クズ親の趣味は私をサンドバッグにすることだった。ある日、隣に引っ越してきたイケメン夫婦「俺達と暮らさないか?」

私の人生最大の修羅場は、
小児がんで死んだと毒親に言われていた
15年上の兄が生きていて、
毒親に虐待されていた自分を引き取ってくれたこと。

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~登場人物~


…当時12歳。チビでガリガリだった。

毒親
…家庭板の膿家脳やらなんやらを
 濃縮したようなクズ夫婦。
 趣味は私をサンドバッグにすること。

兄(A)
…当時27歳。見た目DQNな会社員。

物心ついた頃から
テンプレのような虐待を何回りも受けていた私。
服はいつも二着着回しだったし、
風呂には週に二日しか入れてもらえなかったから、
いつも臭ってたしべたべたしてた。
だからバイキンって苛められたのも当たり前だった。

でも先生達は優しかったし、
中には毒親に話してくれた先生もいた。
ま、毒親がそれを聞いてくれたことなんか無かったけど。

毎日学校ではテンプレなイジメにあい、
帰れば専業の毒ババァに平手打ちされ、
毒ジジィが帰ってきたら
2人して私にチクチク嫌味をいいながら叩いてきた。
そんな生活が10歳まで続いた。

10歳になった頃、
斜向かいの家に若夫婦が引っ越してきた。
イケメンのAさんに美人な奥さん、可愛い赤ちゃんという、
なんか当時の私にとっては雲上人のような存在だった。
Aさんは見た目DQNだったけど礼儀正しくて、
(でも言葉もDQNぽかった)よく近所の人達と話していた。

でも、毒親はAさんには絶対に近寄らなかった。
引っ越し初日、家に来たAさんを見て
思いっきり顔を引きつらせてたし。
というか毒ババァは家から出なくなった。
いつも何かに怯えて、買い物も私に押し付けてきた。

私とAさんの最初の会話は、
「飯食ってく?」「うん」だった。

いつものように毒親にサンドバッグにされて、
痛む体を動かしながら買い物に行こうとしてた時だった。
恐らく仕事帰りだっただろうAさんは、
お金とエコバッグを持っている私を見た瞬間、
上の言葉をかけてくれた。
私は「お母さん達のご飯買いに行かないと」
って断ったけど、最終的にAさんに連行された。

Aさんが玄関を開けると、エプロン姿の奥さんがいた。
私を見て少しだけ目を見開いていたが、
すぐに優しげな笑みを浮かべて、
私を家の中に入れてくれた。

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水じゃない暖かいお風呂に入れてもらって、
Aさんがわざわざ買ってきてくれた綺麗な服を着て、
冷たくない美味しい手作り料理を食べさせてくれて、
私は知らない間に泣いていた。

ご飯を食べ終えた後、
奥さんが毒親に連絡を入れてくれたらしく、
私はAさん家に泊まることになった。

Aさんの赤ちゃんと遊んでいた時、
真剣そうな顔のAさん夫妻に呼ばれた。
何事かとgkbrしてた私の正面に2人は座り、
奥さんがそっとAさんの背中を押していたが、
Aさんは何やら迷った顔をしていた。

暫く迷った顔をしていたAさんに代わって
奥さんが話してくれたのは、
実はAさんが私の兄だということでした。

今まで兄は小児がんで死んだ、と
毒親に聞かされていた私はびっくりしました。

Aさん改め兄夫婦の話によると、
毒親達は兄の治療費を出し渋り、
最終的には一度も面会に行かず失踪したらしいです。
兄は伯母夫婦に治療費を出してもらい、ガンを克服。
その後伯母夫婦の養子になり、
治療費を返しつつ結婚し家庭を築いた、とのことでした。

それを聞いた私は、どこの漫画だよ、と思いつつも
納得したような気分になりました。
あの毒親ならやりかねないな、と。
兄達がここに引っ越してきたのも偶然ではなく、
親族達で興信所を雇って
毒親の行方を追ったからでした。

そこまで話して、奥さんは口を噤みました。
すると今度は兄が口を開きました。
「????子(私の名前)、あのクズ共から離れたいか?」
「どういうこと?」
「あのクズ共から離れて、俺達と暮らさないか?
このままだと、お前頃されるよ」

突き放すような少し冷たい言い方でしたが、
兄の表情はとても優しかったです。
私は離れられるなら
すぐにでも毒親から離れたかったので、
いちにもなく頷きました。

ここからは箇条書きします。
・翌日、兄と2人で家に帰り、毒親達に啖呵を切る。
・兄を見た毒親、真っ青な顔でふぁびょる。
・それを鼻で笑い飛ばした兄、
 大声で兄がやられたことを怒鳴りつける
 →近所に毒親が外道だと知られヒソヒソ

・少ない荷物を纏めた私、
 生まれて初めて会った伯母夫婦に
 泣きながら抱き締められ謝罪されパニクる。
・同じく生まれて初めて会った祖父母に
 好物の栗きんとんをもらい、テンションMAX

・兄夫婦、今まで興信所に頼んでたらしき
 私への虐待の証拠を持って警察に全力でマヤり、
 家庭裁判所を経た結果、
 毒親と私の親子関係は法的に切られ、
 私は伯母夫婦の養子に。

・しかし兄が私を離してくれず、
 あれから五年経った今も兄夫婦と同居中。

最近甥っ子と一緒に散歩に出掛けたら
毒ババァを見かけたので厄落としカキコ。
縁切り神社行ってきます。

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