自分が父親の子供ではないと知ったのは25歳の時でした。
母親は死んだと18まで聞かされていたのですが
生きていると知ったとき、私はこれは触れてしまったらいけないのではないかと
思い一度も口に父や祖父母にその話をしたことはありませんでした。
私は、父と祖父母に育てられて行きましたが
何故だか邪険にされていた理由がやっとわかりました。

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私は家族、親戚から

「お母さんはねお星さまになっちゃったんだよ」

と言われてきたので、
これは触れてはいけないことなのだと思い触れてきませんでした。
2歳くらいからの写真はあるのですが、
何故か生まれたときから赤ちゃんの頃の写真はなく
一度もみたことがありませんでした。

私がだんだんと大きくなってくると
家族からの態度が明らかにおかしくなってきました。
「お前は、死んだ母親にそっくりだ」などと
とても冷たい態度を取られるようになったり、
「お前が居なかったらみんな幸せなんだよ」
と言われたのをよく覚えています。

私は、何も言うことが出来ずただ、父や祖父母に気に入られようと必死でした。
私に生理が来たときくらいに、「お前は子供を産んでも母親みたいな人間になるから
子どもなんて産むなよ」と言われたり、父親からは特に「本当に母親そっくりだな」と
言われることが続きました。けれども、そのような言葉を吐いたかと思ったら
「お前は何も悪くない、悪くない。申し訳ないと」何度も謝れるということが何度も
繰り返されました。

私は、父親に一枚だけ母の写真をくださいとお願いして
毎日、母は死んだものと思っていたので写真に向かって手を合わせていました。
家族はものすごく嫌な顔をしてある日、写真立てごと壊されてしまいました。

家族からの扱いがあまりにひどく、時に暴力も伴うことがあり私は
自分の何がいけないのかを必死に考えて考えつくしていても、
「私のことが大事ではないのだな」と私はいたり、特に何かを言われても
殴られても一切反論せず、「生まれてきてごめんなさい」というばかりでした。

18歳になったときに戸籍をとりに役所にいったら、「協議離婚」の文字があり、
なんとなく自分が嫌われていたということがわかりましたが、でもなぜ母親ではなく
親権を父親が持っているのだろう・・・?と疑問で仕方がありませんでした。
父は一度も再婚をすることなく、私を育ててくれた、けれど邪険に扱う。
どうしてなのだろう、もやもやと数年を過ごしました。
23歳ごろに祖父が亡くなり、家族は父と祖母だけになりました。

私が24歳の時に、祖母が亡くなり寝ずの番を父としていたとき。
父が、お酒をがぶがぶと飲みながら「本当に申し訳ない、家族みんながお前に
対して辛く当たったのには理由があった。お前は、お父さんの本当の子ではない。
だから、お前が悪いわけではないとわかっていても○○(母親)に似てきて、
○○に対するいら立ちをお前にぶつけた、謝っても済まないと思っている。」
と土下座をされました。
それを聞いて、謝らなければいけないのは私の方だと思いました。

話を聞いていくと、私が1歳の時に「あなたの子じゃないの」と言って私を置いて
家を出ていき、幼い私を養護施設に預けるのは子には罪がないからと言って
父が親権を引き取り、祖父母と共にそだててくれました。
離婚から半年後、不倫関係にあった男性と入籍をし親権を返してほしいと家に
北とのことでした。

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私は、母親に25歳の時に育ててくれた親を裏切る形になると思いながらも
父に相談をして、母親に会いに行きましたが私が見た母親は生活保護の不正受給を
しながらバツ5で人として信じられない人が目の前にいました。
それからは、金の無心ばかりをされてこれが母親なのかと考えたら、空しくなり
父親や家族も辛かっただろうと心底詫びる気持ちでいっぱいになりました。
悲劇のヒロインのようになってしまい申し訳ありません、悲劇というよりは
呆れているという状態です。

私のところの場合、母親が「あなたの子じゃない」とはっきり言っただけで、
かくして育てさせている方がたくさんいると思うと、DNAの検査は義務化するべきだと
心底思います。

父が言うには、「自分の遺伝子を引いていないとしても育てていると
その子が不幸になっていくシナリオをまざまざと見てはいられないと
断ったとのことでした。

悲劇なのは私を育てることになった家族だと思います。
父は一度もほかの女の人と付き合うこともなく、再婚もせずにいたので
幸せな人生だったのだろうかと申し訳なります。

そうですね、今は父とは良好な関係が気付けています。
父にけじめをつけるためにもDNA検査をしたらどうだろうかと勧めましたが、
「なんだか、お父さんに似てるからもういいんだよ」と言ってくれました。
父は「女は怖い」と言って恋愛、結婚もしていないようです。

父にDNA検査を進めたのですが、断られました。
きっと、どこかで本当の子かもしれないという気持ちもあるのかもしれません。
決定的に違うとなったら、どっちもおかしくなると思います。

恋愛はおかげさまで今は幸せです。

今は、その方と結婚をして普通の家庭を築いていますが
一人になった父を思うと、なんだか混とんとした気持ちになります。

私はすでに結婚をしているので、できないですが
不器用ながらも自分の人生を犠牲にしてくれた父には感謝しています。

おかげさまで、昨年子供が生まれました。
父親から漢字を人文字いただきました。

旦那は私の境遇を全て知ったうえで嫁として迎えてくださったので、主人、義理の両親には
感謝してもしきれません。

父は一番つらかったと思います、父自身跡取りで祖父母にとっても初めての孫が
一体どこの骨の男かわからないとなると、何をどうしたらいいのか
分からなかった部分も多いと思います。けれど、大事にしてもらった思い出も
あるので、私は幸せだったと思います。

今でもうれしいことがあるのですが、もう30過ぎるのに毎年誕生日には必ず
メッセージをくれることです。「お前がいたから、もやもやはあったけれど幸せだ」と
言ってくれたことは今でも、感謝してもしきれません。

子どもは1人生まれました。
できれば、3人くらい産めたらいいなと思っています。
沢山、親孝行したいです。

それから母とは、一度も会っていません。
ただ心配なのは、年が離れた弟が(父親が違いますが)しっかりと
心身健康でいるかは気がかりです。

今の幸せは、父と祖父母のおかげであるものと思っています。
そして、主人にも心から感謝しています。

血のつながりはとても大切なものかもしれないですが、
真の心からのつながりと敬いがいかに大切なものか、とてもよくわかります。

仕送りも出来ない不束者ですが、孫だったり私共には金銭の援助は受けておりません。
父から必要と願いがあらば、できる限りの仕送り等をしたいと思います

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